第2話 砂山のパラドックス
「牛丼大盛り、卵と味噌汁をつけて」
「あー、私はこれ、チーズ牛丼で」目の前にいる地味で華奢な体つきをした女性は恋人の黛成美(まゆづみなるみ)だ。今は丁度昼時で有名な牛丼チェーン店にいる。
彼女と僕は同じ学部で趣味も合う。同じような音楽を聴き、同じような本を読む。ただそれだけのはずなのにとても仲が良い。不思議なものだ…。
「ねぇ、新。」暇を持て余したのか彼女が聞く。僕は彼女を見る。
「ちょっと変なこと聞くようだけどさ。その牛丼、どのくらいで牛丼じゃなくなるのかな?」
目の前に運ばれた牛丼を指さして言う。僕は怪訝に思う。「どのくらい?」
どのくらい?
「いや、仮になんだけどさ。牛丼の定義が『牛肉とご飯があること』ならどっちか食べきってしまった場合は牛丼じゃなくなってしまうのかな?当たり前のことを聞くようだけど」彼女は笑いながら続ける。「そしてその定義で成り立つなら『牛肉一枚と米一粒』であっても牛丼は成り立つのか…極端な話だけどね。」 相も変わらず彼女は笑う。何がそんなにおかしいのだろう。
僕は少し考えた。「一粒の米と牛肉一枚で牛丼と言ってしまった場合のクレームはさておいて。とりあえずその前提なら成り立つと僕は思うな。だけどその前提自体が少し違うと僕は思うな。」僕は彼女の笑顔に合わせるように笑う。彼女は不思議そうに笑う。
「『丼』というものの成り立ちから考えるに、穀物…この場合は米だね、これらを一定量よそって具を乗せる。これが『丼』なんじゃないかな。だとしたら牛丼はこれと同じようになる。だから成り立たない。」僕は素っ気なく言う。
「なるほど。」麦茶を飲みながら彼女は合点がいったように言う。麦茶?
「まぁ我々が生きている間はこんなことは些細な事だ。気にしなくていいよ。」
彼女は意外そうな顔をした「あら、大学きってのホープである新がそんなことを言うなんて。意外ね。」本当に意外だったらしい。鳩が豆鉄砲喰らったような顔をしている。
「ホープでもたまには休みたくなるんだよ。いい意味での妥協さ。」僕は牛丼を食べ終え、さっと言う。
「ホープであることは否定しないのね。」また彼女は笑い出す。
「僕はホープだ。」
「貴方はホープだ。」
昼食を食べ終え、学校に戻る。その間にも頭の中には一粒の米と一枚の牛肉。『牛丼のようなもの』がいる。とても大きな器にそれだけ。何だかとてもシュールレアリスム的な考えだが、頭から離れない。ほかの食べ物にも同じことは言えるのだろうか。
日の丸弁当の梅干しとご飯の比率を入れ替える…。間違いなく不倫がバレた旦那のご飯か罰ゲームだろう。正直、食べられるものでは無い。しかしそれでも『梅ご飯』としては正しく思えてしまう。まぁ、食べようとする人はまずいないだろう。多分。
では仮にこの世界の比率を全て入れ替えたらどうなるだろう。さっきの『梅ご飯』が当たり前な世界。
少なくとも僕は梅が大嫌いなので耐えられず発狂するだろう。そんな世界にはいたくないし、いたとして数分ともたないだろう。
教授はこんな話は好きだろうか…放課後にでも持ち出してみよう。またあの引っ掛かりのある話し方を教授はする。それに僕は応える。言葉のキャッチボールにしてはいささか強いストレートだが、悪くは無い。
「よぉ新。また考え事か。そんなに考えているとぶつかるぜ?」気づけば目の前には大男が二人いた。片方は木村剛(きむらたけし)。もう片方は山口真(やまぐちまこと)。どちらも百九十センチはあろうかと言う大男だ。
「君ら二人が並ぶと昔見た怪獣アニメのようだよ。迫力があるし、何より争いが起きそうだ。」僕は半分からかいを込めて言う。彼らに迫力があるのは身長だけではない。彼らは柔道の達人と言ってもいい程柔道をやり込んでいるのだ。当然である。
正直な話、彼らにかなうものなどこの日本、いや、地球上にはいないだろう。
「確かにそうだな。俺と真が並んだらそりゃあ試合をするとしか思えないよな。」笑いながら剛はいう。豪快な笑いだ。
「おいおい、殺し合いの間違いだろ?」真も同じように笑いながら言う。
確かに剛も真も別格の強さだった。素人は受け身をとる間も無く畳に叩きつけられる。それほどのスピードなのだ。
そんなふたりが並んでいたらどんなに馬鹿なやつでもやばいと思うのが普通だろう。
「お、やるか?真。」
