静かにめぐる季節に想う
耀
静かにめぐる季節に想う
僕の彼女は僕が話しかけると時々笑う。以前の時のようにぎこちなくない自然な笑顔で。
だが、それは医者によると言葉を理解して笑っているのではなく、生理的な現象なのだそうだ。
医者からは、このまま目覚めないままの可能性は高いと、いつその時が来ても覚悟はしておくようにと言われている。
だから僕は今日も彼女の病室に向かう。万が一僕のいないところで最後の日を迎えてしまったなら、一生僕は後悔し続けるだろうから。
でも今日は4年前と同じく彼女が目覚めるかもしれないといつもより期待してしまう。
今日は4年に1度しかない彼女の本当の誕生日で、そして8年前のこの日、彼女の誕生日を祝ったデートの帰り道に事故にあったのだった。
「4年に一度しかないこの日をあなたと過ごせて幸せ、6歳も7歳一緒に過ごせたらいいね」
あまり冗談めいたことを言わない彼女からのその言葉は本当にうれしかったのもあるが、少し笑ってしまったのも今でもはっきりと覚えている。
それだけ彼女は4年に一度の誕生日を子供のように楽しみにしていた。付き合い始めてからの彼女の様子からは考えられないが、聞くところによると小さいころは「私2歳! 」とかかわいいことを周りの人ににっこりとしながら言いまわっていたらしい(彼女の母親談)。
高校一年生の時に出会ったころにはもうそのようなことはなく、笑顔の少し下手なけれども周りのことを考えて行動できる女性に成長していた。
僕は病室に入る。
病室の中には彼女以外は誰もいなかった。机の方を見ると彼女の好物であるイチゴが置かれていたので朝に彼女の両親が来ていたのだろう。イチゴが入っているかごにはメッセージとともに彼女の両親の名前が書かれていた。心なしかいつもよりイチゴの数が多い気がする。本当の誕生日だからだろうか。
僕は荷物をわきに置く。外はもう暗く、窓のガラスは病室の明かりを反射してこっちの様子を映す鏡みたいになっているので外の様子は分からずこっちの様子が客観的にわかる。
僕はカーテンを閉めた。そんなことは教えられなくても嫌というほど分かっている。
椅子に座り彼女の方をじっと見る。人工呼吸器の規則的な音だけが室内に響く。
「梓、誕生日おめでとう、あれから二回目の本当の誕生日だな」
僕は努めて明るくそして目を閉じないように言う。
彼女の反応はない。笑うこともなかった。
「本当は嬉しいんだろ、昔みたいに「私、7歳」とかやってもいいんだぞ、俺以外見ていないんだし」
「私、7歳」の部分を両手の人差し指で頬を抑えながら小首をかしげてかわいく言う。
それでも彼女の反応はなかった。俺はその後、ひとしきり最近あったことを話す。だが少し広い病室の中をその言葉で埋めることはできなく、少し声を大きくして埋めることもいつも通り空しいだけだった。
僕の言葉が終わるとまた人工呼吸の音だけが室内に響く。
着いた時間が遅かったのかあっという間に時間は過ぎてしまって面会時間ももうあまり残されていなかった。
僕は真剣な表情を彼女に向ける。
その時こちらの病室に向かって足音が響いてきた。足音で分かる。彼女の父母である。
やがてノックの音がして、彼女の両親が入ってきた。僕の姿を見つけると少し驚いたようだったが、二人して見つめあって頷いた。
「颯くんいつもありがとう」
父親が話しかけてきた。
「いえ、お二人もこんな時間に珍しいですね」
「誕生日だからもう一度あっておきたいと思ってね」
母親が泣きだす。それを父親がなだめる。僕は嫌な予感がした。
「すまないが、少し席をはずしてくれないかな? 」
僕の嫌な予感は確信に変わった。だが今は口に出すことはしない。
「終わったら呼んでください」
おとなしく荷物をまとめて病室を出る。
確かにいつかは来る問題だと思っていた。自分が口を挟める問題ではないというのも分かる。
両親も悩みに悩んで決断したのだろう。
しばらくして彼女の両親から呼ばれた。二人とも泣いていた。
「今日で最後にしようと思うんだ、今日先生には言ってきたよ」
父親が切り出す。僕は不思議と涙は出なかった。覚悟はしていても実際に言葉にされるとその問題は大きすぎてどう反応していいのか分からなかったといった方が正しかった。
「そうですか、今日で終わりですか」
「颯君にはこの8年いや、梓と付き合ってからの12年本当に世話になったな、ありがとう」
父親が頭を下げる。母親もそれにつられて頭を下げる。二人の目にたまっていた涙が床へと落ちる。
「いえ、こちらこそ梓さんには大変お世話になりまして」
僕も頭を下げる。現実が少しずつ頭で理解してきていたのか、僕の目からもいつの間にか涙が出ていてそれが床へと落ちる。
それをぬぐって、僕は一つ深呼吸をする。そして両親の方を向く。
「お義父さん、お義母さん、本当はお二人には明日報告する予定だったのですが、一緒に聞いてもらいたいことがあります」
「何かな、颯君? 」
「僕はずっと、梓さんとお付き合いさせていただいてから決めていたことがあります、12年付き合ったらプロポーズしようと。 そしてそれは彼女の誕生日にしようと。 だから今言います。 結川 梓さん僕と結婚してください」
そして彼女の方に向かって手を差し伸べる。
しばらく沈黙が続いた。
「君の人生は君のものだ。 梓をこれ以上背負わなくていいんだよ」
父親の声は優しく諭すようだった。
「背負うんじゃないんです。 彼女とともに歩いていきます」
「そうやって一生梓に縛られているつもりか!」
父親の声が少し大きくなる。
「私は、私たちは、梓から君を解放してあげたい思いもあって今回決めたんだ、思いを汲んでくれないか? 」
「いくら、お二人の言葉でも聞き入れられないですね、彼女が嫌というなら身を引きますが」
「私は結婚には反対だ、もう充分なんだよ」
目に涙をたくさん貯めながら父親は言う。母親も頷く。彼女以外の全員が同じ顔をしていたと思う。
「僕はまだ充分ではないです、これからも梓さんとともに生きていきたいんです」
僕は二人に向かって土下座をする。
「結婚を認めてください、僕は彼女とともに生きていきます」
「颯君、すまないがもう一度席をはずしてくれないか、三人で話したいんだ」
「分かりました」
それからもう面会時間も終わってしまうくらい、いやもしかしたら終わったのかもしれない時間に再び呼ばれた。
「私たちは賛成も反対もしない、それは梓自身が決めることだから、だが娘を不幸にしたら許さないからな、それだけだ」
それだけ言うと両親は病室を出ていった。足音が遠ざかっていく。
「賛成はしてくれなかったな、どうする? 」
俺は問いかけるが彼女の返事はない。
「というわけで、僕と結婚してください、共に生きていきたいです、お願いします」
もう一度改めて手を差し伸べる。
その時彼女の眼から涙が一筋流れたような気がした。
僕は泣き笑いの表情で言う。
「それはどっちの涙だよ、イエスって受け取るぞ」
キスもできない顔を見つめる。あの日と変わらない顔がある。
「あーもう、返事がないからイエスってことにしまーす、5、4、3………」
冗談めかして少し大きな声で言う。
「0、イエスってことで」
看護師がやってきて今日はもう終わりだと告げる。僕は返る準備をして、最後にもう一度話しかける。
「明日からもよろしくな、梓」
静かにめぐる季節に想う 耀 @you-kagami
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