第二十七話:コンロ狂想曲


 不満を言っている割にシアはテキパキと準備を進めていた。ラダウィウムの実をボールに出して、塩を振って良く混ぜている。恐らく、塩脂苺ニスティッラダウを作ろうとしているのだろう。脂苺ラダウィウムはその名の通り、火のラド・元のアウ・ものイウムという意味で取られた実を低温で煮ることで蝋が取れる。今、シアが使っている実はその工程を経た後の実で、これは塩とはちみつで調味されて塩脂苺ニスティッラダウというデザートとして供される。

 シアが慣れた手付きでラダウィウムの調理を行っているとレーシュネが横から彼女に近づいていった。


「私に何か手伝えることは」

「そう、ですね……」


 片手ではちみつとすっかり塩漬けされたラダウィウムを混ぜながら、シアは思案していた。


団栗羊羹バネクリャンを作るので、寒天クリャンを溶かしておいて貰えますか?」

「よし、分かった」

「水はそこの計量カップで400の目盛りまで入れて下さい。寒天クリャンは溶け切って固形のものが無くなったら教えて下さいね」

「承知した」


 レーシュネはシアの指示を受けると自信満々の様子で深底の鍋と計量カップ、固形寒天ストゥゼル・クリャンを取ってコンロへと向かった。


「大丈夫なのか? あの人に火なんか使わせて」

「コンロの存在を知ってたんですから、使い方も知ってるでしょう」

「なるほど?」

「溶かすだけの作業すら出来なかったら追い出しますけどね」


 シアはコンロの前に立つレーシュネに視線を投げかけながら、そう言う。未だに不安そうな表情だが、長官を邪険に扱うことはできないらしい。

 俺は何をしているのかといえば、さっきからヴェッドブランと黒糖を練って団栗餡バネアートを作っていた。手持ち無沙汰でもしょうがないとシアに投げられた仕事だったが、なかなかダマがなくならないので永遠とも思えるほどに混ぜ続けている。はっきり言って退屈だ。ボウルを片手に俺はレーシュネの様子を伺いに彼に近づいた。

 彼は左手をコンロにかざし、右手をスイッチに合わせていた。常人ならコンロに着火する時にこんな姿勢はしないだろう。一体どうしたというのだろう。


「何やってるんです?」

「分かるだろ? 私は炎系の異能保持者ケートニアーでな」

「そうだったんですか」


 レーシュネは頷いた。官僚になると忘れられがちだが、異能保持者ケートニアーはウェールフープを忘れることは無い。炎系ともなると結構一般的な能力だが、その実、キャンプでの着火くらいにしか使われないのだった。

 意外な事実に驚いていると後ろで何かを焦って置いたような音が聞こえた。振り向くとシアが慌てた様子でこちらに近づいてきた。


「ちょっと待ってください…… もしかして、能力ウェールフープをコンロの着火に――」

「へ?」


 彼女はレーシュネとコンロの間に身を入れていた。スイッチに手を伸ばして、彼が着火するのを止めようとしていたのだろう。だが、小柄な彼女の手はスイッチには届かなかった。スイッチが入ると同時にレーシュネの左手から炎が生まれる。それがコンロに到達すると、噴火の如く勢いよく火炎が立ち上った。ホテルのシェフも驚きの大炎上だ。俺とリーナは生理的に危険を感じてコンロから離れる。

 レーシュネは立ち上がった炎を見て、不思議そうにしていた。


「うわ、何だこれは」

「何だこれはじゃないですよ!? 元栓を閉めて下さい!!」

「元栓って何だね?」

「ああっ、もうっ!」


 シアはコンロの奥側にある栓に手を伸ばして閉める。ぽんっ、と甲高い音が鳴ると立ち上がった火炎は一瞬にして収まった。何処かが燃えたり、レーシュネが火傷をしている様子もない。