「勘弁してくれよ。」僕は呆れた声としかめ顔で言う。「僕は君たちのような人間を辞めたような奴らの戦いには巻き込まれるのはごめんだからな。」
「ははっ。冗談だ。」真はまた笑う。「近いうちに大会があるんだ。俺も剛も。そこで勝てば晴れてオリンピックの選考基準クリア。つまり日本代表ってわけだ。」豪快に笑う。笑いながら、楽しそうに。しかし瞳の奥にはなにか熱いものを燻らせて。
「オリンピックかぁ。凄いじゃないか。」そんなことはいざ知らず。という風に僕は相槌をうつ。
「俺も真もずっとオリンピックを目標にしてきた。名誉や金の為じゃない。国のためでも家族の為でもない。ほかでもない自分のためだ。ただ純粋に柔道に打ち込み、一番強い奴と戦いたい。ただそれだけなのさ。俺たちは。まぁ、格好つけすぎかな?」
「いや、立派だよ。僕も君達のような友人を持てて光栄だよ。そうだな、サインでも頂こうかな?」
その一言でどっと笑いがおきた。
お世辞やからかいでは無い。本気でそう思っている。友人はオリンピックに出場できるかもしれない。その事実は良くも悪くも僕に大きなものをくれた。不思議と嫉妬じみたものは感じなかったし、寧ろ嬉しくもあった。これからもよき友人として彼らと付き合っていたい。
そう僕は思う
「そういえば新。彼女とはどうなんだ?」突然真が切り出す。それに続いて剛もやや興奮気味に言う。「そうだよ、あの美人の子。どうなんだよ?」こういう時の彼らは子供らしくなる。
僕は言う。彼女とは比較的上手くいっていること。実は結婚も視野に入れていること。しかしまだ早いので、二人が金メダルを取り、インタビューを受けている頃にも彼女にそんな話を切り出そうと思っていること。
「なるほどなぁ。」合点がいったようだ。二人はこうしていると双子みたいだ。
「じゃあ式には呼んでくれよ。練習があるから失礼するぜ。」二人は歩き出す。
「あぁ。またな。」僕はいつもの歩きで大学へと戻った。いつもの、何ら変わりのない歩きで。
二人は恐らく、いや確実に金メダルを手にするだろう。普通の人間ではまず相手にはならないだろう。怪物でもない限りはまず勝てない。人間を辞めた怪物でなければ。
しばらく歩いていると不思議なものを見た。いや、見つけたと言うべきだろうか。それは林檎のようだった。見た限りでは林檎なのだ。赤く、艶があり、いい香りがする。そんな美味しそうな『林檎のようなもの』が三つ。ベンチに無造作に置いてある。どうしてこんな所に…や、一体誰のものだろう…と言った点は不思議と気にはならなかった。それよりも別なところに注意が行く。
綺麗すぎるんだ……。
普通林檎というものはこんなに艶はない。それに黄色いところや黄緑色をしているところがあるはずである。しかしこれにはそんなものもなく、ただただ赤い。いや赤と言うよりは緋色がにつかわしい。
僕はこのボウリングの球のように艶やかで血のように赤い林檎を手に取る。重さはなんてことは無い。
「君はどうしてこんなに美しいんだい?」
林檎は答えない。
「なぁ、持ち帰りたいくらいだよ。君がどうしてここにいるのか。誰のものなのか。美味しいのかそうでないのか。そんなことは些細なことだ。君はとても美しい。まるで陶器だ。そんな美しさに僕は魅了される。林檎でありながらどうしてこんなに美しいのか。それだけが疑問だね。」
林檎は答えない。
「随分無口なんだな。」
林檎は答えない。
「まぁ、君がだんまりを決め込むというなら僕は構わないよ。そうすればいいさ。」呆れたように僕は言う。
林檎は相変わらず沈黙を守っていた。
それでも僕は無機物であるはずの林檎に話しかけた。彼女とのこと。友人である二人のこと。教授のこと。そして自分のこと。全てをありのままに、ごく普通に話した。時に嬉しそうに、また悲しそうに。自分がとても生き生きしているように感じる。何だかとても懐かしい。どうしてだろう。多分誰にも分からない。
「さて、そろそろ僕は行くよ。色々楽しかったよ。」僕は林檎をベンチに戻し、楽しそうに去っていく。寡黙を貫き、緋色の鎧を纏う林檎を小綺麗なベンチに置いてそのまま歩く。
林檎は黙ったまま、そこにいる。今のところは。
僕は林檎に背を向ける。
しかしそれでも運命は残酷で、いつだって裏切った。
そして長い夜が始まる。
緋哀~昼夜編 三好和也 @HAUND2
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