第50話『不思議な暗殺者』

「……兄上たちの差し金ですか?」


 自室のベッドの上。ふいに闇夜から現れ、音もなく自身の心臓をめがけ、鋭く振り降ろされた短剣の刃を握って止めながら、それを握る王族侍女の恰好をした女性に無感情に話しかける。


 凶器を受け止める指と手のひらは裂けて、じんわりと熱を持ち、刃先へと伝う液体が寝間着にぽたりぽたりと落ちてくる。

 

「……っ!?」


 なぜか固く瞳を閉じていた侍女は、仕損じていたことに気がついていなかったようで、俺の声にぎょっと瞼を見開くと、短剣を手放し距離を取った。

 動揺しているのか、よほど間の抜けた人なのか。


 暗殺が失敗したのに逃げもせず、その場に留まり「そ、そんな。セブン王子は一番やりやすいと思ったのに……」などと呟いている。


 そういえば、暗くてよく分からないけど、顔も隠してないよなこの人……。

 いったいどこにこんな暗殺者が……いや、目の前にいるのか?


「……」

「はっ。顔を見られた!? くっ、ここは敵地のど真ん中逃げ場はありません! ——ッ」


 何拍も遅れて凝視されていることに気づいた暗殺者は、ようやく次の行動を起こした。

 勢いよく淡い輪郭が胸元に手を突っ込み、もう一本の鈍く光る短剣を取り出したかと思えば、何のためらいもなく刃を喉元へと向け——、


「まってまってまって!」

「え? ——わあぁぁっ!」


 慌てて跳ね起き彼女へと飛び掛かり、激突。勢いを失うまで床をごろごろと転がる。

やがて回転が止まり、すかさず片腕をついて身体を起こそうすると、左手がかつてないほど柔らかい『何か』に触れる。

 なんとも言い表せない感触と弾力に、探るような手つきで左手を動かしていると。


「……? これはいったい——ぶふうっ!?」


 ひゅっと唸るような音とともに左頬へ衝撃が走り、再び床を転がる。

 ううっ。左手が吸い付いたように離れなかったから防ぐことができなかった。

 なにかの魔法だろうか。


「どこを触ってるんですかぁっ!」

「……」


 そう叫ぶ声を聴きながら今度こそ身を起こせば、身体の前で何かを隠すように腕を組む侍女の姿があった。

 魔法の正体を悟り、思わず左手に目を向ける。

そして、感触を思い出すように握ったり開いたりしてみていると、


「なんですかその手の動き!? やめてください! かくなるうえは今からでももう一度——あれ? 私の剣は?」

「ここです。……はぁ。もうなんでもいいので逃げてください」

「あっ、私の武器! いつのまに——、へ? 逃げていいんですか?」


 大声を出すたびに揺れる後ろで結われた長い髪の輪郭が、俺の言葉で動きを止め、見えなくなる。

 彼女の表情はよく見えない。

けれどその声の様子から、きっと呆けた顔をしているに違いないと思った。


 毒気を抜かれるとは、こういう心情を指すのだろうか。

 最初から捕まえるつもりなんてなかったけど、もはや彼女を問いただす気力も失せてしまった。


 夜更けだというのに、これだけ騒いでもここには誰も来る気配はない。

 そもそも周囲には護衛の一人も居やしないんだ。


 侍女服も着てるし、間違いなく無事に姿をくらませることができるだろう。

 顔をわざと背け、おかしな暗殺者が去るのを待つ。

 ——だというのに、いっこうに視線を向けられている気配すら切れることがないのは、いったいどういうことなんだ。


「……あの?」

「はっ、ありがとうございます! あなた、お城のみなさんのお話以上に変わってるんですね」

「! あんたに言われたく——」


 彼女のその言葉に思わず他所を向いて顔を勢いよく戻し、言い返すべく用意した言葉はしかし、振り返った瞬間に霧散してしまう。


「そして、お話以上に人間味があって、お優しい方のようです——それでは」

「……」


 折り目正しく礼し、顔を上げたのちに放たれたその声音は、暗闇でも如実に分かるほどにそのなにもかもが温かさにあふれてることを伝えてきて。

 扉が音もなく閉まり、彼女の気配が消えてしまうまで口を意味もなく動かすことしかできなかった。


 そのままゆっくりと後退してベッドに腰かけると、彼女が消えた扉をぼうっと見つめる。

 生きてきたこの十年弱の中で、こんなにも悪意を向けてこない誰かと会話を続けたのは初めてだった。

 己を殺そうとしていた相手に悪意がない、と思うのはおかしな話だけれど。

 そして、あんなにも優し気に語り掛けてくれた存在も、過去に一人としていなかった。


「せめて名くらい聞いておくべきだったかな……」


 いや、もう会うことなんてないだろうし、聞くだけ無駄だよな。

 不思議な雰囲気をまとったあの女性が、長く生き残ることを心から願わずにはいられない。

 でも、ふざけているよう見えたけどあの気配、きっと腕はたしかだ。

 そうそう死には……うん、しないだろう。

 

 まどろみに沈みながら、それでも。

 ——また会えるといいな。

 そう思った。

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