第二話:愉快な奴


 行政庁から出てきたときには頭の中は真っ白になっていた。長官にカッコイイセリフを吐いてしまったのは、それ以上の議論を中断してこの場からすぐに去りたかったからなのかもしれない。異世界デュインが紛争に巻き込まれているとすれば、言語調査だけでスローライフな生活を送ることなど夢のまた夢だ。

 髪をかきあげて冷静になろうと務める。だが、前任が死んだという事実が重くのしかかっていた。何事もなく路肩の屋台からは喧騒が聞こえてくるし、車や人が行き交っている。長官の言葉に反して目の前の風景は平和だった。


「おいおい勘弁してくれよ。俺は数分停めてるだけなんだぜ?」


 その喧騒の中に聞き覚えのある声が混じっていた。聞こえてきた方向に顔を向けると行政庁のすぐ脇に一台の車が止まっていて、外から警察官に睨まれている。車窓の中に見える顔はさっき別れたばかりのタールだ。彼は難しい顔をして警察官に向き合っていた。


「ここに駐車しちゃだめな法律になっているんですよ。ほらそこに標識があるでしょう? 規則に沿って罰金をですね」

「あー、えーっとなあ」


 タールが答えに困っているところに割り込んでゆく。助ける義理もないが、無視する理由もない。


「お巡りさん、そいつはうちの貸し切りタクシーだ。行政庁に用があって待たせてたんだよ」

「本当ですか? ここに駐車すると紛らわしいんでやめて下さいね」

「はいはい、次からは気をつけるよ」


 納得できない様子だったが、追い払うと警官は去っていった。タールが車内からニカッと良い笑顔を見せてくる。それに笑顔が返せるほどの気力は無い。俺はすぐにでもどこかに座りたかった。タールの車のドアを開けて、ドカッと助手席に座る。


「貸し切りタクシーだって? 面白えこと言うじゃねえか」

「なんで、君はここに居るんだ?」

「そりゃ、仕事が入ってこなくて暇だったからな。お気に入りの曲を流しながら昼寝でも、と思ってたらサツが来てて驚いたな。”そうだ、ここは行政庁だった!”ってね」

「愉快な奴だな、君は」

「それ褒めてる?」

「さあな」


 席に深く座り込んで、ただただ空を見上げる。様子がおかしいことに気づいたのか、タールはこちらを覗き込んできた。無言のまま、彼は不安そうな顔をしていた。


「タール、難民キャンプまではここからどれくらいだ?」

「難民キャンプ? なんたってそんなところに――」

「どれくらいの時間が掛かるんだ」


 圧を掛けるように言うとタールは肩をすくめた。


「20~30分くらいだな。さほど遠くはないぜ」

「そんなに近いのか? 連邦人の密集地帯と3サナローエシュ約18キロメートルくらいしか離れてないじゃないか」

「まあ、そうかもしれないな。だが、難民キャンプは連邦軍の監視下にあるんだろ?」

「はぁ……」


 額に手を当てながら深くため息をつく。同時に覗き込むタールの表情は心配そうなものになった。


「デュインがこんなに危険な場所だとは思わなかった」

「ははっ、怖気づいたか?」

「俺は君ほど大胆じゃないからな。役所の前に違法駐車してお得意の曲を掛けながら昼寝はしない」

「おっとっと、耳が痛いこと言うねえ。それじゃあ、どうする? アレンは本土に帰るってわけか?」

「それは……」


 空をもう一回見上げてみる。デュインの空は連邦から見上げる空と同じようなものにも感じるし、違うようにも感じる。


「せっかくだから、ラッビヤの人たちとは一回会っておきたいんだ。これで最後というわけではないけど、そのために来たんだし」

「よし! そうと決まったら善は急げだな?」


 そう言いながら、タールは車にエンジンを掛ける。力強いエンジン音が聞こえてきた。未知の言語との出会いを思うと、何だか元気が出てくる。一目見て、それで言語特務局ほんてんに何も分からなかったと報告すればいい。それで終わりだ。


「タール、難民キャンプまで頼めるか?」

「あいよ、さっき窮地を救ってくれたお礼もしなくちゃな」

「窮地って……そんな大げさな……」


 そんなことを言っているうちに車は発進した。舗装されていない道を車体を跳ねさせながら進んでゆく。まるで公園の遊具に振り回されているようだった。


「本土の道もこんな感じなのか?」

「まさか、連邦本土はしっかり舗装されてる。君の国のほうが酷いんじゃないか」

「王国があるのは平野だぞ。舗装されていないにしてもここまで酷い道はねえと思うけどな」


 タールは首を傾げながら答えた。

 彼の出身国、“王国”は連邦ともデュインとも別の異世界カラムディアに存在するものだ。連邦はデュインと邂逅する以前に王国と出会ったことによって異世界の存在を既に認知していた。しかし、その時は平和的な接触であったのに対して、今のデュインはその正反対ということになる。

 言語特務局が騙すようなことをしたのもそういった混乱から生じたのかもしれない。そう思えばある程度納得はいくが、それでも自分の身を守るためにはなるべく早くここを去るほかないだろう。

 そんなことを思いながら、俺は道中の風景を焦点の合わない目でぼんやりと見ていた。


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