2話目:2年と3ヶ月ぶりの追伸


 私はセミです。

 ぁあ、1話目のセミとは、別のセミです。

 1話目を読んでいない? それはケシカランですね。腐葉土にしてやろうか!


 という冗談はさておき。

 私の年次集団はⅩⅢ。2024年に羽化します。


 あの野郎は、東京オリンピックが1年延期された結果、無事オリンピックイヤーゼミになれたようです。

 まぁ、さして羨ましいわけでもないですが。


 ところで。

 カクヨムは今年で6周年だそうですね。

 某T原S一郎氏まで引っ張り出して、色々イベントをやっているようです。


 T原S一郎氏と言えば、朝までテレビが代名詞なわけですが、17年前に比べれば、あの番組が持つ影響力も随分大人しいものになったのではないでしょうか。

 と言っても、私に17年前の記憶はないわけですが。


 そんな身でも、隔世の感みたいなものを、覚える今日この頃です。


 ところで。

 地上では、コロナウイルスとか言うやつが猛威を振ってから、かれこれ2年以上が過ぎたようですね。

 こちとら、一生の大部分が土に籠もりっぱなしのライフスタイルですから、旅行に行きづらいとか、祭りを開けないだとか、友人達と飲み会はできないとか、そういう痛みは良く分かりませんけれども、


 どうも昨今は、時間の流れ方の違いに、想いを巡らせることが増えました。


 同じ学徒でも、就活浪人をしている者の1年と、大学院でモラトリアムを伸ばした者の1年とでは、時間の流れ方が違う。

 同じ対面形式の大学講義でも、コロナ禍前に入学した学徒にとっての1時間半と、コロナ禍後に入学した学徒にとっての1時間半とでは、時間の流れ方が違う。


 同じ家族でも、いつお迎えが来るかも分からない老人の1年と、向こう何十年かは生きるつもりでいる若人の1年とでは、時間の流れ方が違う。

 同じ青年でも、給料日を待ち望んで通勤電車に揉まれる者の1週間と、ソシャゲの★5キャンペーン期間を待ち望んで薄給のバイトをこなす者の1週間とでは、時間の流れ方が違う。


 似たような言い回しは、他にいくらでもできます。


 同じ国家指導者でも、積年の恨みを晴らそうとする老輩の1日と、今まさに怒りに震えている若輩の1日とでは、時間の流れ方が違う。etc.……


 考え方の違いも、認識のズレも、価値観の相違も、全ては、時間の流れ方の違いに由来するのではないか。


 隣で眠る、違う年次集団のセミを見る度に、

 私はそう、思うのです。




 2022年。5月29日。

 どこかの土の底から、カクヨムの皆様に愛を込めて。

 ジュウシチネンゼミより。
















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ジュウシチネンゼミより愛を込めて 七海けい @kk-rabi

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