昼間の星見は大樹の下で
瀬塩屋 螢
女神の報酬
村の巫女である私は、祭りの為の存在だ。
物心つくころには、祠の中だった。暗くて、狭い私の居場所。外に居るのは祭りの間。祭壇の中で過ごすほんの僅かな時間だけ。
着る物も食事も与えられた。言葉も、巫女であるが故に教えられた。
四年前まで私は、それで幸せだった。巫女として使命を果たせる。それを幸せと定義するのだと、教えられていた。
疑問を抱かなければ。祭壇の外を自由に走る彼らを羨ましがらねば。
私は
(……嗚呼、空が青い)
呆気なく押し出せた岩の隙間から、光と空が見えた。
ここは、村の最南端の洞窟の中にある祠。祭りの度に私が住み変わる
その祠の壁面であったはずの堅牢な岩は、私の手によって倒され、外の世界に繋がっていた。
前に一度、こうして外の世界を見たことがあるとは言え、未だに信じられない。
こうもあっさりと、外に出られるだなんて。
私は、恐る恐る倒した岩を踏むように、光の中へ飛び込んだ。
涼しい風だ。風は
こんな時間に外に出たのは人生で二回目だ。
もう二度と、味わえないかもしれない。
私は胸いっぱいに空気を吸い込む。
祠の中よりも清々しい香り。これは潮の香りと言う物らしい。
祠の裏手は洞窟の出口で、砂地になっている。本来ならばここは海の水で満ちているのだが、祭りの日だけは水が退く。そう教えてもらった。
水が退いて現れた砂の道は、短い時間だけしか通れない。
そう教えてくれた彼は今年もいるのだろうか。
まっすぐ続く砂の道の先に目をやる。そこに確かにある、一つの島。
それの存在感に招かれるように、私は歩き出した。
祠に
祠の近くは、聖域とされ村の住人が迷い入ることはない。
砂の道を歩く間。何度自分に言い聞かせたか。
紗を持ち上げ、島の方へ近づく。
その島は、縦に長い岩で囲まれている、岩の塊にしか見えない。
しかし、こうして近付いてやれば、道の延長線上に岩の隙間があるのが分かる。
岩同士の隙間はあれど、先は暗い。けれど、私は躊躇わない。
四年前に一度この島へ彼と来て、私はこの先に何があるのか知っているから。
身体をくぐらせ、岩の間を進む。
滑らかな岩の断面は滑りやすく、手を添えながら歩く。
二つ岩を抜けると、視界が開けた。
そこには別世界が広がっている。
岩に囲まれた島の内部は、昼間なのに、それほど明るくない。
一本の大樹が、太陽の光からここを蓋するように生えているのだ。
見上げれば、光で透けた葉脈の隙間から太陽が微かに顔をのぞかせている。まるで星空のようだ。
星空を作り上げた大樹の幹の元へ歩く。地面は踏みしめるごとに柔らかい。
枯れ落ちた木の葉や果実が溜まっているのだ。
今年、来年、その先の新しい
幹の根元に着いた。そこには祠と同じ形のものがある。
とても小さく、私の膝元位までしかないが。
祠の前に膝をつく。
そして、手をあわせる。
この島についても、この祠についても私は何も知らない。
村の大人に聞いてたら、この島へ行ったことがバレてしまうので、ずっと一人で考えていた。大人たちも知っているのか分からない。
けれど、おそらく私達巫女と同じ役目をおった誰かが、いつの時代か守っていた祠なのだろうと思う。
せめて彼女らが静かに眠れるように。
強く目を閉じてそう願い終えると、タイミングを計ったみたいに、
「やぁ」
と、声が掛かった。その一声だけでも美しく甘い響きの男の人の声だと分かる。
声がした方向に目を向けると、大樹の上の方の一際大きな枝に、もたれ込むように座るとても美しい人がいる。
声を聞かなければ、女性に見紛えていたであろう、その肢体。上質な紗に似た光沢を放つ長い髪。顔立ちは凛としていて、初めて見たとき、この地の女神様に違いない。そう思った。
「また会ったね。で、間違ってないかな?」
岩の隙間から、強い風が吹いた。大樹が木の葉を震わせる。
木の葉の波に乗って、彼は音も経てず、私の前に舞い降りた。
「また、会えましたね」
昔あってからちっとも変っていないその姿に驚きつつ、冷静を装うように、その言葉を返す。
