第十七話:住み込みのエリートさん


 結局検査の結果、傷は大したものではなく、その日のうちに宿舎に帰してもらえることになった。付添とはいえシアが付いてきたのは不服だったが、彼女が居なければ宿舎に戻ることすら出来なかっただろう。にしても、年下の少女に面倒を見られるとは全くもって度し難い。

 自室に帰るとすぐにベットに横たわった。緊張から解き放たれ、しばらくは惰眠を貪りたかったがシアの存在が何かと気になった。

 彼女はメイドらしく家事をやってくれている。三人分の食事を有り物で作ってくれた。料理の腕も信頼に値する。

 エリートの言語保障監理官たるものが人の家で家事手伝いをやっていると思うと滑稽だが、人の住処に無理やり住み込む以上これくらいはやってもらわないと困る。


「そういえば、ダルフィーエ監理官」

「シアで良いですよ。同居しているというのに水臭いご主人様ですこと」


 シアは皿を洗いながら、呟く。ちなみに今洗っているその皿はデュインに到着してから一回も使っていないのだが、まあいい。無駄働きしてもらおう。光熱費、水道代の全ては公費で賄われているため、細かいことを気にする必要もない。


「俺はご主人様になった覚えはないが」

「で、ご質問はなんですか?」


 遮るように彼女は言った。


「なんで基本的に着ている服がメイド服なんだ?」


 いつの間に着替えたのか、シアの服はシックなワインレッドの物に変わっていた。しかし、メイド服であることは変わらない。安アパートの一室のような部屋の中に居るのを見ると風邪の時に見る幻覚にでも思えてきてしまう。そんな感じのミスマッチだった。


「何か問題でもありましたでしょうか」

「いや、そんなことはないが…… 実を言えば最初から疑問だったんだ。言語保障監理官ってもっと“政府職員です”って服を着るもんじゃないのか」

「偏見ですね」

「いやまあ、そうなんだが……」


 かといって、わざわざ動きにくい服装をしている言語保障監理官というのはどうなのだろうか。テロリストと対峙しても彼女は一歩も動かずに敵を殲滅しそうだが、言語保障監理官は戦うよりも歩き回るのが仕事な気がする。

 ぱっとしない話をしていると足元に座っているリーナが首を傾げた。彼女たち二人はどうやら俺が気絶している間にお互いの名前を知ったらしい。


「シアはこの村に住む?」

「まあ、村じゃないけどここに住むのは間違いじゃないな」

「本土に比べれば村みたいなところですけどね」

「言い得て妙だな」


 本土で連邦軍に因縁を付けられて殴られることなんて、万一無いだろう。政府関係者と軍人が殆どを占めるここはある意味村社会的なところもあるのだろう。

 天井を眺めながらそんなことを考えていると足音がこちらに近づいてきた。音のする方へと視線を向けると食器を片付けたシアが柔和な笑顔を見せてきた。その手にはバスタオルを持っている。


「お風呂はお先に入られますか?」

「リーナを先に入れてやってくれ、かれこれ三日以上は風呂に入ってないはずだ」


 自分でそう言っておきながら、それにしては彼女から異臭がしなかったのは何故だろう――と疑問を抱いた。だが、そんな疑問をよそにシアはリーナの肩に触れてから、身振り手振りで風呂場に誘導していた。

 そんなこんなでしばらくすると流水の音が聞こえてくる。リビングは何かがぽっかりと空いたように寂しくなった。


「もともと、俺しか居なかったというのにな」


 ここに来てから今日で二日目だが、見慣れてしまった天井にそう呟く。レーシュネを除けば、会う連中がことごとく騒がしい。だが、紛争の危険に常に晒されているこのデュインという地で生きていくにはあれくらいの図太さのようなものが必要なのかもしれない。

 そんな変な納得をしていると、先程まで静かだった風呂場の方から物音が聞こえてきた。流水の音に混じってリーナが「シア、やめて!」と何度も繰り返しているのが聞こえる。シアがそれに答える様子はない。何か異常なものを感じて、風呂場の方を伺った。


(……まさか、もしかして)


 考えられる最悪の可能性、それが想起される。シアもラッビヤ人に恨みを持つ人間だとしたら、言語保障監理官だというのは全部ウソだとしたら、二人っきりになり急所を晒すような状況はその目的に好適じゃないだろうか。兵士連中から救ったのも一人で復讐するための計算の範疇だとすれば、リーナが危ない。

 レーシュネの言葉が脳内に反響する。『案外、危険は近くにあるものだからな』と。


「リーナ!!」


 何の意味もなく彼女の名前を叫んでしまう。全身が痛むものの、立ち上がって風呂場の方へと進む。恐怖で息が変に上がっていた。足がもたれて、ふらつき、壁に何度かぶつかりながらもたどり着く。すりガラスで作られた風呂場のドアを乱暴に開けた。


「大丈夫か、リーナ!!」


 そこに居るのは二人の少女、一人は褐色の肌でその銀髪は濡れて艶かしく光を反射していた。その髪にはところどころ微妙に泡が残っていた。まるで洗い残しのように。もう、一人は腰まで届く黒髪の少女。シャワーヘッドを褐色肌の少女の頭に向けていた。

 そして、当然二人は場所相応のあられもない姿になっていた。湯気の中に浮かび上がる彫刻のような曲線美。比率の整った体型、くびれがはっきりと目に映り込む。

 刑事訴訟を避けるため、俺は自らの両目を腕で覆った。それはもう、失明させる勢いで。


「あら? どうしましたか、ヴィライヤ先生?」

「ど、ど、ど、どうもしてないですわよ!」


 気が動転して使ったこともない役割語が口をついて出る。シアのくすっと小さく笑う声が聞こえた。


「一緒に入りたいのであればそう言って下されば良かったのに」

「そういうわけじゃない! 水攻めされてると思ってだな!」

「あら、そういう趣味の方でしたか?」

「黙れぇい!!」


 冷静に考えれば、リーナがシャワーに慣れていないだけなのははっきりしている。一体何故こんな衝動的な行動をしてしまったのか、自分でも検討がつかない。


「アレン、一緒に水浴びしたいの?」


 今度はリーナの声が聞こえた。これ以上面倒なことにならないように俺は次の行動を決めていた。


「もう寝るから、ほっといてくれ」


 シアが背後から何か言っていたような気もするが、無視してベッドに飛び込む。無駄に神経をすり減らした。きっと良く眠れることだろう。

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