Epilogue 刺繍
それから春を過ぎ、夏も越え、もう次の冬が近づいて来ようとしている頃だった。
「ごめんください」
「はーい!」
ノックの音に扉を開けたダリアは、見覚えのある顔に息を呑んだ。
「あなたは、確か……」
「お久しぶりです。魔法使いさん、いますか」
「はいはい、お客さんかい」
声を聞き付けたモナルダも奥から顔を出す。ぺこりと頭を下げた客人の顔を見て、モナルダは微笑んだ。
「久しぶり、パンジー。よく来てくれたね」
くすんだ金髪を後ろで束ねた、焦げ茶色の瞳の女性が静かに佇んでいた。大きな荷物を持ち、使い込まれた旅装の上着を羽織っている。さりげない刺繍の入った襟元から、首に巻かれた赤い布が覗いていた。
「あんた、それ……いつだい?」
赤い布に白く染め抜かれた形は、炎に似ている。魔法使いにもそうでない者にも、一目でそれと分かるほど馴染みのある浄化の紋。この赤い炎は、人の死に触れた後、その魂が安らかであることを祈り、そして己を守るために身に付けるものだった。
「半月ほど前です。魔法使いさんのお陰で、きちんとビオラを看取ることができました。ありがとうございました」
「そうか。よく頑張ったね」
パンジーは労いの言葉に目を伏せて、穏やかに微笑む。胸元の赤い布に、そして襟元の刺繍にそっと触れた。木の葉と小花を象ったありふれた模様は、寒さにも負けずに咲く可憐な花に似ていた。
「せっかくこんな森の奥まで来てくれたんだから、上がっていくかい? 魔法使いのお茶会に招待するよ」
冗談めかしてモナルダが誘い、ダリアはお茶の用意をしようと一足先に家の中へと戻っていった。パンジーはくすりと笑って首を振った。
「ありがとうございます。でも、今日はここで。日が暮れる前に村に着かないと。渡すものがあるから寄っただけなんです」
そう言って、荷物から取り出した封筒をモナルダに差し出す。
「町での「依頼」のお代です。手紙に書いてあった分ちょうど入れてあります」
「……ああ、ちょうどだね、確かに受け取ったよ。しかし、こんなにすぐじゃなくても、もっと落ち着いてからでも良かったのに。収穫の季節が過ぎた後とはいえ、あんたは町にいたんだから手持ちだって少なかっただろう」
「お気遣いありがとうございます。実は町でも手仕事をしていたのと、ビオラがわたしに遺してくれた分もあったので大丈夫なんです。それに、思ったよりもずっとお安かったですし……あの、本当にその金額で良いんですか? それじゃ延ばしてもらった四日分の宿代くらいにしかならないんじゃないかしら」
心配そうに言うパンジーに笑いかけて、モナルダはもう一度ちらりと封筒の中身をあらためて答えた。
「そうだねえ……正直に言うなら、宿代と薬の代金を払って少しお釣りが来るくらいだよ。宿は馴染みのところに安く泊まっているし、今回は薬もほとんど私は出していない、魔法使いらしいことはほとんど何もしていないからね」
「でも……依頼は依頼ですよ」
「だから気にしなくていいって。でも、まあ、そうだねえ……今回は魔法使いとしての仕事じゃない、「あんたたちと仲良くなったモナルダという一人の友達」としてあんたたちに付き合って、「年上の友達」らしく偉そうに助言なんかもしてやった、ってことにするのはどうだい?」
笑いかけるモナルダを、パンジーはきょとんと目を見開いて見上げた。
「あんたに、友達みたいにもっと話してみたいって言われて、ガラにもなく嬉しかったんだよ。チィやダリア……同居人以外の人と過ごすのは久しぶりだった。ビオラには、魔法使いになってからは普通の人と同じように恋人や友達や家族と過ごすなんて考えなかったって話したけど、そういうのが嫌だってわけじゃない。あんたたちと過ごした四日間は悪くなかったよ。だから、あんたさえ良ければ、また来ておくれ。あんたならダリアやチィとも仲良くなれそうだ」
モナルダの言葉に、驚いたまま固まっていたパンジーの表情がふわあっと明るく輝いた。少し照れくさそうに頬を赤らめて、無邪気な少女のような笑顔を見せる彼女はとても可愛らしかった。
「本当ですか? また、遊びに来てもいいんですか?」
「大歓迎さ。なんなら娘さんでも旦那さんでも連れてくるといい。ああ、娘さんはまだ小さいんだっけ。じゃあもう少し大きくなってからの方がいいかな」
「そうですね、まだ五歳だから森を歩くのはちょっと……でも、絶対いつか来ます」
楽しそうに目を細める。あまりに笑った所為だろうか、焦げ茶色の瞳にはうっすらと涙まで浮かんでいた。
「あ、そうそう、あとこれも渡したくて」
パンジーは涙を拭いながら、もう一度荷物を開けて、今度は小包を取り出した。
「ビオラがあんまり動けなくなって、それでも何かしたいねって二人で話して、作ったんです。魔法使いさんに、わたしたちからの感謝の気持ちです」
「へえ、嬉しいね。開けていいかい?」
包みの中に入っていたのは、襟元に小さな花の刺繍が入った服だった。つんとした花びらが集まって咲く鞠のような花は、細く撚った糸を何度も刺してふくらみをもたせることで、その丸く可愛らしい形を表している。茜で染められた布地で丁寧に仕立てられていて、広げてみると少し裾が長めに、細身に作られていることが分かった。
「魔法使いさん、背が高くて素敵だから、このくらい長くした方がすらっとして格好いいと思ったんです」
「これ、わざわざ私に合わせて作ってくれたのかい」
「ええ。仕立ても、刺繍も、二人で相談して考えて、作るのも二人で手分けして。とても楽しかったです。さいごに、こうしてビオラと二人で一緒に仕事ができて、楽しく過ごせて本当に良かった」
パンジーの声が小さく震えて、その頬を光るものが伝った。
「本当に、ありがとう。大切にするよ」
モナルダは微笑んで贈り物を抱き締めた。
パンジーはぺこりと頭を下げ、荷物をまとめて、森の中へと延びる小道に足を向ける。空がほんの少し陰り、冷たくなってきた風が森の木々を揺らして駆けていく。足早に歩き始めたかと思いきや、最後にくるりと振り向いて、彼女は満面の笑顔でモナルダに大きく手を振った。
「本当にありがとうございました。また来ます、魔法使いさん……いいえ、モナルダさん」
「ああ。またね、パンジー」
はざまの森の魔法使い 神無月愛 @megumi_kamnatsuki
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