アレン・ヴィライヤの言語調査録――“先生”は荒事に好まれている

Fafs F. Sashimi

プロローグ:言語調査官アレン・ヴィライヤ


 異邦とはこんなものだろうかと首を傾げた。街からは大都市と遜色ない賑わいが感じられる。飛行場出口の裾には新聞を読みながら朝をゆったりと過ごすために伝統飲料リウスニータのドリンクスタンドに人が集まっている。これは連邦本土の風景と何ら変わらない。ただ、異邦っぽさがないわけでも無かった。残念な意味で。

 連邦軍の軍服を着て、自動小銃を下げている人間が真顔で横を通り過ぎて行く。路肩に止められている車には仰々しい政府の機関の名前ばかりがプリントされている。本土なら何か起こったのかと疑うくらいの光景だ。


「まあ、そりゃそうだよな……」


 察しが付いて、ついつい独りごちってしまう。

 そう、ここは異世界のうちの現世界なのだ。




 ここ、ラッビヤ人居留区は近年始まった“連邦”と異世界デュインの邂逅によるいざこざのうちに出来た。連邦は異世界のうちに居留区を作り、相手側との調整を行っている最中らしい。だからこそ、今は役人や軍人しか入れない。詳しくは伝えられていないが、ここにはラッビヤ人という異世界人が居るらしい。

 俺の任務はそのラッビヤ人の言語と文化風習を調査することだった。


 新しい世界の誰も知らない言語を調査できる。そう思うと好奇心に胸が躍る。ただ、ドキドキとワクワクに胸を一杯にして来たデュインの風景が色褪せた本土のようだったのは少しがっかりだった。しかし、ここは入り口に過ぎない。この先にラッビヤ人の世界が広がっていると思えばなんてことはない。


 と、そんなことを思っていると視界の端から何かがこちらに近づいているのが見えた。へらへらしながら誰かがこちらに近づいてきているようだった。その顔に面識はない。


「やあやあ、あんちゃん! デュインは初めてか?」

「あ、ああ……まあ」

「これからお仕事ってところか?」

「そんなところだけど、君は誰だ?」


 派手な色のポロシャツに白いズボンを合わせている。泥がはねればすぐに汚れそうだ。話しかけてきた男は自分と同じくらいの背丈で、顔つきは柔らかな感じだ。へらへらしているのが何かと頭にくる。


「いやあ、ここは車が無いと動きづらいからなあ。あんちゃんも困ってるのかと思って」

「……“あんちゃん”はやめてくれ、アレンだ」

「よろしく、アレン! 俺はタールタイ=アケーニモム、タールと呼んでくれ!」


 タールと名乗った男の背後には車が一台止められていた。本土で見るような安物とは違って、荷台の部分がしっかりと作られているようだった。タールは視線に気づいたのか、車を一瞥して笑みを浮かべた。


「やっぱり足が無いんじゃないか? 近くまでなら載せてやるぞ?」

「ちょっと待て、身分証を出せ」

「身分証?」


 タールは不思議そうに語尾を上げた。

 国外では睡眠薬強盗などに加え、拉致なども横行する。見知らぬヤツの口車に乗せられて、乗ったが最後食い物にされる事例は絶えない。タールがそのような犯罪者である可能性は拭いきれない。残念だが、疑わざるを得なかった。

 タールはポケットの中をまさぐって、何かを取り出した。本来首につけるようなストラップ付きの身分証、それをこちらに見せてくる。


総務省KOI界間-外交局FIWF……って、まさか政府の人間なのか!?」

「委託されてるから実質は民間だよ。そんな疑わなくてもここは政府関係者以外先住民しか居ないぜ?」

「すまない。ちょっと、気が立ってて」

「そんなことは良いから乗れよ。タール・タクシーは最速でお客様をお届けするぞ!」


 あまり面白くないジョークに苦笑いしながら、タールの車に乗り込む。車のダッシュボードにはユーゴック語のステッカーが貼られていた。ユーゴック語は“王国”に住むユーゲ人たちの言語だ。王国と連邦の関係は深く、学校で大概の人間はユーゴック語を学ぶ。それにしても読めないあの文字は恐らくププーサ体という字体なのだろう。読めないことで有名な字体だ。しかし、宗教関係で良く使われることを考えれば、あれは彼らの宗教の聖句とかなのかもしれない。


「タール、君はユーゲ人なのか?」

「まあな、こっちは危険な代わりに一攫千金だから出稼ぎに来てる。ところで、行き先はどこなんだ?」

「ああ、居留区行政庁まで頼む。臨時行政長官に挨拶しないといけないんだ」


 タールはエンジンを掛け、シフトレバーを操作しながら「ん?」と素っ頓狂な声を出した。


「居留区行政庁ってお偉方ばっかのとこだろ? アレンってもしかしてお偉いさんなのか?」


 俺は首を振る。


「言語特務局ってところから来てるんだ。敢えて言うなら研究者ってところかな」

「研究者がこんなところに何をしに来るんだ?」

「フィールドワークだ。ラッビヤ人の言葉と文化風習を調査して本土に戻って報告する」

「……それって何の役に立つんだ?」


 良くある質問、その一。「その研究って何の役に立つんですか?」だ。反射的に「お前の人生は何の役に立つんですか?」と言いかけてしまうが、出てきそうな言葉を毎度喉元に押し戻している。相手だって悪意があって言っているわけではないだろうし。


「まあ、ラッビヤ人と話せるようになったり、文化や風習が分かれば無駄に俺達と衝突する必要は無くなると思うんだ。お互いに配慮できるようになるだろ? 俺達リパラオネ人が酒を禁忌としていることが分からなかったら、ユーゲ人が葡萄酒エハムシャストを食卓に出すかもしれない。こういった必要のない衝突が減らせる」

「なるほどなぁ」


 納得したタールは頷きながら、ハンドルを回す。車窓から見えるものは連邦本土では見られないような自然だ。少し進むたびに舗装されていない道路は車をがくがくと揺らしてくる。


「見えてきたぞ、あれが居留区行政庁だ」


 タールが指差す先に白塗りのまさに役所という感じの建物が見えてくる。建物にはリパライン語で大きく「ラッビヤ人ラッビヤスザド 居留区カンフィテスタヴァレン 行政庁フェビカシュトヴァル」と書かれていた。

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