♪第12幕♪

「たのー、たのっ、たのー」

 満足げにお米の中で小さな足をばたつかせている未言未子みことみこを見ながら、ゆらのは考える。

 最初にこの存在を見つけたのは、給食の時間だった。とはゑにご飯を食べさせているときだ。そしてさっきは米袋を何か言いたげにたたいていた。今はお米にまみれている。

「やっぱり、お米に関する未言みたいね。それからたのたのとか、かねーとか鳴く、うん」

 ひとりでうなずくゆらのに、とはゑは首をかしげる。

 台所はほどよく整理されている。千秋がお昼に食べたのだろうか、煮物の残りが両手鍋の中で次の出番を待っている。ふわりとしょうゆのいい匂いがして、とはゑの白いのどが動く。

 待たせてしまえば、そのうち未言草子みことそうしでもなんでも食べてしまいそうだ。それも、ゆらのが食べさせる形で。

 巨大化してかいじゅうみたいになったとはゑが、ゆらのが渡すごはんをばりばり食べつくす想像をしてしまう。

 ゆらのは少し笑ってから、「早く終わらせて、おやつに間に合うようにしなくっちゃね」と言った。

(それにしてもこの未言巫女、不思議と戦おうって気持ちが起こらないのよね……とりあえずこの状況を何とかしなくちゃいけない、というわけじゃないからかしら……)

 目を何度かしばたたせて から、ゆらのは「よし」と気合を入れた。

 ポケットから、「桜華おうか」を取り出す。キャップを取れば、濃いピンク色に桜の散る様を写した万年筆は、嬉しそうに花びらの形をしたインクを二、三枚噴き出した。

 どこからか无言むことがゆらめくようにあらわれ、二人の未言少女のそばに立つ。

 ゆらののくちびるが、桜が色づくように言葉を紡ぐ。

いまことばにあらざるを〉

 大きく息を吸えば、ゆらのの瞳が魔力できらめく。

 ボブカットの毛先がちりちりと揺れる。淡い炎のようだ。

〈今此処に綴るに相応しき色を誓い願う祈りのままに〉

 万年筆を持つ人差し指をぴんと伸ばせば、爪先がほのかにピンク色に染まる。

〈この一筆に湧き出だせ〉

未言充添インフィル!〉

 万年筆からインクが飛び出し、桜吹雪をかたどる。それは一瞬にして、万年筆の中へと戻っていった。

 ただのインクであるはずなのに、どこか春の香りがするのを二人は感じ取る。まだ今は遠い場所にあるはずのそれは、国語でうたった詩を思い起こさせた。

 口を開いたのは、とはゑの方だった。


  「かえるは冬のあいだは土の中にいて春になると地上に出てきます。

   そのはじめての日のうた。」


 台所が、とたんに姿を変える。

 キッチンマットは土の香りのするあぜ道になる。二人はそこにぽつりと立っている。


  「ほっ まぶしいな。

   ほっ うれしいな。


   みずは つるつる。

   かぜは そよそよ。


   ケルルン クック。

   ああいいにおいだ。

   ケルル ン クック。」


 ゆらのが口ずさむ。

 代かきが済んでたっぷりと栄養の入った田んぼが一面に広がっている。どこからかカエルの鳴き声が聞こえてくる。

 国語の授業のときにゆらのが見た景色だ。

 とはゑがこれ以上ないくらいうれしそうに、少しだけ眠そうに、春をうたう。


  「ほっ いぬのふぐりがさいている。

   ほっ おおきなくもがうごいてくる。


   ケルルン クック。

   ケルルン クック。」


 その春の光景に、未言未子が「たの!」と声を上げた。

 次の瞬間、ゆらのの瞳に映る田園に、水が張られた。

 農家さんのおうちで育てられていた苗が植えられる。

 映画を早送りで見ているかのように空が青を濃くし、夏がやってくる。カエルは草場の影に身を潜め、シオカラトンボたちが生を楽しむよう飛び回る。

 そのうち、入道雲たちがアブラゼミやミンミンゼミを連れてきて、大声を充満させる。たちまち、辺りを自分たちのものに変えてしまった。

 九州とはまた違うまだ見ぬ夏の東北に、とはゑが目を見張る。

 それも永遠ではなかった。

 緑でおおわれていた水田は、次第に水を減らし黄金色に変わっていく。穂が徐々に重くなり、そして刈られていく。

 ゆらのたちが生まれる、ふたりの両親が生まれる、いや、それよりずっとずっと前から続いてきた風景だ。

 ゆらのがその黄金にそっと言葉をそえる。

「キーワードは、春。夏。秋。それから、静かに耐えるための冬、も」

 田は雪におおわれ 、ほとんどの生き物にとってきびしいときがやってくる。でも、それも一季節の間だけだ。また春が来て、桜が散り、田に水が満ち、稲穂がゆれる。

「ひと。自然。緑。黄金」

 とはゑが返す。

 その瞳には、目まぐるしく移り変わっていく季節が移っている。

 ゆらのがさらに言葉を並べる。

「めぐる季節の中で、ひとが生きた証。つやめく白」

「命を支えるもの」

「わたしたちの、大切な宝」

「おいしい、ごはん 」

 その決定的な一言をもって、その未言は表される 。

「――白金しらかね

 その未言巫女は、今までの彼女たちとはまた違う見目の持ち主だった。

 髪は炊き立ての白米ように、真白くて艶めいている。

 渋染の着物に割烹着を被せている。たすきで持ち上げた袖からのびるうでには、骨の上にすぐ皮が張り付いているような、枯れ木みたいに細く節くれ立った手指がつながっている。

 子ども好きそうな柔らかなまなざしの目元には笑顔じわが深くきざまれている。

 孫にたくさんご飯を食べさせたがる田舎のお婆ちゃん、というのがしっくりくる、なんだか親しみ深い老婆が背中を丸めて立っていた。

「あなたが、田の白金」

 ゆらのが口火を切る。彼女に敵意がないことなど、最初から分かっていた。ゆらのの祖母とはまた違う印象を受ける老女だったが、どこかなつかしい 感じがした。

「ああ、んだよ」

 温かいお味噌汁みたいな優しい声が、ゆっくりとキッチンにしみる。

「したら、おやつにぼた餅作ってくれっがら、たんと食わせ。ほんに、めんこいな」

 ふたりは顔を見合わせた。

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