商売人とはそういうもの

増田朋美

商売人とはそういうもの

商売人とはそういうもの

2月の末頃から、日本では発疹熱なるものが、流行っていた。メカニズムはどんなものかは知らないが、とにかく高熱が出て、それが三週間くらい続いてしまうものらしい。高齢者とか、そうなると重症化しやすい可能性もあるが、それ以外の人には、あまり大したことのないものであった。しかし、日本政府が、遊園地を休園にしたりとか、外出禁止時間を設けるとか、そういうことをすると言い始めたから、おそらく大変なものではあるんだろう。テレビは連日のように発疹熱の事ばかり報道し、手洗いの事だとか、マスクをかけるとか、そういう事を報道しすぎるくらい報道していた。そういう報道には、どこか間違いもあるんだろうな、と思われるけど、何が正しくて何が間違いなのか、今の時代は、あんまりはっきりしないので、そのあたりでおかしくなることだって、十分にあり得るはずだった。

その影響は、飲食業界にも及んだ。焼き肉屋である曾我家にも、その影響は少なからずあった。ある日、売り上げを勘定していたチャガタイは、義理の兄であるジョチさんが審議官との会食をして帰ってきたとき、ちょっと相談があるんだが、と話を持ち掛けた。

「ねえ、兄ちゃん。俺たちの店も一度営業を取りやめにしたいと思うんだが。」

チャガタイは、太い腕を腕組みして、そういうことを言った。

「その理由は何でしょう?」

と、ジョチさんも、チャガタイの近くの椅子に座った。

「だって、これだけ、えーと何て言うんだっけかな、発疹熱が流行っているんだからよ。お客さんの安全というためにも、一度店を閉めたほうが、いいんじゃないかなあ。」

「そんな事はしませんよ。」

と、チャガタイの発言に、ジョチさんはそういうことを言うので、これにはチャガタイもびっくりしてしまった。

「何を言っているんだよ。この非常時に!」

非常時何て、戦時中の言葉と同じであるが、今の世の中であれば、非常時と言ってもいいだろう。学校は、休校になっちゃうし、それ以外の施設だって、お休みになってしまっている。最近は、保育園も集団感染の恐れがあるとか言って、休園するといううわさもある。まあ、これはあくまでも噂だけど。

「いいえ、僕たちはこれまで通り営業を続けましょう。僕たちの店の近くには、影浦医院もありますからね。きっと、影浦医院はこれから繁盛していくでしょうから、その帰りがけに焼肉を食べていきたいという人も、多かれ少なかれ現れるはずですよ。だから、それを狙う訳ですよ。そうすれば、家の店も倒産せずに済みます。」

「ちょっと待ってくれよ、兄ちゃん。こういう店ほど、人が集まるから、集団感染の恐れもあるのではないの?」

チャガタイはジョチさんの発言に驚いてそういうのだが、

「まあ、人が集まるという事は確かにあるでしょう。しかしですね、確実に客足は減りますよ。それは確かにそうです。しかし、不安になったり、場合によっては、おかしな症状が出るという人は増えるでしょう。そういう人にとって一番大切なのは、居場所の確保ですよね。それを提供してやることも、商売人の務めなのではないでしょうか。客足は多少減るかもしれませんが、別のものが増えるという事を忘れないで置くと、商売は続けられますよ、敬一。第一、飲食店は、戦時中だって、繁盛していました。」

と、ジョチさんは、そういうことを言うのだった。それでは、俺の言ったことが意味がないんだけどなあ、と、チャガタイは思ったが、ジョチさんは考えをやめるつもりはないらしい。

「うちの店は、今まで通り営業を続けますよ。発疹熱にかかるのは、ある意味では仕方ないことです。幸い、僕たちは、高齢者とか、透析患者ではないんですから、手洗いさえしておけば、大丈夫でしょう。」

