第28話『三度目の』

「——これより我、《崩天竜》ファフニルの名において、《試しの儀》を執り行う」


 俺たちは《宝餌の蔵ほうえのくら》へと移動し、相も変わらず煌めく大地の上に降り立つ。

 クロさんと二人で向かい合ったところで、ファフニルは厳かな声音で言った。


「試者の名はナザ=クロエルト。汝、その命を賭して我にその力を示せ。これより汝が得られるは『死』か『力』のいずれかのみ。

 みそなわすは我らが主。たとえその御前おんまえかばねとなろうとも、汝は進むか?」


「愚問だ」


 彼女の声にためらいは微塵も感じられない。

 過去に二度敗れた国落としの力を持つと言われる存在に臆すことなく、力強く、一歩前へ踏み出す。


 ——古来より、力を求めて竜に挑まんとする者は多くいたらしい。

 それを竜が拒むことは絶対になく、この《試しの儀》を行ってきたそうだ。


 力を示せれば当代一の力が手に入り、敗北すれば死が待ち受ける。

 竜との《契約》とは、強さを求めんとする者からすれば、その命を懸けるだけの価値があるのだろう。


 俺がファフニルと契約ができたのは、俺がファフニルに望みを叶えてもらう、という意味であの戦いが《試しの儀》の役割を担っていたからだと、竜は言った。


 しかし、彼女が力を求める理由は俺の傍らにいるためだと言う。

 ——俺は今、いったいどんな表情を浮かべているのだろうか。


「よかろう。ここに儀の契りは成った。——始めよう」


 その言葉とともに、竜の尾はひゅんひゅんと音をたてながらうねり、剣を構えた剣士は腰を落とした。


「——シィッ!」


 今回も先に仕掛けたのは彼女の方からだった。

 風のようにな速さでファフニルの懐へ疾駆する。


「また正面からとは懲りんの……。せめて、違う結果を見せてくれ」


 ファフニルもまた、いつぞやと同じく尾による横薙ぎの剣閃で応じた。

 ——クロさんっ!?


 俺は焦り、心中で叫ぶ。

 その胴を二つに分かとうと迫る黒曜石の刀身。


 対し、彼女は竜に近づかんと走るのみで何もしようとしないのだ。

 ファフニルもそれに気づいたのか、わずかに訝るような表情を見せた。

 ——間に合わないっ。

 しかし構わず、勢いのまま尾は振り抜かれ、彼女の肉片が飛び散る惨劇を見ることになると、俺は覚悟した。きっとそれはファフニルも違わなかっただろう。


 ——しかし、そうはならなかった。


「なに……?」


 そして竜は、残像すら見せずクロさんを探す。

 ファフニルの反応も無理はない。

 俯瞰ふかんしている俺ですら、一瞬彼女が消えたようにしか見えなかったのだから。


「——フッゥ!」

「ぬうっ!?」


 わけも分からぬまま頭部に衝撃を受け、目を白黒させるファフニル。

 だがそこは伝説の魔族。

 その動揺も一瞬。即座に反撃に転じた。

 すでに着地し、次の一撃のために死角へと疾駆する彼女の姿を捉え、


「《地を走れ雷風》」

 

 ファフニルが唱え、まるで幾千もの鳥が同時に嘶いているかのような騒音が谷に起こる。

 竜の身体を紫電が包んだかと思えば、四本の剛脚を伝い、周囲一帯の地面へ電撃が迸った。

 予備動作から見切り、クロさんはなんとか魔法を躱す。

 ——だめだっ。距離を離したら……っ!


