初めてのお酒と初めてのお誘い

新巻へもん

いざ行かん

「4年に一度ねえ」

 どんな話の流れだったか。ヒロの質問に答える前に私は目の前のコップにちょっとだけ口をつける。オレンジの香りと甘みと酸味が口の中に広がった。でも、それだけじゃない。ほんの微かな苦みのようなものが含まれている。そして、喉を滑り落ちていくと体が熱くなった。


「それ、口当たりがいいけど結構きついからな」

「知ってますよ~」

「知識としては知っていても体験するのは始めてだろ。一緒にいるのが俺だからいいけど、気を付けないと意識失ったら大変だぞ」


 はいはい。もちろん存じておりますよ。スクリュードライバー。不名誉な二つ名はヴァージンキラー。私のような幼気な可愛い女の子を酔わせて悪いことをしようと企むような男の必需品。今日は私が20歳になって初めての記念日だ。なんの記念日かと言えば、私の横に座っているヒロがなけなしの勇気を振り絞った記念日。


 4年前のあの日、ヒロは自宅近くの公園にアイスを奢るという名目で私を誘い出した。ミンミンと蝉が喧しく鳴いていたのを覚えている。そして、もじもじとした挙句、ヒロはやっとその言葉を口にした。

「えーと、俺と付き合うっていうのはダメ?」


 その瞬間、世界からヒロの言葉以外の音が消えた気がする。私の方でも幼馴染のヒロのことは憎からず思っていたけれど、最後の一歩を踏み出さないことにやきもきしていたところだった。私は2つ条件をつけて承諾した。高校生の間は清いお付き合いとすること、他の異性と二人きりにならないこと。


 この間、色々とあったけれど、一応お付き合いはまだ続いている。今日も一緒に買い物をした後に、こうやって昼はカフェになっているカジュアルなバーにやってきて宵のひと時をすごしているのだった。ちょっとオシャレしてるんだけど、ヒロのやつは分かってるのかなあ。外側だけじゃないんだけど。


「ちゃんと約束は守ってますからね。ヒロ以外の人と一緒にお酒を飲みに行ったりしないもん」

「そうはいってもさ。ミキはその……可愛いだろ」

「それは否定できないなあ」

「自分で言うなよ」


 その可愛いカノジョとキスより先に進んでいないのは誰でしたっけ? 付き合い始める前はチラチラと私に変な視線を向けていたくせに、その後、未だに清い関係が続いている。同じ大学に進み、同じサークルに所属して、周囲も公認のカップルなんだけど、付き合いが長くなりすぎて、もはや家族みたいな感覚だ。


 それでも、ヒロから求められれば拒否はしないという心の準備はしている私。だけど、肝心のヒロが紳士的というか、奥手というか……。私たちには共通の趣味にしているカードゲームがある。その勝負をしているときは思い切りのいい手を仕掛けてくるのだけれど、そっち方面ではまったくその片鱗が無い。


「それで、4年に一度だっけ? オリンピックはどう?」

「開催していない年があるよ。1940年」

「ああ、そっか。じゃあ、ベタだけど、うるう年」

 これならどうだと胸を張ったがヒロは小憎らしい笑いを浮かべて手でバツ印を作った。


「どうしてよ。4年に一度でしょ」

「残念でした。100年に一度はうるう年にならないんだよ」

「だって、私たちの産まれた2000年はうるう年だったじゃない」

「そう、100年に一度はうるう年にならないけど、400年に一度はうるう年になる」


 ヒロはハイボールをガブリと飲む。そして、物凄く偉そうな顔で解説しはじめた。

「太陽の周りを地球が回るのは、実は365日ぴったりじゃなくて、365.2422日になる。.25なら4年に1日追加すればいいけど、これだと増え過ぎちゃうだろ。だから調整するのさ」


 あまり自然科学は得意じゃないはずのヒロが得意げに語るのが憎たらしい。

「まあ、紀元前の段階で公転周期が365.25日と計算していた古代ローマ人も凄いけどな。これがユリウス暦。それを.2425に修正するグレゴリウス暦ができるのに1500年以上かかってるんだから」

 なんてことはなかった。ヒロは歴史オタクだ。そういうことなら納得だ。でも、男女がバーでする話なの?


「それじゃあ、何でも知ってるヒロくん。私たちがお付き合いをはじめて何日か分かるかな?」

「もちろん」

「じゃあ、答えてよ」


「今日が記念日だってことぐらい覚えてるよ」

 なんだ覚えてたのか。よろしい。ならばご褒美をあげよう。

「365掛ける4足す1だろ。だから1451日だ」

「残念でした。1461日よ。酔っちゃって計算間違えたわね」


 ここで一呼吸。熱を持った頬に手を当てながらヒロを見つめる。もう大サービスだぞ。

「私もちょっと酔っちゃったみたい。ここ出よ」


 店を出るとヒロの腕に捕まる。飲んでいたのは繁華街の栄町にあるお店だ。駅に向かうなら左に行かなければならない。右にはまだ利用したことのない施設が何軒か点在している。固まったヒロは逡巡していた。しょうがないなあ。これで最後だからね。

「こんなチャンスはそうだねえ、4年に一度しかないかもしれないぞ」


 熱い吐息がヒロの耳に吸い込まれていく。ヒロはぎこちなく私の腰に回した手に力をこめると右へとギクシャクとした足取りで歩き始める。私はヒロに体重を預けた。

 

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初めてのお酒と初めてのお誘い 新巻へもん @shakesama

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