クォーター・バースデイ
稀山 美波
ハッピーバースデイ・トゥ・ミー
今日、ぼくは十歳になった。
周りの大人たちが二十歳と三十歳とか言う度に、自分はまだこの世界に入れない子供なのだと痛感していた。九才だったぼくには、二桁の年齢というのはとても大きな壁に思えていたのだ。自らの年齢を口にすると、『自分はまだ子供だ』という感覚がぼくの中に染み入ってくる。
けど、今日からは違う。
ぼくも、二桁の年齢になったんだ。
大人たちの世界に、足を踏み入れた。
部屋の隅にある勉強机の棚から、ぼくは手鏡を取り出して覗いてみる。昨日までとは違う、どこか大人びた自分がそこにはいた。どこか凛々しく、自信に満ち、強張った大人の顔だ。
久しぶりに鏡を見て、鼻の下に髭が生えていることに気が付いた。
髪の毛にも、数本白髪が混じっている。
九才だった頃に、こんなのがあっただろうか。いや、きっとない。ぼくは確実に大人になっている。やっぱり十歳は違う、大人なんだ。
勉強机から離れて、少し部屋の中を歩き回ってみる。
見慣れたぼくの部屋だが、どこか一回り小さく見えた。ベッドも、本棚も、テレビも、すべてがぼくの眼下にある。今までは、ぼくの特別な空間にある特別なものたちに見えていたそれが、どこかありふれた変哲のないもののように感じられた。
やっぱり、感性も大人に近づいているんだ。
『この臨場感、圧倒的な画質、君もこの感動を味わおう! 新型ゲーム機、定価は――』
部屋を歩き回るのも疲れ腰を下ろしたぼくは、テレビをつけた。
液晶の向こうでは、つい先日に発売となったゲーム機をプレイする子供たちが映っている。
無邪気に笑うその子たちを見て、『まだまだ子供だね』だなんて大人ぶった感想を述べてみるけれど、ぼくはそれが欲しくてたまらない。十歳と言えども、世間的にはまだまだ子供だ。新しいゲーム機をプレイしたいに決まっている。
第一、今や大人だってゲームを趣味にしている時代だ。
大人になったぼくがゲームに夢中になっていたって、なんらおかしいことはない。そうさ、そうに決まっている。
『今年、2020年といえば……そう! 東京オリンピックです! 日本中が楽しみにしている東京五輪が――』
ゲームのコマーシャルも終わり、夕方の情報番組になった。東京に建設されているオリンピック会場の目の前で、綺麗なアナウンサーが笑顔を振りまいている。
会場を作るのにかかる経費がどうだとか、選手村がどうだとか、難しいことはぼくにはわからない。大人の仲間入りをしたからといって、わからないものはわからない。そうさ、結局のところ、ぼくはまだ子供なんだから。わからないものが多くたっていいのさ。そうだ、それでいいじゃないか。
『2020年の夏が楽しみですね! この次の四年後、2024年では――』
――トン、トン
2024年の夏季五輪の開催地はどこだっただろうか、その頃にはぼくは何歳になってるんだろう。そんなことを考えていると、部屋の扉をノックする音があった。
ママが来たんだ。
誕生日には、さっきコマーシャルでやっていたゲーム機が欲しいとお願いしていた。きっとママは、それを持ってきてくれたに違いない。
リビングには、ぼくの十歳の誕生日を祝い飾り付けがしてあるのかな。ケーキとチキンはあるのかな。早くゲームがやりたいな。パパは今日は早く帰ってきてくれるのかな。ママとパパとぼくで、三人でケーキを食べるんだ。
ぼくは期待と喜びで胸をいっぱいにしながら、ママの言葉を待った。
「ねえ、お願い、部屋から出てきてちょうだい。二月二十九日が誕生日だから四年に一度しか誕生日が来ないんだ、なんて馬鹿なことを言ってないで。あなた、今日で四十歳になったのよ。大人どころか、初老の仲間入りなのよ。今ならまだ間に合うわ、部屋から出てきて話をしましょう」
扉の向こうでは、何やらママが泣きながら叫んでいる。
何で泣いているか、ぼくにはちっともわからない。大人の言うことはやっぱり難しい。子供のぼくには、十歳のぼくには、まだわからない。
『2024年のパリオリンピックに向けて、各国も盛り上がりを――』
ああ、そうだ。
ぼくは次のオリンピックについて考えていたんだっけ。
2024年――四年後には、ぼくは十一歳か。
その頃にはどんなゲームが出ているのかなあ。
クォーター・バースデイ 稀山 美波 @mareyama0730
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