第二十二話:有生性と接近性


 寸法を測っている間、俺はメモ帳を取り出して先程リーナから聞いたラッビヤ語をまとめていた。

 これまで出てきた指示詞のようなものは四つとなる。「マトゥコル」、「ラショル」、「フュナル」、「フュヘル」だ。前者二つは近称「これ」を表す単語で、後者二つは遠称「あれ」を表す単語だった。

 これらが抽出できる理由は「*イミカルン」や「*ヴィライヤルン」(アスタリスクは非文法的≒間違った語法であることを表す)ではなく、「イミカン」や「ヴィライヤン」が正しいと言われたからである。主語を表す標識「-ン」が見いだせる以上、今のところは語尾に頻出する「ル」を名詞の一部として捉えるべきだろう。


(ただ、問題はそこじゃないな……)


 今、疑問となっているのは何故似たような指示詞がいくつも存在するのかということだ。「マトゥコル」や「フュナル」は「A-ム B-ン ニル」、「A-ン ニル」という形で「ニル」と共起するようだ。「ラショル」、「フュナル」は「A-ン B」の形式でしか出てきていない。前者は「ニル」と共起して「人」を等式文で表す文に出現するのに対して、後者は「ヨケル食べ物」や「シャヴィル太陽」のような無生物名詞を主語に取っている。これを見ると、接近性と有生性での使い分けがなされているとするのが妥当なのかも知れない。

 接近性は近さによる指示詞の使い分けのことだ。

 リパライン語では「これ・それ」を表す「フクヮ」と「あれ」を表す「フギー」の二単語を使い分けるが、ラネーメ語族に属するタカン語――イミカの母語であろう――では「」(これ:近称)、「」(それ:中称)、「」(あれ:遠称)を使い分ける。

 有生性は生物と見なすかどうかの性質であり、文法的な扱いが変わる場合がある。

 リパライン語では「同じの」を表す形容詞は生物名詞に掛かろうと無生物名詞に掛かろうと「ダリュ」という単語が使われる。しかし、ヴェフィス語――シアの母語だ――では生物名詞に対しては「デレーユイ」、無生物名詞に対しては「デレーユヮ」という感じに語尾が変化する。

 考えるに「マトゥコル」は近称生物、「フュナル」は遠称生物、「ラショル」は近称無生物、「フュヘル」は遠称無生物に対して使うという使い分けをしているのだろう。ただ、これはまだ考察に過ぎない。接近性は更に区分されるかもしれないし、有生性以外に区別しているものもあるかもしれない。

 正しい理解はインフォーマントのみぞ知る。


「アレンー? ねえ起きてる?」


 気づけば目の前でイミカが手を振っていた。


「寝不足なの? だめよ、睡眠不足は万病の元なんだから」

「いや、寝てたわけじゃないんだがな」


 考え出すと目を瞑ってしまうのは自分の悪い癖だ。言語調査官の新人研修のときも資料編纂で考え事をしてるときに目を瞑ってしまい、「アレン調査官補、居眠りとはいい度胸だな」とまで言われたことがある。思えば教官はレーシュネに似ていたような気がする。

 そんなどうでもいいことを思い出していると彼女の背後から少し疲れた様子のリーナが出てきた。


「体になにかされた」

「大きさを測っただけだろ?」


 そんな身体改造をされたみたいな言い方をしなくても――と思っているとイミカは何かを思い出したように両手を合わせた。


「そうそう、最近は身体改造系のファッションもあるのよ。体に金属を埋め込んだり、肉体を――」


 リーナは身体をぶるっと震わせた。危険を感じて俺の背中の後に隠れる。俺は人差し指をサーベルにでも見立てたようにしてイミカを指差した。瞬間、彼女は言い過ぎたと気づいたのか口を止めた。

 彼女はまた手をわたわたさせて、焦っていた。釘を刺しておくべきだろう。


「リーナにそんなことをしたら、二度と笑えないようにしてやるからな」

「そ、そんなのが出来るのは医療免許を持ってる人だけよ。私はそういうクチじゃないし!」

「なら良いんだが」

「世間話なのにいちいち突っかからないでよっ!」


 何故か逆に怒られた。というか、世間で聞かない話を世間話とは言わない。

 リーナは警戒した様子だったがちらちらとイミカの方を見てはいた。その警戒の仕方は「ブツィニル」の時とは違い恐怖にまみれたものではない。きっと二人で居た時にイミカは彼女の信頼をある程度得られたのだろう。

 話を元に戻そう。そう思って、俺は頭を振った。


「それで、寸法は測れたんだな」

「まあね、これに基づいて数着用意するわ。出来たらまた着せてみて調整ね」

「ありがとう、楽しみにしてるよ」


 完全なオーダーメイドだ。きっと連邦本土でやれば相当な金が掛かるに違いない。リーナの衣服事情はとりあえずこれで解決するだろう。安心して家に帰ることができる。そう思って、玄関へと振り返ったところでイミカの声が掛かった。


「ねえ、アレン?」

「ん?」


 神妙な顔で何かを切り出そうとしている様子だった。彼女の真面目な顔は今まであまり見たことがない。何時もふざけているようなやつだ。一体何の話をするのだろうか?


「キャンプから出た先住民が強盗殺人してるって本当?」

「残念ながら、そうらしいな」

「それならその子、街に連れ出すのって危険なんじゃない?」

「じゃあ、家に軟禁させておくか? それはそれで可哀想だろ?」


 イミカは唸りながら、言葉を探していた。


「とにかく、気をつけてよ。本土とは違うんだから」

「言われなくても」


 そう答えて俺はドアノブを回した。

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