第二十六話:火の母


「はあ、何でこんなことに付き合わされなきゃいけないんですか……」


 彼女――シア・ダルフィーエ・シアラがはっきりと不満を漏らしたのはそれが初めてだった。一応、俺以外は誰も聞いていないらしい。舌禍になることは無かったようだった。

 俺達は設備の整ったキッチンに立っていた。皆、腕を組んでシアの指示を待っている。

 この調理場は、俺とリーナが家に帰り、タールと無駄話をしている間にシアが見つけたらしい。彼女を巻き込んだのは俺なわけでタダ働き要員として連れて行かれることには別に異存はなかった。何故かリーナも付いてきているが、彼女は何をするのかと興味に満ちた表情で調理場に並ぶ器具を見ている。

 指示待ち人間はダメだと良く言うが本当に分からないことをアナロジーで解決しようとすると碌な結末にならない。シアもそれを分かっているようで今更機嫌を悪くする様子もない。


 ただ調理場にはそこに似合わない四人目が居た。白髪の中年、エリート感が滲み出る顔つき、そしてもっとも現場が似合わなさそうな男――レーシュネ・ボシュニョスツィーニ・シュフイシュコだ。


「それにしても何故長官まで来る必要が?」


 俺は探るような口調で隣に立つレーシュネに問いかけた。彼はそれに反応して腕組をする。まるで歴戦の調理人がごとく。しかしその実、彼が長官クラスのエリート官僚であることをリーナ以外のこの場の全員が理解している。考えてみれば、奇妙な状況だ。


「任せておいたにしても、何を作るか分からないからな」

「別に俺達はテロリストじゃないんですが」

「まあ、料理の出来という話もある。ともかく、私は監視役というわけだ」


 そう言いながらレーシュネは腕まくりをする。監視役じゃなかったのか、やる気満々じゃないか――そんな言葉が口をついて出そうになった。

 シアは無表情で口の端を噛んでいるような表情をしていた。笑いを堪えているのか、「お前ごときが料理の出来について語るとは笑止」とでも言いたいのか。それは分からない。彼女は俺達を半ば無視して一人で準備を始めていた。

 ともかく、これまで会った三回中三回レーシュネの服装はしっかりと仕立てられたスーツだった。そんなフォーマルな姿だったのに今は腕まくりをし、肩からエプロンを下げている。そして、エプロンの柄は可愛らしい絵柄のくまさんと来た。キャリアと服がこれまでにミスマッチすることが人類史上あっただろうか。イミカに聞かせたら彼女も笑うことだろう。

 人類史に思いを馳せていると、リーナに袖を引っ張られた。アクアマリンのような瞳がこちらを見つめている。


「アレン、今からシア達は何する?」

「ん、ああ、言ってただろ? お菓子を作るんだ」


 目の前にはステンレスの台の上に様々な材料が載っていた。ヴェッドブラン渋抜きされたどんぐりやヴァルカーザの蜜、油抜きしたラダウィウム油分の多い苔桃など、連邦人としては良く見慣れた食品だ。

 だが、リーナは何かを探すように周りを見渡してから言った。


「木と火の母が無い。火、使わない?」

「火か? 火なら使うと思うけど……」


 当然ここにはコンロやガスバーナーの類も用意してある。少し引っ掛かったことは「火のデシャフェレド マルサ」という言葉だった。リパライン語にはそんな慣用句はない。そのうえ、何かの製品名としても聞いたことがない。


「リーナ、“火の母”ってなんだ?」

「火を産むのときに火の母に火の子供を預けて、呼びかける。すると、火の母が子供を育てて、イェヤシュで火になる」

「もしかして、火起こしのことか?」


 リーナはこくりと頷いた。

 「火の母」が火口、「火の子供」が火種、「呼びかける」が火口に落とした火種を吹くことだとすれば筋は通っている。ラッビヤ式の火の起こし方について知ることができそうだ。

 レーシュネが横からリーナに視線を向けた。顎をさすりながら、不思議そうにしている。リパライン語が通じるとは思っていなかったようだ。


「ラッビヤではどう火を起こすのかね」

「えっと、木を合わせて火の子供を作る」

「こうか?」


 レーシュネが手を合わせて前後に擦り動かす。恐らく錐揉み式の火起こしを想像しているのだろうが、リーナは「違う」と短く答える。

 彼女は左手を横向きに、右手を縦向きに振って何かを持つ仕草をした。どうやら木を十字に合わせて居るということを表したいらしい。すると、リーナは縦の木の方を激しく上下に動かし始めた。


「こう」

「こうか」

「そう」

「ふむふむ、なるほどこうなんだな」

「合ってる、上手い」


 俺も加わり、二人でリーナの真似をしてみる。どうやら、ラッビヤの火起こしは火溝式のようだ。基盤となる板の木目に沿ってもう片方の木を激しくこすりつける方式だ。レーシュネと共にリーナの真似を続けていると背後から声が掛かる。


「お二人共、何をしているんですか……?」


 ドン引きだ。それが一番的確な表現だろう。シアはドン引いていた。

 そんなドン引きされるようなことをしただろうか? 自分たちの状況を省みて、良く考えてみる。おじさん(俺は20代だが)二人がか弱い少女を挟んで右手を激しく振っている。うん、確かに、客観的に見れば変質者だな。


「いや、違うんだ、シア、これは火を付けるためにだな」

「可憐な少女を挟んで、情熱に火を……!?」

「ダルフィーエ監理官よ、早とちりはいけない。私は潔白でこの男が悪い」

「なんでだよっ!?」


 シアは疲れた表情でため息をついた。


「まあ、なんでも良いですから手伝って下さい。始めますよ」

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