第53話『キミと一緒に』

「夢か……」


 ぼやけた視界。いまだ、まどろでいるような重たい思考のなか、それが夢だと一瞬で自覚する。

 もう、夢の中でしか会うことがかなわないはずの彼女の姿を見た気がしたから。


 幼い自分とラナさんが一緒にいる光景。

 あの日以来。いくら望んでも、こんなに幸せな夢を見た記憶はない。

 それは意識がない間も、同じ種族である彼女がそばにいてくれたおかげだろうか。


 後頭部に感じる温かさ、柔らかい感触。懐かしいような匂い。

 性格は、似ても似つかないけど。

 いや、似ている部分はある。それは——、


「お目覚めになりましたか、我が君!」

「山が言葉を話してる——」

「おや? まだ意識が混濁しているご様子ですね。では」

「待って! ほら! 冗談が言えるくらいには意識が戻ってるっていう——あぁっ、視界が暗く!?」


 言い訳もむなしく、山の向こうから降ってきた五指が視界を黒く染めた。

 浮上した意識を一分も経たないうちに、再び沈められる。

 そう覚悟し身をこわばらせるも、いっこうに痛みはやってこない。

 代わりに、闇の向こうから深いため息が耳を襲った。


「——心配致しました」

「いや、自信があったん」

「ならば剣を置いて、自分を斬るようになどと、言葉を残してしかないでください」

「……いつも心配かけて、ごめんね。ところで——《精霊の王》はどうなったの?」


 視界を塞がれているのでクロさんの表情は窺い知れない。

 けど、その声音からどんな顔でその言葉を告げているのかは想像がついた。

 俺自身も、身体に他の存在が侵入してくるなんて経験がなかったから、心のどこかで戻ってこれないかもしれないという不安があったのかもしれない。


 そのせいで吐いてしまった『もしも』という言葉のせいで、きっとクロさんを強く不安させてしまったのだろう。

 そんな彼女に心から謝罪し、そして、最も気になっていた存在のことを聞いた。


「それが……」

「ここにいるよ」


 どこか困惑した声音で言いよどむクロさんが、俺の顔の上に乗せていた掌を外したそのとき、自身の存在を主張する声があった。

 その聞き覚えのある、どこか子供のような雰囲気を感じさせる高い声は、自身の胸の辺りから聞こえたので視線を降ろしてみる。

 そこには——、


「わっ!?」

「目覚めてくれてよかった。ワタシは見ての通り元に戻ることができたよ。ありがとう」


 ——驚きのあまり上げてしまった大声を気にすることもなく、俺の身体の中から上半身のみをのぞかせて礼を告げる顔のない真っ白な小人の姿があった。

 

「ああ。よかった——いやいやいや! ちょっと待ってくれ。どう見ても俺の身体の中からお前の身体が生えているように見えるんだが!?」


 あまりに臆面もなく堂々と話しかけてくるものだから、束の間コレが当たり前の光景だと錯覚してしまいそうになったが、すぐに我に返る。

 もっとも驚いているのは、穴が開いてるわけでもなく、まるで俺の身体の一部のように違和感なく、気づくこともなくそこにいることだ。

 邪精霊が身体に入ってきたときには、泥のような粘質な異物が身体中を流れているような違和感があった。だというのに。

 

「安心してくれ。キミの目は間違ってない」


 身体から生える白い小人は、なぜ叫ばれているのかまったく理解していないようだった。

 別に自分の目に不安を覚えているわけじゃない。

 そして同じくまったく理解の出来ない状況に、クロさんもずっと閉口したまま眉根を寄せている。

 

「いったい何が起こってるんだ……」

「なに、キミの中でキミの思念の力を取り込み、身体のほとんどをキミで満たしたワタシは、キミとの同化することができてだね」

「……つまり?」

「キミと一緒にいることにした」


 相変わらず身体の下半分は俺の身体に埋めたまま、白い小人——《精霊の王》はそうしてあっけらかんと言い放った。

 

「キミの中は実に居心地が良くてねぇ。ここへ訪れた目的は《精霊の加護》を得るためだったんだろう?」


 そのまま一人でうんうんと頷きながら呟いて、動きを止めたかと思えば首を傾げながら言う。


「どうしてそれを?」

「キミが寝ている間に、そこにいる彼女が教えてくれたよ」

「? 私は教えてなど……」

「そうか、思念を……」

「そういうこと。——ときにクロ。キミから流れ込んできた思念の中には、変わっているものもあると言わざるをえないな。なんだろう……人族の言葉で言い表すなら、へ——」


 口もない彼の放った音が言葉になることはなかった。

 俺は見た。顔の上を黒い影が走り、それが蛇のように獲物を捕らえたかと思えば、ぼきゅ! という音をたてながら握りつぶし、白煙が舞う瞬間を。


「……」


 自分の鼻先で起きたその光景に、恐怖で絶句する。

 俺もああなっていたのかもしれない、と。

 しかし、散り散りになった白煙は霧散することなく停滞し、見る見るうちに元の形を取り戻していく。

 もう一度瞬きしたときには、同じように身体から生えた姿でそこにいた。

 そして、少しだけ無言で腕を組み——結果、己が何も言おうとしなかったことにしたのか、咳払いの真似事をしたのち、本題の続きを話しはじめた。


「……偶然にもワタシと同化したキミは、《精霊の王》の力を扱える器を手にした。

 自らを賭してワタシを助けてくれ、素晴らしい住居をも提供してくれるんだ。

 対価として、ワタシは力を貸すよ。——それにここにいれば、ワタシはいずれまた邪精霊になってしまう。——どうかな?」


「——」


 ——《精霊の王》の力。

 望外の提案に思わず目を見張ってしまう。

 自分の身体を貸し与えるだけで、加護以上のモノを得ることができ、この地が今回のような『災い』に見舞われる心配もなくなる。

 どこにも迷う理由なんてなかった。


「こちらからお願いするよ。どうか、力を貸してくれ……えぇ、と」


 言いながら、白い小人に腕を伸ばそうとして、ふと言葉に詰まる。

 それを疑問に思ったのか《精霊の王》も声をかけてきた。


「どうした?」

「いや、これからずっと《精霊の王》って呼ぶのもなんだかな、って。名前とかあるのか?」

「おおっ! よく聞いてくれた! この世界に生まれ出て幾星霜。こんな時のために自らの名を考えていたんだよ」

「……自分で考えたのか?」


 なんとなく、嫌な予感がした。

 こちらが声を濁らせたのも意に介さず、《精霊の王》はまるで歌うように己の名を口にする。


「聞いてくれ。アスペルヴェ=ホワイ=ダ=ギルクスニア=ライダル=エルフィアス——」


「これからよろしく、アスぺル」


 その呪文が終わらぬうちに、俺は彼の名を呼び、右手の人差し指をアスぺルの前に差し出す。

 そしてアスペルは——


「……愛称というのも悪くないな。こちらこそよろしく、セブン」


 ——と、まんざらでもないような反応を示しながら、小さな右手を突き出し、俺の指に当てた。

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