第一話:自分の身は、自分で守れ


「こんなところまでわざわざご苦労さまだ、エレン君」


 目の前にいるのはスーツ姿の痩せ気味の中年男性だ。ネクタイは地味な色と柄をしていて、髪は白髪だ。その顔と雰囲気にはエリート層の匂いがぷんぷんとしている。彼はふてくされたような顔でこちらを見てきた。

 俺はタールと連絡先を交換し別れた後、行政庁の中へと入っていた。受付が直接長官の執務室に通してくれたのは意外だったが、どうやら先んじて言語特務局うえが話をしていたらしい。


「長官……俺はアレン、アレン・ヴィライヤです」

「そうだったかね、君。まあ君の名前など、この居留区ではどうでもいいことだ」

「はあ……」


 フィールドワークの慣例として、その土地の政府関係者には話を通しておいたほうが良いというのがある。国内ならまだしも、国外で無断で調査を行えば変な活動と勘違いされて拘束されたりすることがある。挨拶しておけば治安が悪い場所でも適切なサポートや助言が貰える可能性が高まる。だからこそ、ここに挨拶しに来たのであるが、長官の態度はどうにも鼻につくものだった。


「だが、私の名前は覚えておいたほうが良い」


 そういって、長官はこちらに名刺を出してきた。名刺には「ラッビヤ人ラッビヤスザド居留区カンフィテスタヴァレン行政庁 フェビカシュトヴァル 臨時イーシェ行政長官 ジェパーフェビカシュト レーシュネ・ボーシュニョスツィーニ・シュフイシュコ」と書いてあった。リパラオネ系ともラネーメ系とも違う名前の雰囲気に疑問を抱く。


「珍しいお名前ですね…… 生まれはどちらですか?」

「リナエスト人だ。毎度名前を読み間違えられるから困ったものだな」

「はあ……」


 お前が言うか――という言葉を喉元に押し込み頷く。リナエスト系人はリパラオネ系やラネーメ系と共に連邦を構成する三大民族の一つだ。連邦は多民族国家だから、こういったことが良く起きるが大抵は長官のようにリパライン語が通じるので不便はない。もっとも、デュインのような異世界ではもちろん話は別だ。先住民がいきなりリパライン語を話してきたら言語調査官が灰になって消え去るだろう。

 レーシュネは一つため息をついてから、俺に視線をやった。


「それでイレーン君。君の任務だが」

「アレンです。えっと、俺はラッビヤ人の言語と文化風習の調査を――」

「――して、その情報を紛争調停に役立てることだな」

「……へ?」


 つい変な声が出てしまった。レーシュネもそれに気づいたのか、怪訝そうにこちらを見てくる。


「ふ、紛争ですか?」

「ああ、聞かなかったか。この異世界デュインと連邦が邂逅してから、ここはテロの温床になると連邦政府による安定化の対象になってきた。それに抵抗する形で先住民は連邦軍との間で紛争を続けている」

「それは……知りませんでした」


 フィールドワークに行く以上、現地の情報は出来るだけ出発前に手に入れるべきだ。しかし、言語特務局が渡してきた情報は些細なもので、聞けばデュインは邂逅したばかりで情報がないとのことで俺は納得してしまった。考えてみれば、提供されていた情報が不自然にとぎれとぎれだったのも気になる。

 考えられるのは一つだけだ。紛争地に言語調査官を送るために意図的に情報を操作した。タールが危険だと言っていたのは普段の治安のことではない。紛争中のデュインという真の姿だったのだ。


(騙された……のか?)


 混乱と共にふつふつと怒りが湧き上がってくる。こんなやり方で調査官を送り出す必要が何故あったのか。それを問いただす必要があった。


「紛争があるなら、より多くの言語調査官を派遣すべきだったのではないんですか? 何故、俺だけを」

「派遣させてる。しかし、それでも足りない」

「足りない?」


 レーシュネは背後を指差した。そこには見たこともない地形図のようなものが貼られている。海岸線が複雑に入り組む地形はある意味内陸国である連邦では見られない地形だ。地図はデュインのものなのだろう。


「紛争中の地域だけでもデュイン全体で十数の先住民が居る。ラッビヤ、サイパオプ、ドゥバーギョ、タフター、シャレドゥノマ……数え切れない先住民にそれぞれ調査官を派遣している」

「そんな……ありえないじゃないですか。国内には大量の調査官が居るはずです」

「もちろん今の人員自体が足りないわけではない。だが、まあ察してほしい。君の前任は死んだ」

「死ん……は?」


 驚愕のあまり身が震えた。何せデュインに来たのは長い時間を掛けて言語調査をしながら、ゆったりと異世界で暮らすためでもあったからだ。そのスローライフの夢は早くもレーシュネの一言で砕け散った。

 レーシュネは気だるそうな表情を変えずに話を続ける。


「君の前任は前線のラッビヤ人集落を調査中に連邦軍の空爆に巻き込まれて死んだ。だから、我々が君に助言できることはラッビヤ人居留区から出るなということだけだ」

「でなければ安全なんですか?」

「そうでもない。武装解除したラッビヤ人は全員居留区の難民キャンプに収容されている。軍が出入りを監視しているが、何が起こるかは分からん。逃げ出した奴らが強盗を働いてるという話も聞く。それに連邦本土とは違って軍や警察が完全に機能するとは限らないからな」

「……」


 執務室は静寂に包まれた。予想に反した状況に理解が追いついていない。だからこそ次の彼の行動は更に混乱を加速させた。


「まあ、精々頑張って生き抜くことだ。自分の身は、自分で守れ」


 そう言いながらデスクまで移動すると、レーシュネはその引き出しを開いて黒光りするものを取り出して、俺の目の前に置いた。正真正銘の拳銃だ。だが、俺はそれをレーシュネのほうに押し戻した。


「これは……要りません」

「どういうことだ」


 レーシュネは驚いたような表情でこちらを見ていた。


「言語調査に、拳銃は要りませんから」

 

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