第26話『きっと、この二人の存在が』
「セブンさま! あたしも森へ連れてってください!」
朝、今日も《拓かずの森》へ向かうため、馬車に乗り込もうと足を掛けたとき。
元気のいい声を背に受けた俺が振り向くと、そこにはメイド服の少女が跳ねるように駆け寄ってくる姿が。
「……また侍女長に大目玉くらうぞ?」
半眼にしてファリンの顔を見やると、少女は心外だと言わんばかりに頬を膨らませた。
「ひどい! 今日は侍女長さまにちゃんとお休みもらったもんっ」
口をとがらせて言うその様子はたとえ不機嫌そうに見えても可愛らしさを損なわない。
なら仕事をしてなくても問題はない、か。——でも、
「しかし、なんでまた?」
俺の心の声を代弁するように、クロさんが訝し気にファリンに問う。
彼女の言葉に、少女は悪戯っぽく微笑む。
「もちろんセブンさまと一緒にいたいからに決まってるじゃないですかぁ」
間延びした声で、しなをつくりながら言うファリン。
が、俺には通じない。
——クロさんが発した「……ほう」という声の低さに少し肝を冷やしたけど。
「本音は?」
「お城は暇すぎるので一緒についていきたいだけです!」
右手の指をぴんと伸ばし、額の辺り斜めにして当てポーズをつくると、あっけらかんとファリンは言い放つ。
「……そうだな。せっかくだし、一緒にいこうか」
俺は掛けたままだった右足に力を入れ、車体に『我が君専用』と刻まれている、他と少しだけ意匠が異なる馬車へ乗り込むと、少女を手招きした。
少女は、ぱぁっと顔を花のように咲かせると、その短めの癖毛をふわふわさせながら馬車に駆け乗る。
ファリンには本当に笑顔がよく似合うと思う。
それに、この子の笑顔にはきっと——。
俺の隣に嬉しそうに座った少女の横顔を眺めていると、ぶつぶつとなにか呟きながら最後にクロさんが乗り込む。
そして彼女は馭者に指示を出し、静かに馬車が走り出した。
森へ到着した俺たちは、馬車を降り《始まりの畑》へ向かった。
——《始まりの畑》
ここはただの畑ではない。
数百年間拓かれなかった森に作られた、人間と魔族との友好の証、これから紡がれていく関係の始まりとなる場所。
そんな思いを込めて、そう名付けた。
「あ! 姐御だ!」「おいみんなっ、姉御が来てくださったぞ!」「今日もがんぷ——いえ、ご視察ありがとうございます!」
畑のある窪地に足を踏み入れて間もなく、男たちが一斉に彼女の姿へ反応し、統率された動きで挨拶をする。
「お前たち、我らが君主への挨拶はどうしたっ!」
クロさんはこめかみに筋を浮かべ、喝を発する。
「まずい、国王様も一緒だったぞ」「クソっあまりの眼福に目が眩んでっ!」「ばか、お前ら。お礼が先だ! セブン様、今日もありがとうございます!」
「もういいよっ!」
いまの礼は絶対に俺が来たことに対してではない。——絶対だ!
彼らはこの仕事が始まってからというもの、すっかり眼福——いや、クロさんに心酔してしまっていた。
もはや彼らの中で俺の扱いは国王ではなく、『クロさんを連れて来てくれる良い人』とか化している気がした。
だが以前よりも、堅かった彼らの態度が軟化したと感じてもいるので、嬉しくもあった。
俺たちはそのまま畑を素通りし、森の奥へと向かう。
「あれ? セブンさま、畑、通り過ぎちゃっていいの?」
「我が君?」
ファリンもクロさんも、俺の意図を測りかねているようだ。
畑のある窪地から奥に、クロさん以外を連れていくことなんて初めてだからだろう。
「……ああ、良いんだ。ファリンに会わせたい子がいるんだよ」
「会わせたい子? 森に?」
ファリンは当然、心当たりがないため「んー?」と首をひねっている。
「おーい! ツルキィ、いるか!」
「ワウッ! キャウンッ!」
あの臆病な少女の代わりに、甲高い鳴き声の応答が返ってくる。
耳に覚えのある音に顔を向ければ、ツルキィの相棒である白い魔狼レタル―がなんとも不安げな表情でこちらへ駆けてくる。
だが、いつもならその背に乗っているはずの少女の姿は見えない。
「やあレタルー、ツルキィはどうした?」
「キャイン!」
魔狼は空を見上げて、心配するような声で一度吼えた。
それが意味するのは——、
その動きに連れられて上を向いた直後、ぶおんっ、と風の鳴る音とともに俺たちの上に大きな影が落ちる。
「ほひゅひん! ちゅるきぃなは、ほほはほっ!」
妙に舌足らずな唸り声が聞こえてきたかと思えば、そこにはぐったりしたツルキィを牙に引っ掛けて、ファフニルが空から降りてくるところだった。
「……なにしてるんだファフニル」
俺の声の調子から呆れられていると悟ったのだろう。
ツルキィを降ろすと、すぐにファフニルは顔をひそめ、遺憾の意を表し——、
「ご主人がツルキィを呼ぶ声が聞こえたから連れて来てやったというのに……」
そう拗ねたように言い、そっぽを向いた。
「またツルキィをからかって気絶させたんだと思ったんだ。ごめんファフニル」
俺は苦笑しながらファフニルに謝ると、
「いや、そこは間違っておらぬ」
「おい!」
今後のことも考えて、そろそろツルキィに耐性をつけさせた方が良いかもしれない。
そんな二人の関係に気をもんでいると、
「うわぁー!」
驚きと興味が混在したような声音にはっとする。
しまった!
