第35話『私が、私になる前の』
「——ぶはっ」
ようやく地中から這い出ることができた俺は、大きく息を吐いた。
すっかり傾いてしまった陽の光に目が眩む。
穴から這い出て立ち上がり、周囲を見渡せば、その景色からと太陽の位置から《ドリディド鉱山》の裏手であることが分かった。
いったいあのアダマでできた地中を、どれだけ移動させられたのか。
あの岩の巨人スルトの想像以上の腕力に、恐れを通り越して呆れてしまう。
「はぁ……ボロボロだな」
スルトの攻撃で地中を突き進んだため、衣服が破れてしまい、ほとんど裸と言ってもいい格好だ。
傷はほとんど治ってしまっているがさすがに衣服までは直せない。
気配はしないが、念のために俺は地へ伏し、耳を当てる。
「どうやら追ってきても、外へ出てもいない、か」
あれほどの巨体が一歩でも動けば、大きな振動を生むはず。
しかし、それがないということは今、少なくともスルトは動いてはいないはずだ。
——人間である俺に、怒りを迸らせていたスルト。
もし、俺が地上に逃げれば当然やつも追ってきただろう。
そうなれば間違いなく、鉱山の外にいる民に被害が及ぶ。それは絶対にあってはならない。
それに、アイツには俺を殺す理由があるようだが、俺にはない。
だから俺は、スルトの攻撃で殺されたフリをして、あれ以上の戦いを避けることを選んだ。
問題だったのは、あの巨人のことを俺はなにも知らないことだった。
あんな意志を持つ鉱物など、過去に見たことも聞いたこともない。
どうやって俺を知覚しているかが全く分からなかった。
俺を人間だと判断した決め手になったのは、あの様子から恐らく視覚だろう。
だが一応、死んだと錯覚させるために、攻撃を受けた瞬間ほとんど
そして追撃が来ないのを確認してから、地中を掘って地上を目指したのだ。
——魔法を使えたらもっと早く出られたけど、感知されないとも限らなかったからな。
「……」
不意に、地下で見たあの光景が再び浮かぶ。
あの《精霊》を吸い込んでいた様子、あれはきっと——。
いや、ここで考えていても仕方がない。
「いったいなにを隠しているんだ、ケリュネア」
俺はそのまま夕日色に染まる大地を駆け、《拓かずの森》へと急いだ。
「こんな日暮れにどうしたのですか? それに、なぜそんな恰好で……」
なんの断りもなく木の繭の中へ上がり込んできた俺に、ケリュネアが目を丸くしている。
俺は「あ……」と自分の姿を見て小さく声を漏らす。
しまった、半裸に近い恰好なのを完全に忘れていた。
——いや、今はそんなことを気にしている場合ではない。
俺は一度かぶりを振り、巨鹿を見上げ、単刀直入に問う。
「ケリュネア、あの鉱山の地下にいた巨人はなんだ?」
「! ……見て、しまいましたか。たしかにその約束はしていませんでしたね」
俺の言葉にわずかに赤い光を大きくし、間を置いてから巨鹿は、遠巻きにスルトのことを知っていたと肯定する。
——やっぱり、知っていたんだな。
「じゃあ、あいつがしていることは?」
「ええ、知っています。きっといまだ《精霊》を取り込み続け、《加護》の力でアダマを生成しているのでしょう。——『私』との約束のために」
「——え」
俺は巨鹿の言葉に思わず、吐息ともつかない声を漏らす。
いま、ケリュネアは何と言った? まるで自分が——、
「遥か昔に、彼——スルト=ゴーレムにあの場所でアダマを作るように命じたのは『私』です。
正確には——、」
「それはっ、この国の土地に影響を与えると理解していてかっ!?」
大量の《精霊》を取り込むスルトのあの姿を見た瞬間、俺の視界によぎったのは痩せ細ったこの国の大地。
他の場所ではほとんど確認できない《精霊》があれほど一か所に集中する理由と、意味。
及ぼされるその結果は——、
「そうです」
ケリュネアは迷いなく、はっきりとした口調で問いに答えた。
「——理由があるんだよな……っ?」
俺のその言葉を、半ば乞うような声音で吐き出す。
そうであってくれ、と縋るように。
今、この国に住む人(俺たち)を憎んでいるからではない。
そう言ってほしくて。
少しだけ間を開けて、巨鹿が紡いだ答えは、
「——ええ。あれは、あなたたち人族の命を助けるために命じたのです」
「……ぶはぁっ! よかったぁ」
俺は放たれたその言葉に心底安堵し、肺から盛大に息を漏らした。
そのまま、身体がふやけてしまったかのように、ぐにゃりと地面に座り込む。
「そうしなければ、あなたたち人族は滅びていたでしょう——スルトの手によって」
やはりと言うべきか。
俺が人間だと気づいてからのスルトの怒り。
その経緯こそ分からないが、あの行動とケリュネアの説明が結びつき、得心がいった。
「そして、命じたのは『私』であって、『私』ではありません。
『私』が、この姿になる前の『私』。……どうしようもなかったのです」
「……なんだって?」
俺は、冗談など微塵も感じられないケリュネアの赤い瞳とその台詞に、一拍置いてから首をひねる。
謎かけか何かだろうか。
そんな俺の様子を見た巨鹿は、どこか遠くを見るように目を細めてから、ぐるりと見渡すように首を回しながら言った。
なんとなくその瞳は、この木の繭の中を映しているのではない、そう思った。
「あなたが初めてこの森へ訪れたとき、言いましたね。——ここは『彼の者』が《精霊の王》に願い、その命を対価に得られた地だと」
「ああ、たしかにそんなこと言っていたような……」
「その真意をお話しましょう。あなたと同じ夢を抱いた、彼女のことを」
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