∞第14幕∞

 ゆらのはめいっぱいおかわりをした後みたいに胸がふくれて、息をはいて幸せな苦しさを逃がした。

 とはゑはこくんとつばを飲みこんで、それでももうちょっと食べられそうっていう雰囲気で物足りない口をもごもごと動かしている。

 そんな二人を白金しらかね未言巫女みことみこが抱きしめた。

 細くて折れそうな体からは枯れた命の、老婆のにおいがした。

 割烹着からは煮物で染み付いたふくよかでやさしいおしょう油のにおいがした。

 そして手のひらからはなぜか、みずみずしくふっくらとした白米の甘いにおいがした。

「おめだちはほんっっっとに、いいごだちだなぁ。おらぁ、幸せだぁ」

 そう言った田の白金の未言巫女はにおいだけはそのまま未言少女たちをつつんで、けれどその姿は未言草子みことそうしに納まって消えた。

 ぱたんと未言草子が勝手に閉じてとはゑの手のひらに物質としての重みを乗せてくる。

「あはは。戦わないで終わっちゃった。こんなこともあるんだね」

 ゆらのは疲れたようにそう言って、でも満足そうに後ろのとはゑにもたれかかる。

 とはゑはゆらのの体を支えながら身をゆすった。

「ん、ごめん、重い?」

 ゆらのがたずねるけれど、とはゑは首を横に振ってその長い黒髪がゆらのの首筋をくすぐった。

「ん、んぅ」

 さらさらしたとはゑの髪の毛先は思ったよりもこそばゆくて、ゆらのはのどから出そうな変な声をぎりぎりで口の中に押しとどめる。

「どしたの? ……もしかして、あたしの文字でなんかだめなの、あった?」

 ゆらのはとはゑの詩に応えられなかったのかもと不安そうに聞くけれど、それにもとはゑは首を横に振った。

 そしてゆらのを床にうやうやしく横たえると、一人ですっくと立って閉じたばかりの未言草子を片手でかかげる。

 どうしたのだろうかとゆらのは上半身を起こして後ろ手を付いて支えてた体勢で、とはゑを眺める。

いまことばにあらざる者よ〉

 とはゑの呼びかけに応じて未言草子が小さな手のひらの上で浮かび上がった。

いまことばと語られぬ事よ〉

 未言草子のページが開き閉じるたびに、光が吹き出してとはゑの長い黒髪をおどらせる。

〈その想い記されしページを芽来めくれ〉

 そしてとはゑの目的のページに至ってぴたりと動きを止めてそこに納まる未言は主による招集まで静かにひかえる。

〈田の白金〉

 たった今しがた納まったばかりの未言がとはゑに呼び出されて姿を現した。

 田の白金はゆらのとちがって、どうして自分が呼ばれたのかよくわかっているようで、にこにこと目尻のしわを寄せて小さくてかわいい主のお願いを待っている。

 とはゑは待ちきれないとばかりににぎった両手を胸の高さにあげてその場で何度も跳ねる。

「ぼたもち、ぼたもち」

 期待にふくらんではじけるとはゑの声に、ゆらのもやっとどういうことかわかった。

 そういえば、後でね、と言った覚えもある。やるべきことは終わったんだから、もう、後で、になっていたんだ。

「わがった、わがった。すぐに作ってやっがら、たんと食わせ」

 たすきがけにしたひもを結び直して着物のそでを上げる田の白金に向けて、とはゑはそれはもう元気よく何度も何度もうなずいている。

「とはゑがそんなに活発になるなんて……食い意地って、すごい」

 ゆらのはぱたんと背中を床に落として、かわいた笑いを天井に向かって立ち上らせた。

 それから田の白金は山のようにぼた餅を作ってくれた。お盆に乗せたそれをとはゑは居間のこたつの天板まで運んで、ゆらのをこたつに押し込んだ後に出て行ってしまった。

 せっかくのぼた餅をそのままにしてどこに行ったんだろうと思っていたら、とはゑは千秋の手を引いてすぐに戻ってきた。

「あ、ああんころ餅だ。す、すごいね、こんなにたくさん。ふふ、二人で作ったのかい?」

「はい、そうなんです! とはゑがいるからいっぱい作ったんです!」

 千秋の疑問にゆらのは間髪入れずに勢いで答える。

 とはゑはきょとんと目を丸くしているけど、同意を求めない。妙乃たえのに対して起きた失敗をゆらのは繰り返さず、強引に千秋の手を引いて座らせてうやむやにした。

 それに、このぼた餅は田の白金が作ってくれたけれど、その田の白金を未言草子に綴じて作ってもらえるようにしたのはとはゑの詩とゆらのの文字だ。そういう意味で二人で作ったといってもまちがいじゃない、とゆらのは自分も納得させる。

「う、嬉しいな。い、いただきます」

 千秋はぼた餅を一つつまむと、途端に目を見開いた。そして笑顔でとはゑの頭をなでる。

「す、すごくおいしいよ、ほ、ほほ、本当においしい」

 大好きなお父さんになでられて、とはゑは嬉しそうに目を細める。それからいつもの通り、大きく口を上げてのどの奥を千秋に見せた。

 千秋がその口へぼた餅を一つ運ぶ。

 あーん、ととはゑはそれを受け止めると、幸せそうにほほを両手で支えてもぐもぐと甘さを噛みしめる。

 ゆらのはそんな親友のかわいい顔を見てたら、もうそれだけでお腹いっぱいになりそうだった。

 それでぼた餅に手を付けていないのに、とはゑが気づく。

 とはゑが小さな体を乗り出してぼた餅をつかんで、千秋に乗り越えて反対側にいるゆらのに差し出した。

「あー、ん」

 とはゑは口を開けるようにゆらのを急かす。

 ゆらのははずかしそうに千秋の顔をちらりと見て、でも、仕方ないかと小さく口を開いた。

 とはゑはようしゃなく、ゆらのの口の中へとぼた餅を押し込むから、ゆらのの口の周りがあんこでべたべたになる。

 それでもみんなで一緒に食べるぼた餅は、どんなごちそうよりもおいしかった。

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未言少女ゆらの*とはゑ 奈月遥 @you-natskey

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