どういう訳か、ジョチさんは、そういう時になると強くなるらしい。チャガタイは一体何を考えているんだ、兄ちゃんは、という顔をして、ジョチさんを見つめた。

「敬一さん、正輝兄さんは、時々強引なところがあるじゃないの。気にしないのが一番よ。」

と、妻の君子さんにそういわれて、チャガタイは、余計にため息をついてしまう。

「それでは、店をつづけたほうが、いいってことかなあ?」

「まあ、それは、正輝兄さんの判断に任せた方がいいわ。あたしたちは、普通にやってれば、それでいいのよ。」

君子さんは、そういうことを言った。

「しかしねエ。今回は、学校も一斉休校になってしまうほど、ひどいもんらしいぜ。そういう時に、焼き肉屋をやるのは、倫理的にどうかなあと思うのだが?」

「まあ、あなたより、正輝兄さんの方が、先を見越す力はあるものね。」

君子さんは、にこやかに笑って、チャガタイを見た。なんだか俺、兄ちゃんにも、妻にもバカにされているじゃないだろうか?俺の判断は、間違っていないと思うのだが?と、頭の中で自問自答しても、答えは出なかった。その間にも、君子さんは、正輝兄さんことジョチさんと審議官さんと会食はどうでしたか?何て楽しそうに話している。その時も、一番の話題は発疹熱の事であったようで、多くの企業が倒産するのでは無いかとか、日本の人口が減ってしまうのではないかとか、そういうことを話してきたようなのだ。全く、審議官とそういうことを話してきて、なんでうちの店は営業を継続しろ、と、命令を出すのかなあと、チャガタイは変な気持ちがした。

その翌日、焼肉屋ジンギスカアンは、とりあえず営業した。確かに客足は、以前より少ないが、お昼前に、一組の母娘が、焼き肉屋ジンギスカアンにやってきた。

「いらっしゃいませ。」

と、君子さんが、とりあえず、座席まで案内する。二人は、一番奥のテーブル席に座った。でも、なにか、娘さんの様子が変なのだ。

「大丈夫ですよ。うちの店では、お箸は使い捨てですからね。アルコール消毒もちゃんと用意してありますし、安心してください。」

君子さんはそういって、母子にアルコール消毒液を渡した。

「とりあえず、ご注文が決まったら、教えてくださいませ。」

君子さんは、彼女たちにメニューを渡した。チャガタイは、一寸気になって、彼女たちを厨房から眺めていた。

「ほら、せっかく焼き肉屋さんに来たんだから、焼き肉、食べましょ。入院にならなくてよかったじゃないの。よろこびましょ。」

おかあさんが、娘さんにそういっている。しかし、娘さんの方は、そうは思っていないみたいで、悲しそうにしくしくと泣きだした。

「なんで、入院にならないほうがよかったに決まっているでしょ?」

「そうだけど、あたしは、家から離れたほうがよかったのよ。そのほうが、テレビを見ないで安心していられるでしょ?」

と、彼女は、そういうのだった。なるほどなあ、と思う。

「だって、家にいると、ずっと発疹熱の話ばかりで、何々が危険とか、マナーが同のとか、そういうことばっかり言われるんだもの。」

と、娘のほうが、そういうことを言った。確かに、テレビではそのことばかり報道しているが、それのせいで気分が悪くなってしまう人も出るのだろう。うちの店にテレビがなくて本当によかったなあ、とチャガタイは思った。

「そうだけど、テレビは報道しなければいけないのよ。だから、ああして注意を呼び掛けているの。そういう事なのよ。」

と、母親は諭すが、

「おかあさんなんて、私の気持ち、ぜんぜんわかってない!」

と、娘は、そういった。

「其れより、あたしはこの不安をとってもらいたい!それを何とかしてよ!そのせいで私、眠れないし、毎日不安でしょうがないじゃないの!そういうことをなんでわかってくれないのよ!」

ここにもし、ほかのお客さんがいたりしたら、本当に迷惑になってしまうのだろうと思われるが、客はほかに誰もいなかったので、特に彼女を責めることはしないほうがいいな、とチャガタイは思った。そういう不安というのは、矢鱈にてを出さないほうがいいという事も、知っている。