 今の連邦を作り上げた有名な革命家、ターフ・ヴィール・イェスカならこう言うだろう――彼女の英雄的な行動によって、何の被害も与えられることもなく事態は収束した――と、しかし彼女が振り返るとその被害の全容ははっきりとした。

 シアの前髪はチリチリに焦げ付いていた。恐らく、元栓を閉める時に火に近づいて焼け付いたのだろう。彼女はそんなことには一切気づいていない様子だった。


「コンロに着火するのに能力ウェールフープを使う人が何処に居るんですか⁉」

「スキュリオーティエ叙事詩の時代だったら、普通だったぞ」

「そういう問題じゃありません!」


 俺のどうでもいい注釈にシアは怒り心頭という感じで反応する。彼女はは更に疲れた様子でレーシュネに視線を向けた。


「コンロはこうやってスイッチを入れるだけで火が付きますから」

「ほう、最近は便利になったもんだな」

「最後にコンロを使ったのはいつなんです」

「1992年、第二次国家統一ホメーンアッシオ戦争の時に軍に支給されたストーブバーナーだ」


 それは家庭用コンロですらない。

 シアも呆れて声が出ないという様相であった。レーシュネはなんとなく空気を察したのか、静かに固形ストゥゼル・寒天クリャンを溶かし始めた。

 そんなところで俺も自分の作業――団栗餡バネアートもどきとの格闘に戻ろうとしたところで背後に見守ってくれていたリーナが居ないのに気づいた。周りを見渡しても、その姿は見えなかった。


「シア、リーナが何処に行ったか知らないか?」

「いえ、そういえば見当たりませんね。お手洗いじゃないでしょうか」

「場所は教えたのか?」

「私は教えてませんが……」


 段々と不安が高まってきた。もし、お手洗いの場所を訊くのが恥ずかしかったり、タブーであったりして無断で抜け出したとすれば彼女は今頃道に迷っているかもしれない。そんな時に連邦軍の兵士に会ったりすれば彼女の危険が危ない。

 息が詰まったような感覚に襲われているとレーシュネの足元で何かが開いたような音がした。三人が一斉に音のする方へと視線を向けた。コンロ下の棚が小さく開いて、レーシュネの脛にぶつかっている。良く見ると、その中から誰かがこちらを覗いているようだ。レーシュネはコンロから離れてその扉をそっと開ける。

 コンロ下の狭いスペースに見覚えのある人影が収まっていた。エキゾチックな褐色の肌に銀髪の髪が垂れる。水色の瞳が何事もなかったかのようにこちらを見つめていた。


「リーナ……心配したんだぞ! 何をやってるんだ?」

「火の父を助けようとしていた」

「はい?」


 答えを聞いていたシアが何も理解できていないという感じの声を出す。


「シアがこんろ? すいっち? 押したら火は産まれた。多分、火の父がここに閉じ込められている。それは可哀想」

「ふむ、火の子供と火の母の話はさっきしていたな」

「あぁなんだそういうことか……」


 どうやらリーナは「火の父」、つまり火を付けてくれる人間がコンロの下で火を起こすために閉じ込められていると考えたのだろう。彼女にとって近代的な技術はセンスから理解できていないようだ。

 俺はリーナの元へと近づいて、かがんだ。頭上のコンロを指差して彼女に指し示した。


「このコンロってのは火の父が居なくても火が付けられるものなんだよ」

「火の父が居ないのことに火が産まれる?」

「そういうものだ」


 半ば強引に理解をさせようとする。俺も機械の事は良く分からないし、ガスを出してそれに火花で引火させて持続的に燃焼させる――みたいなことを言ったとしても今のリーナでは理解してもらえないだろう。

 そんなこんなで、リーナはなんとなく言っていることを理解してくれたようだった。安心した様子でコンロ下から出てきてくれた。


(あれだけ酷い目に会ったってのに可哀想な人を救おうとしたんだな……)


 そんなことを考えながら、俺は手元のバネアートを練り続けていた。

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