第六話:Harmie co'd ferlk es?


「おい、合鍵を渡しているとはいえ、ノックくらいはしろ」


 俺は玄関に立つタールを人差し指で指しながら言った。彼はビニール袋を二つ持って部屋の中へとどかどか入ってゆく。


「気にしてやってるってのにその扱いは無いだろ?」

「はいはい、すまなかったよ。で、その袋は何だ」


 タールは両手に持った袋を部屋の中心に下ろす。中には様々な食べ物が入っていた。彼は胸を張って自慢気にしていた。


「栄養のあるものを食べさせろって言ってただろ? だから、色々と探しておいたんだよ」

「本当か、丁度良かった。今彼女が起きたところなんだ」

「何? それならもっと早く伝えろよ」

「君、連絡手段を寄越さなかっただろ」


 「そうだったっけか」と言いながらこめかみを掻く彼を横目に俺はビニール袋の中身を確認する。ウォルツァスカ花の蜜をソフトグミ状にしたお菓子リウスニータ香辛料入りミルクセーキの素、フラン・ネストニータココナッツを加えたリウスニータの副産物バネトレフどんぐりの澱粉を糖化させた水飴ユターシェ白樺の樹液……甘いものばっかりだ。


「お前の好みで買ってきたのか? デザートだらけじゃないか」

「あ? 男がデザート好きだと悪いのか?」

「そんなことは言ってない。栄養価が高いとはいえ、飽きるだろ?」


 人間、時には塩辛いものや酸っぱいものも食べたくなる。飽きが来れば食事を摂るのも億劫になるだろう。そうなれば、彼女の回復は遠くなる。

 少女の方を見ると彼女はじっとタールの方を見て警戒している様子だった。彼女にとってはタールも二人目の良く分からない外国人に過ぎない。俺はタールの肩を引っ張って少女の方を向いた。


「大丈夫、彼は俺たちの仲間だ」

「仲間?」

「そうだ、君を病院に連れて行ったのも彼だし、彼は君のために食べ物を持ってきてくれた。覚えていないか?」


 少女は考えるような仕草をして、弱々しく頷いた。やはり、覚えていたか、と納得したところでタールは首を傾げた。


「ん? 今のはどっちだ? 覚えていないことの肯定なのか、覚えていることの肯定なのか」


 はっとした。否定疑問への答えの解釈には二つのタイプがある。「Aではないか」という問いに否定で答えた場合に「Aである」となる言語と「Aではない」となる言語である。リパライン語は後者のタイプで「覚えていないかソ トゥアン ニヴ?」という問いに「はいヤー」で答えると覚えていないことになる。タールの母語であるユーゴック語もこのタイプに属する。しかし、ラネーメ人が話すラネーメ語族の言語などには前者のタイプのものもある。ラッビヤ語が後者のタイプであるとは限らない。

 そして、そもそもラッビヤ人のジェスチャーが俺達と共通というのも根拠のない断定に過ぎない。はっきりとしたことは少女に言葉で答えてもらわなければ分からないのだ。


「そういえば、名前は分かったのか?」

「ああ、そういえば、確かに訊いてなかったな」


 タールは少女に近づいて自分を指差して言う。少女は依然警戒した様子だ。


「俺はタールタイ=アケーモニムだ。あいつはアレン・ヴィライヤ。君は?」

「タールテー……アケーモニル? アレル・ヴィレーヤ?」


 少女は首を傾げながら、名前を復唱している。良く分からなかったようだ。


「タールタイ=アケーモニムは彼の名前だ。アレン・ヴィライヤは俺の名前。俺達は君の名前が知りたいんだ。どうやって君を呼んだら良い?」

「……ユルティンギ・ティーラヒータ・ウィーッラナ・リーナ・ブツィニル」

「何だって?」


 タールが声をひっくり返して問うと、彼女は少し不満げな表情になる。


「私、ユルティンギ・ティーラヒータ・ウィーッラナ・リーナ・ブツィニル」

「な、長いな……どれで呼んだら良いんだ?」


 確かにリパライン語やユーゴック語における名前もすごい長さになることがある。俺の名前だって正式には「アレン・アレン・ヴィライヤ・フォン・アーヴィ・フォー・エヴィーレーラプタリュー・ユンカー・ヴェラエジャ」というものだ。

 ただ、そういった完全な名前を使うのは相当かしこまった場所になる。リパライン語の話をするなら、日常的に使う名前の単語の数は「レシェール・ヴェンタフ」や「ターフ・ヴィール・イェスカ」のように二つ、三つだ。彼女が答えた名前は恐らく正式な名前にあたるのだろう。


「名前はリーナ」

「リーナか、俺はアレンと呼んでくれ、あいつはタールと呼ぶと良い」


 リーナはこくこくと頷いた。

 それにしても気になるのは「ブツィニル」という単語だ。キャンプで会ったラッビヤ人の青年も「リーナはブツィニル」と言っていた。しかし、リーナはブツィニルを名前の最後の単語として提示している。普通、「アレンはヴィライヤである」なんてことは言わない。そう考えると、ブツィニルは個人を特定する名前というより、特徴を表す形容詞や称号のようなものではないかと考えられる。


「リーナ、ブツィニルというのは何なんだ?」


 それを聞いた瞬間、リーナの体が瘧に罹ったかのように震えた。表情は恐怖に怯えているようだった。さっきまで安心していた彼女の雰囲気は一変して、何かから逃げるように毛布の中に潜り込んでしまった。

 タールと互いに顔を見合わせるも何が起こったのかは理解できなかった。

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