まだ彼女とファフニルと会わせる気はなかったのに!
恐怖と焦りに駆られ顔を横に向ければ——その薄黄色の瞳からきらきらと星をこぼすファリンの横顔が。
——え、がお? この黒い竜を見て、表情を蒼くさせるのではなく、明るい笑みを浮かべている?
俺の理解が追いつかないうちに、さらに目を疑う光景が続いた。
少女はあらゆるお伽噺にうたわれるその存在に、なんの臆面もなく駆けだしたのだ。
「ぬおっ! なんだこの珍妙な姿の小娘はっ!? 無礼であろう!」
ファリンはその前足に飛びつくと、その鱗に頬ずりし、ファフニルをもたじろがせる。
「すべすべぇ! それにキレー!」
動揺し、身を硬直させる竜にかまわず、好き勝手にふるまう少女。
興奮したように目を輝かせて言うその台詞が嘘ではないことは、確かめるまでもなく俺と、そしてきっとファフニルにも伝わった。
「ぬ、ぬしは我が怖くないのか?」
「どうして? あたしが前に捕まってたヤツに比べたらなんともないよ!
それに、怖いどころか嬉しいわ。夜空みたいに黒い肌! まるで《夜神》が宿っているみたいな黄色の眼! すごく素敵よ!」
恐らく竜が何百年も生きてきて、初めてのできごとなのだろう。
ファフニルは終始、その己より遥かに小さな少女に翻弄され続けている。
——こんな、こんなことになるなんて夢にも思わなかった。
俺は直感する。この少女の存在もまた、この国に必要不可欠となることを。
「——ふ、はははははははははっ!」
ファフニルは彼女の言葉を受け、天を仰ぎ大笑いした。
「どうしたの?」
ファリンはその姿を不思議そうに見上げる。
「いや、ご主人以外にも変わり者はいるものだと思ってな。
——我の名はファフニル。ぬしの名は?」
ファフニルはひとしきり笑ったのち、少女の名を求めた。
「あたしの名前はファリンよ! よろしくね、ファフニルさんっ」
「うむ。ファリンよ、ぬしには見どころがある。それに、同じ月色の眼を持つよしみで我の背に乗せてやってもいいぞ?」
「え! ほんと!?」
ファフニルの言葉に無邪気にはしゃぐファリン。
それを見下ろす竜の瞳は、かつてないほど温かな光を宿していた。
「……うーん」
そのとき、気絶していたツルキィの意識が戻ったのか、小さく声を上げる。
「おっと、すまないなファリン。背に乗せるのはまた今度だ。我がいてはご主人がツルキィと話ことが出来んからな」
「うんっ。約束ね!」
気を利かせたファフニルが、そうファリンと約束を交わし、上機嫌で森の奥へ去っていく。
すると——、
「……我が君、少し席を外してもよろしいでしょうか」
「あ、ああ、わかったよ」
「ありがとうございます」
どこか固い声音に、真剣なまなざしで言われ、俺は思わずうなずいてしまう。
それから彼女は、ファフニルが去ったのと同じ方向に歩いて行ってしまった。
……なにかファフニルに用事でもあるのだろうか。
二人の去った方を見つめていると、ツルキィがむくりと身体を起こすのが視界の端に見えた。
「おはようツルキィ、こんなところで昼寝か?」
「へ……セブンさん? どうしてここに?」
どうやら気絶する前のことは覚えていないらしい。
「この子が会わせたいって言ってた子? セブンさま」
ひょこっと俺の脇から姿を覗かせ、ツルキィを見るファリン。
「ああ、紹介するよ。彼女はツルキィ。ドワーフと呼ばれる魔族で、鍛冶が得意なんだ。
クロさんの鉢がねもこの子が作ったんだぞ」
ついでに言えば、俺たちが乗ってきた馬車もツルキィがクロさんに頼まれて作ったものだ。
相変わらず腕は良いのだが、クロさんのあの手の頼みは断ってくれていいと思う。
「え!? あの綺麗な模様が入ったクロ姉の髪飾り? あれあなたが作ったの!?」
ファフニルのときと同じように、瞳に星を宿すファリン。
——そしてやはり、ツルキィにも奇異の目を向けることはない。
「あなたは……人間!?」
反面、俺とクロさん以外の魔族ではない者を前に、ツルキィは動揺した様子だ。
「え、と……」
言っていいの? と目で聞いてくるファリン。
俺はそれに微笑みで応えた。
すると、少女もまたにっと笑い——、
「ううん! 私はね——獣人なの!」
言いながら、頭に載せている白い布——ヘッドドレスと言うらしい——を取り外し、獣人の特徴である頭部の耳をあらわにするファリン。
「クロさまとおなじ獣人さんですか……?」
ツルキィは意図を測りかねているようで、俺とファリンを交互に目を向ける。
「そうよ。ねえツルキィちゃん、あたしと友達になってよ!」
「へっ!? ともだち!?」
満面の笑みを浮かべて告げる少女に素っ頓狂な声をあげてオウム返しにするツルキィ。
「ええ! あたし、まだこの国に来たばかりでお友達がいないの……だめ?」
最後、少しだけ不安げな声音となったファリン。
そんな彼女にツルキィはおっかなびっくりな様子でその返事をした。
「え、あの、ボクでよければ?」
こうして魔族の少女と獣人の少女は『友』となった。
はたから見れば、なんとも簡単なことに見えただろう。
だがこれはきっと、この世界で生きた誰かが、どんなに願おうとも得られなかったものが生まれた瞬間だ。
俺は思う。
この小さな二人の関係が、この国の運命を左右するのかもしれない、と。
——そんなこと、当人たちは夢にも思わないだろうけど。
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