その時、見せの入り口がガラッと開いて、もう一組の客が来た。今度は、父親と娘さんだと思われる、一組の男女だ。やっぱり娘さんの様子がなにか変だった。君子さんが、先ほどの母娘の隣のテーブルに、彼女たちを座らせる。

「注文が決まりましたら、お呼びくださいませね。」

と、君子さんは、父子にも、お茶を渡して、にこやかにメニューを渡した。

その間にも先ほどの母娘の喧嘩は続いているらしい。

「おかあさんは、あたしの事など、ぜんぜん、わかってくれないわ。あたしがこれほど不安だって言ったのに、なんでそういうことをわかってくれないで、病院に行くのも協力してくれないのよ!」

と、娘さんはそういうことを言っていた。おかあさんの方は、困ってしまって、どうしたらいいのかわからないという顔をしている。

「ちょっとよろしいですか?」

と、隣のテーブルに座っていた、お父さんが話しかけた。お母さんは、

「ああ、うるさかったですよね。申し訳ありません!」

というけれど、お父さんはそんな事気にしないでいいといった。

「お嬢さんももしかしたら、何かわけがあるのではないかと思いましてね。うちの子も大変だったので、もしかしたら、同じかなと思い、お声をおかけしました。」

「あ、家の子の事は、もう、気にしないでください。うちの事はうちでやりますから。」

「いやあ、そんなことありません。誰かを頼るのも、悪いことじゃないです。」

と、お父さんは、そういった。おかあさんは、でも、という顔をするが、

「いいえ、そういうモノですよ。こういうものは。うちの子もそうでした。急に突然、私たちから見たら、おかしくなってしまって、私たちも、困ってしまいました。でも、今は、薬をもらう様になって、なんとか、やり取りはできるようになっております。」

と、お父さんは優しく言った。

「一体、何の事で、娘さんもおかしくなってしまったんでしょうか?」

とお母さんは、しずかに聞く。

「ええ、最近、発疹熱なるものが、流行っていると報道されていますでしょ。報道が、そればかりになってて、感染者の行動がどうのとか、だれだれがなくなったとか、そういう話ばかりされていますよねえ。それで、うちの子は怖くなってしまったみたいで。全くテレビというやつも、怖いものですな。なんだか、誰かにとっては、有害なツールになるんだなって、僕もよくわかりましたよ。」

お父さんは、そう答えた。

「テレビを消そうと言っても、うちの子は、そういうことをしても辛いんでしょうね。だから、家でも、そういう事なんだなと割り切ることにしました。それで今日、影浦医院に行きましてね、薬を打ってもらったんです。」

「そうなんですか。家も、そうでした。」

お母さんは、べそをかきながら言った。

「なんだか、テレビの報道が不安らしくて、テレビ見ると、頭が痛いとか、気分が悪いとか、言い始めたんです。それで、内科に行ったんですけど、どこにも悪いところがなくて。娘は、余りにもつらいらしいから、入院したいと言って泣き出すし。」

なるほどなあ、と厨房で聞いていたチャガタイは、そう思った。

「それでは、気にしないでと言っても通じないでしょう。そういう時は、不安を鎮める薬とか、出してもらったほうが、いいと思いますよ。この近くに、影浦医院というところがあるんですが、そこはよく話を聞いてくれて、にこやかな先生ですから、安心して通えます。」

お父さんは、にこやかにわらって、手帳を破り、影浦医院の住所と電話番号を書いて、彼女に渡した。

「ありがとうございます。あたしも、何だか、ほっとしました。そういうところがあるんだなあって。」

おかあさんは、半分泣きながら、そういうことを言っている。

「ぜひ、娘さんと行ってみてください。大丈夫ですから。怖いところではありません。いや、奇遇ですねエ。こういう風に知り合いができるなんて。この店がやっててくれたから、こういう出会いもあるんだな。」

お父さんは、にこやかに笑ってそういうことを言っていた。それを聞いてチャガタイは、やっぱりこの店をやっていてよかったなと思ったのであった。ジョチさんはそういう事も、見込んでいたのかなと、改めて、兄の凄さに感激したのだった。

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商売人とはそういうもの 増田朋美 @masubuchi4996

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