∞第13幕∞
とはゑはじっとゆらのを見つめている。そのまなざしになんとなくキラキラしたものがまざっているのをゆらのは感じ取っていた。
とはゑはいつも通りにだまったままだけど、いつもよりはなにを考えているのかわかりやすい。
ゆらのがそう思ってとはゑを見返していたら、とはゑの小さな手がゆらのにのびてきて、くいくいと服をつまんで引っぱられた。
「ぼたもち」
とはゑははにかむように、けれどしっかりと発音した。
とはゑがちゃんとイシヒョージをするだなんて食欲ってすごいと、ゆらのは場違いに感動してしまった。さすが三大欲求だ。
「あとで、ね」
でもそれよりも先にやるべきことがあるから、ゆらのはとはゑの手をやさしく包んで取り上げた。
ゆらのは空いている右の手には
〈
命宝から、ゆらのの手のひらへ、炊き立てのご飯をにぎった時のようなが熱さがせまる。
〈今此処に綴るに相応しき色を誓い願う祈りのままに〉
〈この一筆に湧き出だせ〉
息をつくようにして、命宝は
〈
ゆらのは自分の支度をすませるととはゑから視線を外して、おだやかに笑む田の白金のおばあちゃんを視界に入れた。
「先に田の白金を
ゆらのはとはゑに流し目を送ってウィンクする。
とはゑはぱちぱちと何度かまたたきをしてから、こくんとこわれた人形みたいなうなずきを見せた。そしてゆるゆるとゆらのの体に後ろからからみついて、ゆらのの後頭部にぐりぐりと自分のうなじを押しつけた。
「ちょ、いたいいたい、地味に痛い!」
ゆらのの抗議に対して、とはゑはなんで、と言いたそうに首をかたむけるけれども、とはゑが背後にいるからゆらのには見えない。
返事がないから、まぁ、いいかととはゑは両手をゆらのの肩越しに前へとのばした。そこにするりと未言草子がやって来てぴたりと着地する。
「仲いんだな。いいこっだ」
田の白金のしわがよりいっそう深くなったを目の前にして、ゆらのはなんとも言えない気持ちになり頭の中で糸くずをぐちゃぐちゃにからませる。
そんなゆらのの不満を頭から追い出すように、こつんととはゑのひたいがまたくっつけられた。
〈宝とは人が価値を認めた物だ
人が求める気持ちが宝を形作る
そも人がいなくてはいかなる物も宝とは為り得ない〉
とうとつにとはゑが詩を詠み始めたから、ゆらのはあわてて命宝を走らせた。
開かれた未言草子の陶器のように白く、そこに命宝の白い字が乗るのだけど、それはふしぎと縁が融け合わずにきちんと文字として見える。ページの白はつるりとならされていて冷たく、ゆらのの綴る文字はふわりと匂うような温かみがあって湯気立つように影を描く。それはお茶碗に盛られた白米さながらに見えた。
〈そうであるなら、人の命こそが根源的な宝であると分かるだろう
かつて金との関係が品々の価格を決めていた頃にも、人の想いこそが実はその価値を決めていた
人の想いも人の命より芽吹く
物の価値を決める神の実在の根源とは人の命に他ならない
だから人の命を繫ぎ、育み、生かす食物もまた金銀財宝よりも根源的な宝であると分かるだろうか〉
宝物。財産。それらは人らしさから離れたもののように語られることも多い。財宝を求めて人の心を狂わせて失う、そんな物語は今も昔も多くの人が紡ぎ出し、語り継ぎ、そしてその通りだと評論している。
けれど、とはゑは言う。それを宝と決めたのは人間の勝手な想いだと。
人がそれを宝物だと決めてあげなければ、全くの価値がないんだと。
それなら、宝物だと決める人たちを生かし存在させるご飯こそ、宝の価値の根源だと突き止めている。
そしてそのご飯をもたらす本質的な根源はなにか。
〈大地に生きる者達の命は元を辿れば太陽の熱と輝きを源にする
生きるためのエネルギーとは太陽から恵まれている
その太陽の熱と輝きを動物達の口に与え胃袋を満たし腸を通じて身の糧と成るように形を与える者を知っているだろうか
本当は誰もが知っている
太陽の熱と輝きを実りとするのは植物達だ
緑の葉で太陽が送って来た八分前の恵みを受け取り糖を生産する世界の竈番達だ
草木は葉を増やし、果実を輝かせ、根を肥らせ、そして稲穂を薫らせる
より多くの人を養う糧として畑黄金を選んだ文明もあれば
甘い田の白金を選んだ文明もある〉
それは太陽だ。太陽のエネルギーが地球の生物が活動するエネルギーの最初の姿だ。
でもとはゑもゆらのも、太陽の光でお腹を満たせない。太陽電池みたいに発電もできないし、光を物質に変えることもできない。
でもそれができる仕組みはある。それは光合成。
そしてそれができる存在がいる。それは植物達。
肉食動物達だって、草食動物がいなければ生きていけない。そしてその草食動物は当然、草木を食べることで生きている。