「よかった、四年も待った甲斐があったよ」
彼、ラスティは穏やかにそう言って、微笑んだ。
土から飛び出た、大樹の根の上で私はラスティと隣同士で座っていた。
本音を言えば、ラスティは木の上で、私が地べたで十分だったのだが、ラスティが譲らなかったので、こうなってしまった。
彼の膝の上と言う
「待つ。と言うより、心配だったんだ」
「心配……?」
「四年前に出会った君はまるで、人形のようだったから」
会っていないうちに、元に戻ってしまっていやしないかと。
彼の苦しそうな口ぶりに、私は少しだけ申し訳なくなった。
せめて、毎年来れない事だけ伝えておけば良かったんだろうか。
「あ、そんな暗い顔しないで」
「でも……」
「イズリがここに来てくれただけで私は、とても嬉しいんだ」
ラスティは子守唄を聞かせるように、ゆっくり口にする。
その口調は真剣で、私は満ち足りたような気持ちになる。
「ラ」
彼の名前を呼ぼうとした瞬間。
彼が私の身体を抱きかかえた。
柔らかく抱きしめられ、強く耳を抑えられる。
耳の奥の方にぐぐもった破裂音が届いた。
一瞬の出来事だった。
私は訳が分からず、それでも彼を信じるように抱きしめ返した。
しばらく、そうしていると、不意にラスティの抱きしめていた力が緩んだ。
嫌な、予感を覚えながら、ゆっくり顔を上げる。
険しくも静かな表情のラスティが向く方へ首を向けた。
そこには、面を被った
面は動物を模したもので穴はない。笑っているはずなのに、不気味だ。
いつの間にここにいたのだろうか。数人の白い服を着た間者は、何か黒煙を上げる筒を持って、村に続く出入口で立っていた。
間者の一人と目が合う。
間者はおもむろに、膝を折りその場に座り込む。
それに付き従うように他の間者も一様に、その場に膝をついた。
「巫女様」
仮面で濁った声が、呼ぶ。
「オ戻リクダサイ」
「村ヘ」
「洞窟ヘ」
「祠ヘ」
「「「オ戻リクダサイ」」」
ぞろぞろと間者たちは頭を下げる。
下げた頭は一向に戻らず、私の返答を待っているように見える。
私は、掴んでいたラスティの服から手を離した。
「イズリ」
離れそうになった手を彼が握り、小さく首を横に振る。
「四年前私は君に言った『他の世界に行く私に会いに来い。私はここで待っているから』と。君のッ……」
「巫女様ヲ汚スナ」
「ラスティ!!」
ぼん。
と鈍い音がして、ラスティに
強い衝撃だったのか、ラスティの身体が傾く。
「やめなさいっ!!」
彼の身体を抱きしめて、私は間者を怒鳴りつけた。
そして、心を決めた。
祭りの明かりをぼんやりと眺めた。
村に戻ると、私は一人になることがなかった。
まるで逃げ出さないようにするかのように。
逃げる気など、とっくにない。
私はもうあの島へも行かない。
彼らの思う巫女になる以外道はないらしい。
唯一色の広がる星空を見上げる。
あの島で見た美しい光景によく似た空は、私をただ見下ろしている。
『シャン……』
『シャン、シャン……』
『シャン、シャン、シャン……』
星が音を鳴らすような、軽くよく響く不思議な音が聞こえた。
白い壁がみるみる揺らいで、私の前に道が出来た。
道の奥からは、先ほどの音に合わせ、何かが近付いてくる。
国の紋章の旗を掲げた、緑の装飾のそれは、軍団のようだった。
一人の男が先頭に立ち、木々の騒めきのように滑らかで、力強い動きが躊躇いなくこちらに近付いてくる。その先頭の男は女神のように美しい。
女神は、止まることなく、止められることなく私の目の前まで来た。
そして、恭しく頭を垂れると、手を差し伸べてきた。
「さぁ、行こう」
私はもう一度彼の手を取った。
後で知ったことだが、ラスティは国の中のとても偉い人だったらしい。
そして知っての通り、私は村を出た。それから先は、また別の話だ。
昼間の星見は大樹の下で 瀬塩屋 螢 @AMAHOSIAME0731
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