第52話『最後に』
「ラナさん、今日はどうしたんだろう……」
自室のベッドに座り、誰にともなく呟く。
当然、声が返ることはない。
ラナさんの秘密を知った次の日。
もう夜だというのに彼女の姿を一度も見ていないかった。
城を歩き回り、侍女たちにも聞いてみたが芳しい成果を得ることもできず。
……まあ相変わらず、侍女たちからまともに言葉が返ってくることなどなかったのだが。
しかし夜ならば、従者たち専用の自室にいるかもしれない。
自身の不安をはらうために、もう一度部屋から出ようとした、そのとき。
城を揺るがすほどの衝撃があった。
同時にとてつもない爆発音も鼓膜に響き渡る。
「——ッ!?」
何事かと、窓に飛びついてみれば、一部の城壁がぽっかりと口を開き、そこから炎があふれ夜空を赤く照らしていた。
あの部屋、あの炎。フォルス兄上の? いったいなにが——、
「敵襲だぁ!」
「——ッ」
衛兵の声が聞こえた次の瞬間には窓を開け放ち、そのふちに立っていた。
そして胸騒ぎに駆りたてられ、弾かれるように跳躍し、いまだ勢いよく炎が上がる穴へと一直線に飛び込む。
着地するとともに、うねる火焔のなか、一人悠然と立っている鋭い視線でこちらを睨む短髪の男と目が合った。
「フォルス兄上! 敵はどんな姿だったので——ぐっ!」
兄の安否など聞くまでもなく、むしろ敵を気遣うような声は最後まで紡がれることはなかった。
フォルスは俺が言葉を放つと、気障りだと言わんばかりに眉を跳ね上げ、一瞬で距離を詰めて回し蹴りを放ってきたからだ。
それを避けずに受け、穴の開いた壁のふちまで転がる。
起き上がろうとすると、苛立たし気な声が注がれた。
「ああ? 誰に断って話しかけてんだセブン。……まさかてめぇか? あの侍女、奇特にもお前と仲が良いと聞いたが——」
「——!」
その言葉を聞き、伏したまま部屋をくまなく見渡すが、炭化したよう“それらしきもの”は見当たらなかった。
きっと逃げ出すことができたに違いない。
ほっと息を吐いたのも束の間、視界に影が降り——
「おい、聞いてんのか? ——《骨まで灼けろ》」
——すべてが紅蓮に包まれた。
灼熱によってぼろぼろに焼けた衣服と皮膚のまま、俺はラナさんの『秘密の場所』へと訪れていた。
あれから少しだけ俺の部屋で待っていたけれど、やはり彼女が姿を現すことはなく。
ふと脳裏によぎったこの場所へと、藁にも縋るような思いで足を運んだのだ。
そして——池の中に身体の半分を浸し、気を失っている彼女を見つけた。
「——! ラナさんっ!」
「うっ……あ、セブン様……?」
すぐに水から引き揚げ、彼女に叫ぶように声をかける。
見れば、彼女の肌の見える部分のほとんどが酷い火傷を負っていた。
呻き声にすぐさま顔へと視線を向ける。
すると薄く瞼を開いたラナさんは掠れた声で俺の名を呼んだ。
間違いなく身体中を激痛が走っているはずだ。それなのに彼女は微笑みを浮かべ、ゆっくりと息を吐くように話しだした。
「油断させれば行けると思ったんですけど、やっぱり強かったです。失敗しちゃいました……」
「なんでこんなことをしたんだ! 俺を殺すことに失敗して、暗殺は終わったんじゃなかったのか?」
「あなたは……“王”にならなければならない。でも、今のままでは不可能だから。その未来を開くのが私の……」
「なにを言って——。俺は王になんてならなくたって、どれだけあの場所でひどい目にあわされたってラナさんがいればそれで……!」
「どうか、気を病まないでください。私がこの地で果てることは、最初から決まっていました。本当は、あなたと出会ったあの日が、そうだと思っていたんですけど……」
うわごとのように、ラナさんは言葉を続ける。
ずっと言えなかった心情を、吐露するように。
「……ガイランドの王族から“私たちの王”が生まれる。私はその方を命を賭して助けなくちゃいけない——その予言だけを頼りに忍び込んだんですけど。同時に私たち獣人の害となる王子を間引かないといけない任務も追ってて。
見分けなんてつかないから、とりあえず死なない人が“そう”だと思って、一番弱そうなセブン様を狙ったら失敗して……。かといって他の兄弟たちも難しそうで……でも私の死は決まっていて——死ぬのも怖くて。
——そんな時です。あなたは自身を人ではないかもしれないと言った。
“私たちの王”は人でも、魔でも、獣でもないと聞いていましたから。
でも、そんなこと関係ないと思ったんです。私の正体を知っても変わらないあの姿を見た瞬間、私は確信しました。そして、あなたのために、この命を使おうと思ったんです。
……結果は、このザマですけど。……はは」
ラナさんの言葉に心臓を鷲づかみにされたような痛みを覚える。
これは後悔の痛みだ。
あの夜。あんな問いかけをしなければ。あの時、あんなことを言わなければ。
なによりも、彼女の苦悩に気づけなかったことへの後悔が、自身を苛む。
「なんで、話してくれなかったんだよぉ……っ!」
「言えば、あなたは止めてくれましたか? 自身の命運が、かかっていたとしても」
「当たり前だっ!」
怒鳴るように即答した俺に、彼女は嬉しそうに笑う。
「あはは……っ。じゃあ……最後にしてください」
「……え?」
「あなたの目の前で命が失われてしまうのは、私で最後にしてください」
「……っ!」
そんなこと、言わないでくれ!
ずっと一緒にいてくれよっ!
だけど思いは声にならず、掠れた呻き声のようなものしか漏らすことができない。
「——こんな風に生きたくはなかった。誰かを殺すために、生きたくなんて、なかった。耳も尻尾も失って」
哀し気にこぼしながら、ラナさんはよろよろと自身の頭に手を伸ばす。
それから「あ……」と思い出したように俺の顔を見る。
「……でも、おかげで一つだけ、叶った夢もあります。ずっと遠くから見ることしかできなかった人間と、同じように暮らして、食事をして、セブンさまと過ごせて。少しの間だけだけど……本当に……楽しかった」
ああ、俺もだ。
ラナさんを本当の家族だと、本気で思ってる。
ぜんぶ、ラナさんのおかげなんだ。だから——、
彼女の声が、どんどん力なく、小さくなっていく。
「これからも理不尽は……きっと起きます。それでも、誰も恨まないで。何者も殺さないで。そして……あなたに助けを望むすべての人救ってあげて下さい。その力が、あなたにはあるのですから。……約束ですよ?」
その言葉を最後に、ラナさんの腕が地に落ちた。
月の見えない闇夜の草原に、魂の慟哭が残響する。
そうして、一つの誓いがこの身に刻まれた。
いつか必ず世界を壊して。
そして——俺が世界になろう。
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