海にだって目に視えない植物がいる。その植物プランクトンから食物連鎖が始まる。あの大きな体を持つシロナガスクジラだって、たくさんのオキアミを食べていて、そのオキアミを大量発生させる糧は極地の
太陽光を食べ物に変えてくれる誰かが全ての生物にとって必要なんだ。
そして人々の文明はその中からより多くの人を養える存在を選んで共生の道をたどる。
田の白金は日本をはじめとしてアジアの文明で広く選ばれた。
〈冬を越えた種籾が春に芽吹き苗と育ち
夏に田に植えられて青き葉を空へと伸ばし秋に命の
これこそは人の命を支える宝の輝き
飢えを繰り返す人の業を救う宝であれば、まさしく仏舎利にも適うものか
けれど田の白金は遠き釈尊の骨ではない
まだ水の凍える初春より種を撒き苗を育て田に植えて雑草を毟り肥料を与え水を引きまたは止め汗水を流して育てた百姓の粉骨砕身したその白い骨が一粒一粒の田の白金と成り代わったのだ
その営みは仏の
農家さんの苦労で白米は生産される。ゆらのだって授業で習った。
お米一粒に七人の神様が宿っている。小さいころからお母さんに教えてもらった。
お米は大切だってだれだって知っている。
でも、とはゑのように深く深く感謝を捧げて敬い、そして自分の命そのものになるんだと実感している人はどれだけいるだろう?
食べることを楽しみ、食べられないことを哀しみ、そして大切な人と食事を共にすることをなによりの幸福だといつもいつでも想っている。
だからこそ、その幸福をくれる存在をどこまでも見通して。
目の前の飯匂う食卓だけでなく、料理してくれた人に想いをはせ、食材を届けてくれた人に想いをはせ、食材を育て作ってくれた人に想いをはせ、その大元である一本の草に想いをはせ、その草にたどり着いた太陽の光、当たり前に自分たちにも頭上から降り注ぐ輝きがそうだと覚知して想いをはせる。
それはなによりも確かな、感謝の在り方だった。
〈人の目を惹く玉石に宝の価値はあるか
人の心を惹く銘刀に宝の価値はあるか
人の欲を惹く金銭に宝の価値はあるか〉
そんなふうに問われてしまったら、もう自身が持てなくなる。
今まで信じていた価値をうたがってしまう。
投げ捨てるべきなのかと勘違いしてしまう。
〈確かにそれはある〉
だから小さな少女は断言する。それらもまた素晴らしいものだと。
それは疑うものではない。勝手な思い込みで捨てられるものではない。
他に価値あるものがあっても、それ自体の価値はなにも変わらない。いやむしろ、お互いに価値があるからこそ、お互いの価値を証明すらできる。それが物々交換という最初の経済の成り立ちであり、人の豊かさの始まりだった。
〈そして人の命を永らえる一粒の米にこそ宝の価値は真に備わっている
その偉大なる宝を下賜してくださる者達に
すなわち、太陽に、植物に、そして日に灼けて土に塗れ汗の匂いがこびりついた身を持つ農を営む方々に
わたしたちは今日生きられることを感謝しよう
このたった一つの命を育み永らえさせてくださる
大きな大きな輝きに手を合わせよう〉
ただその価値の始まりがどこにあるのか、そこを見失ってはいけない。それを迷ってはいけない。本当に感謝すべきものをないがしろにしてはいけない。
だから、日本の人々は食事を前にして手を合わせる。
手を合わせるのは、最大の敬拝であると仏典にもはっきりと書かれている。
どれだけ昔からかはわからないけれど。
お母さんとお父さんから、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんから、それより昔の名前も知らなくて思い付きもできない昔のご先祖様達から、日本の人々はずっとご飯を前にして手を合わせることを教わってきた。感謝を捧げるべきものがそこにあると教わってきた。
命を、いただきます、とその行為の本質を教わってきた。そして最後には、ごちそうさまでした、となにより素晴らしいものだったと称賛してきた。
〈今目の前にある一椀の白く輝く田の白金に手を合わせよう
生きるためにこんなにも美味しいものを食べられるなんて
人はとても幸せな生き物だ〉
気づくことができたなら、目の前にあるいつもの当たり前がなにより幸せなんだってわかる。
それを一番身近に教えてくれるのが、田の白金という未言だ。
お米、ご飯、いろんな言葉があって、普段はとても使わない未言だ。田の白金の意味が新しいんだと言われても、どこがと未言屋店主を問い
でも多くの人が見過ごして、見逃して、あるいは忘れて、放り投げてきた、そんな意味を新しく紡いで生まれた未言だった。そして未言とはすべからくそのように人々に見向きもされてこなかった言葉になりえる意味たちだった。
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