「《焦がせ火槍》」


 ——その雷撃はファフニルからの空への招待状。


 すでに放たれた赤熱する槍が彼女を穿たんと雨のように降り注ごうとしていた。


「——っ!」


 練達された剣さばきで身に迫る炎の槍のほとんどを弾くクロさん。

 その技量はさすがとしか言いようがない、——が。


「ぐうっ……!」


 右肩と左のももに被弾してしまい、その裂傷と火傷に苦悶の表情を浮かべている。

 幸いだったのは受けた傷がそのまま焼かれ、血が流れなかったことと、その長剣を握る腕に負傷を追わなかったことだ。

 先手は制したものの、竜との圧倒的な力の差によりあっという間に追い込まれてしまった。


「まさか、我の尾に乗って姿をくらますとはな」

「……お前の鱗は堅すぎる」


 ファフニルが言っているのは初手の攻防のことだろう。

 それは、彼女の姿が消えたように見えた理由。

 あのとき彼女は剣で受けるでも、いなすでもなく——死の剣閃の上に乗った。


 そして振り抜かれた尾の反動を利用し、空高く舞い上がり竜の脳天に一撃を叩き込んだ。

 ——ただの魔族との戦いであれば、間違いなくそこで勝敗は決していただろう。


 されど、彼女の相手は伝説。

 どんな軽業師でも成し得ない神業を竜が讃えても、その堅牢な鎧は彼女の剣がその身に刻まれることを許しはしなかった。


 あまりの加速に内臓にも負荷がかかったのか、その口の端からは一筋の血が伝っている。

 まさに満身創痍。


「ふふ、あのときわらべだった小娘が、我を昂らせるか」


 楽しそうな笑顔をこぼすファフニル。


「……だが、いま一歩及ばぬな」


 続けて紡がれる声は、表情とともにしごく残念そうに沈んでいく。


「……」


 ファフニルの言葉の意味は、彼女が最も理解しているのだろう。

 軋る音が聞こえてきそうなほど、その白い歯が食いしばられているから。


「その足ではもはや、次の一撃は避けられまい」


 竜のその声音は、心なしか物悲しさを湛えているかのような——、


「それを決めるのはお前でない、私だ」


 だがしかし、示されたのは揺るがない彼女の意志。

 その真剣な横顔から覗く、翡翠の瞳からはいまだ光を失っていない。


 クロさんの台詞に、ファフニルはまるで百面相するかのように、ころころと表情を変えていく。

 これから起こることを予期し、わずかに暗くしていた顔。

 そこから目を点にして、真顔になり、ついには笑みを浮かべる。


「——ああ、そうだな。来るがいい勇者よ。この死地、越えてみせよ!」

「無論っ!」


 吼える竜の言葉に気勢を上げ、クロさんは駆けだす。

 だが、やはり無茶だ! 最初の踏み込みの半分も速さが出てないっ。


「《噛み砕け——」


 ファフニルの呪文の詠唱とともに黄金の地にせり上がるのは、開口する竜の大顎。

 まず間違いなく、今の彼女ではその魔法の範囲から逃げ切ることは不可能だ。


 ——ごめん、クロさん!

 いよいよ飛び出そうと身体に力を込める。


「——焔牙よ》!」


 ファフニルの詠唱が終わり、炎竜の顎が彼女を呑み込もうとした、そのとき。


「《く駆ける》!」


 彼女の口から紡がれた呪文とともに、その身体を青白い光が包む。


「「!?」」


 俺とファフニルは同時に驚き目を見張った。

 ——クロさんが、魔法を!?


 ファフニルはおろか俺も、彼女がこれまで魔法を使ったところを見たことがない。

 それを今、彼女が使った意味。


 人はだれしも魔力を持つ。

 だけど、魔法を習得できるかは個人差がある。覚えられる種類にも。

 特に剣士を目指す者で、魔法の才を持ち合わせている者は多くない。

 俺も、彼女がきっとそうだと『勝手に』思い込んでいた。


 ——これは、まいった。


 彼女は身体強化の魔法の力で爆発的に加速し、瞬く間にファフニルの魔法範囲から脱出。

 剣を前に突き出したまま、影を置き去りにする勢いで竜に迫る。

 いまだ消えない竜の魔法。

 そして全く予想していなかった事態にファフニルの対応は遅れ、そして——、


「はぁぁぁああああっ!!!!」

「——ッ!」


 流星となり、燃えるような気迫で刺突を放ったのち、クロさんは地面に倒れた。

 その左手に剣は握られていない。なぜなら——


「……すごいや、クロさん」


彼女の剣は、あのとき俺にも切り裂くことのできなかった黒曜石の鱗を貫き、雄々しく突き立っていた。

倒れ伏すクロさんと自信に刺さる剣を見下ろし、静かに竜は言った。


「——認めざるをえまい。この幾星霜、我を《試しの儀》で傷つけた試者など一人としていなかったのだから」






「これで《契約》は完了だ」


 俺のときと同様、クロさんはファフニルの背に乗り赤い光に包まれていた。

 竜の言葉とともにその光は収束していく。


「……あまり変わった感じはしないな」

「じき、我との繋がりとともに《加護》が流れ、宿る」


 後日また確かめてやる、と言いながら、一度咳払いしたファフニルは背から降りたクロさんを見てその表情を歪ませる。


「——さて、これでぬしは我の下僕となった。以降、我のことは『ファフニル様』と呼ぶように」


 ふふんと、どこか勝ち誇り瞳を閉じているファフニル。

 ——しかし、


「……なにを言っている黒いの。さきの頭に与えた一撃でついに呆けたか?」

「なぁっ!?」


 大きな目を細めながら、しらけた声で告げるクロさん。

 その反応があまりに予想から外れていたのか、瞼とその大口をくわっと開けて盛大に叫ぶファフニル。


「《契約》は私が己の力で勝ち取った戦果(もの)。そして、お前の上位契約者は誰だ? そもそも私の上に座すことができるのは我が君のみ! 寝言は寝て言え」


「ぬ、ぬぐおあああっ! きさま小娘ぇっ! 良いだろう、その澄まし顔いますぐ屈服させてやる」


「ほう。では早速《竜の加護》とやらの力を確かめてやる。大したものでなかったらすぐにでも捨ててやろう」


「やめろおおおおおおっ!」


 上がってきたばかりだというのに、谷底へと駆け下りていく二人。

 俺は仲裁のために大声で叫びながらすぐにその後を追った。


 ——二人から覗く顔にはどこか笑みが宿っていて。

 変化してないようで確かな違いを感じるその関係の様子を、俺もまた笑みを浮かべて眺めていた。

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