第十二話:全てに火を通しております


 居留地に来てから二日目、この街のことは殆ど全くと言っていいほど分かっていない。食事処がどこに存在するのかも全く知らないことになる。かといって、家に帰ればタールが買ってきた甘味しかない。この時点で俺達には目についた食事処に入る以外に選択肢はなかった。

 ラッビヤ人居留地は本土からも離れていれば、出来て間もないような都市だ。だからこそ、あまり贅沢な食事が出来るわけではないだろう。それはそうとして、こんなところで扱っている料理が一体何なのかということには興味が湧いていた。

 やっとのことで見つけた店は通りの影に面していた。どうやら繁盛しているようで店内は客でごった返していた。レストランというよりは市民食堂で、ガラスに無機質な字体で印刷された店名は「アルジェタル全てに火を通しております」だ。一体どんなノリでこの店名を付けたのか問いただしたくなってくる。

 もしかしてと思い、店に入る前にリーナに訊いてみた。


「もしかして、ラッビヤの人たちが食べるものって生のやつが多かったりするのか?」

「そのまま食べるものと火に入れるものがある。でも、なんでそれ訊く?」

「まあ、そうか……いや、なんでもない。忘れてくれ」


 店内に入っていくとその殆どが軍人であるように思えた。連邦軍の軍服を崩して着ている連中が多い。彼らが座っているテーブルの間をボーイが忙しそうに行ったり来たりしている。内装はどこ風とも言えないような質素なもので椅子も机も安物っぽいものだった。恐らく駐屯する兵士たちの腹を満たすために作られた食堂で本土から急ごしらえで持ってきたものを使っているのだろう。

 リーナは入った途端に店内を興味深そうに見回していた。しかし、多くの人に見られているのに気づくと隠れるように俺の背後に動いた。彼女に緊張を与えないような相席にならない適当な席を見繕って座る。彼女は一瞬どうすれば良いのか良く分からなかったようだが、俺を真似るように隣に座ってきた。肩が触れ合う距離にリーナが居る。こちらを警戒せずにリラックスした様子だった。一日でお互いの信頼関係を大分深められた気がする。


「これでいい?」

「あ、ああ」


 嬉しさに心が暖かくなっていて、答えにどもってしまう。ボーイはこちらの存在にやっと気づいたようだった。取り敢えずそれを呼ぶために手招きをする。ボーイは張り付いたような笑顔のままこちらに近づいてきた。


「おすすめはなんだい?」

「スーイバイモーベーンにスッサデシュ、サウンシピャ・ユープラ、あとは普通のラネーディンもありますよ」

「ふむ、リーナはどんな物を食べたいんだ? 何でも良いぞ」


 リーナは視線をそらして、静かに考えていた。

 温かいものを食べたいのであれば胡椒で調味された山菜の入った魚ベースのスープ――スーイバイモーベーンを頼むし、腹持ちが良いものをお望みなら団栗澱粉をういろう状に加工したスッサデシュを頼む。味が濃いものなら、厚めのフラッドパンでベリーまたは油脂ベースのソースの掛かった肉を挟んだサウンシピャ・ユープラは良い選択だろう。ラネーディンはバランス良くバリエーションを揃えた定食で、三つのうちのどれでなくても満足することだろう。

 何でも来いという意気で答えを待っていたが、開かれた彼女の唇から漏れた言葉は予想とは真逆のものであった。


「私はラッビヤ料理が食べたい」

「ん、今なんて……?」


 ボーイは怪訝そうにリーナを見つめた。周りに居た連邦軍の兵士たちもさっきまでの騒ぎをトーンダウンさせてこちらに注目していた。強盗や死者が出ている以上、彼らもラッビヤ人に良い思いはしていないだろう。

 集まる視線に一気に身の危険を感じた。


「あ、ああ! 脂身ニョチヤかあ、でもここは焼肉屋ドルツェアヴァルじゃないからなあ~! 取り敢えず二人分、スープとサウンシピャ・ユープラを頂くよ!!」


 冷や汗が背中を流れていた。ボーイはそれを伝票に取ると何も言わずにさっさと厨房の方に戻っていく。しかし、背後の兵士たちは未だにこちらを見ていた。リーナも居心地悪そうに身じろぎしている。兵士たちは暫くすると先程と同じように騒ぎ始めた。一旦安心を感じたが、同時に危険が身近にあることを再認識して身が震えた。

 もはや、居留地に居る脅威はラッビヤ人の一部だけではない。リーナを保護している以上、ラッビヤ人に憎しみを感じている連邦人も十分脅威となる。最悪の場合、リーナの身は危険になるだろう。

 そんなことを思っているとボーイが注文した料理を持ってきて目の前に並べた。


 ここのスーイバイモーベーンには牛肉が入っているようだ。スープの上には透き通った黄金色の油が浮いている。ショーラ魚を燻製した調味料の独特の香りに申し訳程度に混ざっているのはファーマッドごま様の多年草油の香りだろう。サウンシピャ・ユープラの方はウォルツィーリュージェ青い葉を付けるガマズミ様の常緑低木に付く赤い漿果のソースと共に挟まれているようだ。十分に腹を満たせそうな分量に見える。

 隣りに座るリーナは運ばれてきた料理に目を輝かせていた。

 落ち着いた所で俺は匙を取ってスープから頂く。冷めた体に染みるようだ。胡椒が全体の香りを引き立てる良いスパイスになっていて、それでもって体も温まってきた。

 リーナもまた見よう見真似でスープを口に運ぶ。すると驚いたような表情になって「シュハムアッルシュム……」と呟いた。落ち着いて食べていたかと思えば、ユープラの方も掴んでガツガツ食い始める。見た目によらず食い意地は野生児のようだった。


「食べ物は逃げないから、もっとゆっくり食べても良いんだぞ」

「……獣、すぐに捌かないと逃げる。ラッビヤ、食べられる時に食べる」


 リーナは頬にウォルツィーリュージェのソースが付いたままそう言った。真面目な顔で。


「逃げる、か……」


 ユープラとスープに足が生えて逃げるのを銀髪を振り乱しながら追いかけるリーナの姿が脳内に想起される。ついくすっと笑ってしまった。

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