第十八話:彼女自身と話す道


「ちょっと待ってくれよ!」


 聞き覚えのある声が反駁するのが玄関の方から聞こえる。陽光がカーテンを通して部屋に差し込んでいた。視界は至って普通の朝を訴えていたが、聞こえるものはそうではなかった。


「人の部屋にいきなり侵入して許されるとでも?」

「合鍵を持ってんだよ!」

「適当なことを言って、どうせピッキングや異能ウェールフープでも使っているのでしょ。残念ながら私は異能保持者ケートニアーですよ」


 痛みが残る体を起こして、玄関へ向かう。そこでは腰まで伸びた黒髪のメイド服少女――シア・ダルフィーエ・シアラが仁王立ちをしていた。ぱちぱちと火花が弾けるような音が聞こえる。どうやら、何かが帯電してショートしているらしい。きっと、シアの異能ウェールフープの力なのだろう。臨戦態勢である彼女の髪は通路いっぱいに広がっていた。

 彼女の肩越しに見える玄関の先には尻もちを付いたまま目を回しているタールが居た。彼の両脇の通路にはビニール袋の中身がぶちまけられている。


「一体何の騒ぎだ」

「この男がいきなり部屋に侵入してきたので、件の強盗かと思いまして」


 どうやらシアには既に言語翻訳庁ほんてんからデュインの状況を伝えられていたらしい。俺はあくびをしながら彼女の肩に触れる。すると、シアは何かを察したのか、闘気を抜いた。広がっていた髪がさらりと背中に収まる。


「そいつは俺の友人なんだが」

「……あら」


 シアは目をぱちくりさせて、俺の顔をじっと見る。頬に手を当てて困り眉になった。


「ヴィライヤ先生、もしかして寝ぼけておられます?」

「寝ぼけてても身近な人ってのは分かるもんだろ。そもそも強盗が白昼堂々入ってくるかよ」


 今度はタールに視線を向け、かがんで彼に近づいた。近づく彼女にタールは首を引いた。


「彼の知り合いということですが」

「ああ、大先生のお友達兼タール・タクシー社長で、強盗のタールタイ・アケーモニムだ」

「おい……余計なことを言うなよ」


 シアの背中越しに言う俺をタールは半目で見上げていた。

 散乱した品物をシアとタール、そして俺で回収して彼を部屋の中に招き入れる。リーナはといえば、いつの間にか俺が寝ていたベッドに移動していた。未だに大の字になってぐーすかと寝ていた。そんな彼女の様子を見てタールも安心したようだった。


「まったく、アレンが可愛い女の子になったのかと思ったぜ」


 軽口を叩くタールをシアは睨みつけた。


「強盗と言やぁ、例のキャンプからの脱走者の奴。遂にぶっ殺された奴が出たらしいな?」

「詳細は分からないが、そのようだ」

「犯人は捕まったのか?」

「貴方でしたら、私は懸賞金が貰えたでしょうに」

「何? 懸賞金が出てるのか?」

「知らないけど、出てないんじゃないのか?」


 タールは頭の上に疑問符を浮かべたような顔になっていた。シアがタールを睨みつけ、タールが買ってきたお土産らしきものを並べているうちに俺は書類棚から一枚紙を取り出し、年月日を書き出す。それに気づいたタールが紙を指差してくる。


「何を書いてるんだ?」

「聞き取ったラッビヤ語のメモだよ」


 思い出せるうちに、そして次の受難に会わないうちにリーナから聞いたラッビヤ語の資料をまとめる必要がある。訊いた内容が記憶喪失で吹っ飛んだりすればことだ。これまで起きてきた異常事態を考えると妄想ということでもないだろう。

 三人で騒いでいるといつの間にか、リーナがベッドから起きてきた。彼女は俺に近づくと、ペンと紙を興味深そうに見つめていた。


「何描いてる?」

「ん、これは文字だけど。デュテュスン・リパーシェ、読めるか?」


 デュテュスン・リパーシェはリパライン語を表記する文字の一つで最も一般的なものだ。現代語はこれ以外で書かれていることがほぼ無いとも言える。

 そんな文字を見ながら、リーナの表情はしかし難色を示していた。


「文字は分からない……」


 それを聞いてタールが不思議そうな顔をする。誰に訊くでもなく呟き出した。


「ラッビヤ人には独自の文字があるって聞いたんだが、それでは読み書きしないってことなのか?」


 それに反応したシアはタールを鼻で笑った。


「分かってないですね」

「なんだよ、勿体ぶらずに言えよ」

「文字があったとして、私達みたいに識字率が高いとは限らないんですよ。実際、リーナさんは読み書きが出来ないようですし」

「ところで、アレンは何の文字でラッビヤ語を書いてるんだ?」

「リパーシェだが……まだ正確じゃないと思う」


 語彙を集めて、音韻目録を作り、何回も考察を繰り返す。それ以外に特定の言語の音韻を知る術はほぼ無いだろう。音韻が分かれば、それと正書法の対応を考える。そのうちラッビヤ語の正書法が出来上がるだろうが、そうやって正書法が出来るまで書かないという選択は不可能だ。

 一番最初に聞いたものを適当に書き写している以上、その正確性には当然疑問が呈される。


「そうか。いずれラッビヤの言葉を使ってリーナちゃんと話せると良いんだが」


 いつの間に焼いたのかユープラを片手にタールはそう言っていた。シアも、俺もそれを否定することは無い。何せ、他人の言語にもっとも興味を持って、大切にしようとしているのが我々言語翻訳庁の職員なのだから。


「そうだな」


 俺は静かに答えた。

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