第36話『ケリュネア=エルフィアス』

 国土のほとんどを深い緑に覆われた国、エルファン。

 見渡す限り命のあふれる豊かな森の静寂を破る、大声の懇願があった。


「ケリュネア様、人族のもとへ単身で赴くなど危険ですっ。どうかお考え直しを!」

 

 目の前を悠然と歩いてゆく女性への心配と、人族への警戒をあらわにする金の長髪の男。

 ケリュネア=エルフィアスは、その作り物ように整った顔を渋面にして、言い縋ってくる己と同じ髪色の男の方へ振り返った。


 その際、男の言いぐさに少しだけ苛立ちを覚え、勢いよく身を翻したせいで、その金糸でできたかのような細く美しい髪が躍る。

 髪は木漏れ日の光をきらきらと反射し、《精霊》が彼女の周囲で舞っているような錯覚を男に与えた。


 彼女たちの最も特徴的なのは、両者ともにとんでもなく美しい容姿であることではなく、それによってあらわになった、森族エルフの特徴である長く尖った耳。

 彼らを見た者に、仮に人族が数度生まれ変わっても及ばない年齢だと言っても、誰も信じないだろう。


「もうっ、何度も言ってるじゃない。今日は記念すべき日。彼らを信じしましょう?

 信じない者が信じられることはないわ。それに——」


「しかしっ、王族はもう貴方しか——あっ!」


 彼女が再び転身し、駆けだしたのを見て男は声を上げるが、もう遅い。

 地面から緑の天蓋を貫き伸びる銀の石柱へ、ふわり、まるで妖精のように跳躍したケリュネアは空に向かって声を投げる。


「私一人じゃないものっ。——行きましょうスルト!」


「ああ、ケリィは、オレが護る」


 樹上から彼女の声に応え、少々たどたどしい言葉を紡ぐ太い声があった。

 すると、銀の石柱はケリュネアを乗せ、木々を騒がしく鳴らし、宙へ浮かび始める。

 いや、それは石柱ではなく、五指を備えた銀の岩石でできた腕だ。

 彼女が枝で傷つかないように、優しく包むみこんで樹上へといざなうと、銀色の巨人は地面を揺らし歩きだす。

 

「——ついにここまできたのね」


 彼女はスルトの掌の上で、どこか感慨深そうに瞳を細めた。

 そこに映るのは、スルトにいつもせがんで眺める大好きな緑の絨毯と、その地平の先にある人族の国。


「本当に、大丈夫、なのか」


 頭上から響く太い声にケリュネアは、その白い肌を紅潮させ、ぷるぷると肩を震わせながらスルトの瞳である宙に浮く緑色の光球を見やる。


「……あなたまでそんなことを言うの?」


「す、すまない。だが、心配なんだ。ケリィが産まれる、ずっと前、からオレは奴らと、戦ってきたから、その……」


「——ふふっ、冗談よ。心配してくれてありがとう。でも、流れ着いた魔族のときだってそうだったじゃない。敵であった彼らは、今はともに暮らす仲間よ? ——あなただってそう」


 二つの光球の色を、緑から黄色へ変えて口ごもるスルトの様子に、ケリュネアが相好を崩してから、穏やかに言う。

 彼女のその態度にほっとし、瞳に緑の光を灯したのも束の間、スルトは声を固くする。


「……オレと、こんな風に、接してくれるのも、名を与えたのも、ケリィだけだ」


「うーん。皆、あなたが神様に作られた守護神様だから畏まり過ぎちゃうのよね」


「違う。みんな、オレが怖いんだ」


 そんな己を卑下する巨人の、自分の身体よりも太い指に抱きつき、ケリュネアは悪戯っぽい口調と表情を浮かべて、


「あら、『みんな』じゃないわ。私はあなたが優しいことを知ってるもの——ちゅっ」


「なんだ、今の?」


 彼女と出会ってから、どんなときでも奔放な彼女の行動に、困惑させらてばかりのスルト。

 彼はその瞳の色を、緑と黄に明滅させながら、わずかに頭を傾げる。

 その仕草にケリュネアは歯を見せにっと笑い、


「仲良しの証よ。——さあ、行きましょう。人族と共に生きていくために」







 人族の王城へ到着したケリュネアは、豪奢な部屋へと案内された。

 扉を開けた瞬間、彼女へと一斉に視線が集つまる。

 晴れの日であるというのに、相変わらずの重々しい雰囲気にケリュネアはほんの少しだけ気落ちする。


 その部屋の中央には大きな円卓があり、正面の一番奥に座るこの城の主をはじめ、それぞれの席に数人の立派な衣服を纏う人族男性の姿が見受けられた。

 それ以外、兵士や侍女の姿は一人としていない。


 まさしく紅一点。ただ一人女性であり、若く美しい容姿のケリュネア。

 そんな彼女は、最も手前にある唯一の空席の前に立つと、臆することなく堂々とした口調で話し始める。


「諸国王の皆様。本日は各国からお集まりいただき、ありがとうございます。本来なら自国エルファンへお招きするのが筋なのでしょうが……、場を設けて下さったガイランド国王にもう一度深い感謝を——」


「気にしなくていいとも、なにせ今日は良き日だ。——我々人族が一丸となりお前たち森族という脅威を排除できるのだから」


「え……」


 真正面にいるガイランドの国王がケリュネアの言葉を遮り、その歪められた口から放たれた言葉は、彼女を凍りつかせた。

 その表情を見て取り、さらに酷薄な笑みを深めて彼は続ける。


「本当に我ら人族が、化け物どもの友になるとでも? ああ、しかし『魔法』を指南してくれたのは実に大儀であった。おかげで大いに兵を強くすることができたよ。——お前たちを滅するためにな」


 その言葉を最後に、彼が指を鳴らした瞬間。


「——!」


「「「「《走れ火矢》」」」」


 音と同時に現れた気配に、ケリュネアは身を固くする。

 見れば、先ほどまで各国の王以外いなかったはずの室内に、複数の黒装束の人影が現れていた。

 命を奪わんとする鋭い火炎が、容赦なく彼女の全身を穿とうと殺到する。

 しかし——、

 

「——《薙げ風刃》」


 ヒュパンッ!

 彼女が呟いた直後、逃げ場などなく包囲していた炎の矢は、一陣の疾風にすべて掻き消された。

 

「……」


「ははっ! さすがは我ら人族の魔法の師。いったい一人でどれだけ相手にできるかな?」


 ケリュネアを嘲るように称賛すると、扉が大きな音とともに勢いよく開いた。

 そして今度は、武装した兵士が大量になだれ込み、彼女を囲む。

 

「あの巨人をここへ連れて来てくれて助かったよ。さすがの我らもあの巨岩の守護神には手を焼こうからな。なに、守る者がいなくなれば我らが使ってやるから心配するな」


「……まさかっ!?」


 いかにして兵士たちを殺さずに戦闘不能にするかを思案していた彼女は、その台詞に、弾かれたように国王を見やる。


 しかし、国王が言葉を発するよりも先に、窓に陰が差し——、


「はっ! だめっスルト!」


 大きな振動と同時に、窓から見える景色を銀色が塗りつぶして、轟音と壁と人を撒き散らした。

 硬質な音や、粘質な音が入り乱れるさなか、太い絶叫が彼女を呼ぶ。


「ケリィーーーーーー!!!!!」


 銀と紅の手指で覆うようにして彼女を優しく包むと、すぐに胸元に引き寄せる。


「ケリィ! 大じょ——」


「私は大丈夫、だから——!」


 手の中のケリュネアの、その悲哀に染まった蒼い瞳を見た瞬間、すでに赤が支配していたスルトの瞳が、彼女が見たこともない赤と黒の明滅を示す。


「誰だ? ケリィを、こんな表情に、させたのは。 この人族どもが……っ!」


「あ、ひぃっ!?」


 身を焦がすかのような怒気をはらんだ殺意を向けられ、ケリュネアを嘲った声の主は悲鳴を漏らす。

 それ以外の者たちは、一人残らず、声も出せないほどに震えあがっていた。


「やめなさいスルトっ!」


 ——だが、激しく諫める声が彼を留めた。


「だがっ!」


「これ以上殺してはだめ! それに、それどころじゃない! 早く戻らないと、みんなが!」


「!? ——ぐうっ!」


 その事実と彼女の言葉に、なんとか衝動を堪えた巨人が身を翻そうとする、そのわずかな間。

 哀し気な瞳で人族の王たちを見たあと、彼女はそれでもと、輝くような笑顔を浮かべて、なおも人族に言う。


「きっと……きっとまたいつか来るわっ。そのときは今度こそ! 私と、——私たちと仲良しになりましょう!」


 最後に彼女に映ったのは、狂気を覗くかのような人族のいびつな表情。

 静かに銀の大地へ落涙する森族の王女を抱き、巨人は故郷まで一度も止まることなく地を鳴らし続けた。

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