第25話『精霊の力の一端』
「美味しすぎる!」
俺は執務室の机の上に並ぶ、色とりどりの野菜や果実を手に唸った。
「我が君、なにも生で召し上がらずとも良いでしょうに」
クロさんが脇に立ち、呆れたように言う。
「いや、つい」
俺は苦笑気味なりながら頬をかく。
以前はアイツが作ってくれたもの以外は自分で調理するか、それ以外は生で食べていた。
そのせいか、俺は調理した食材も、生の食材も両方好きだ。
それに、生で食べた方がそのものの美味しさがよくわかるからな。
——今食べているのは東の国の紫色のジャガだ。
普段食べていた薄黄色のジャガと比べ、その毒々しい色に身を引いたのも一瞬。
咀嚼してすぐに広がりはじめる味に俺は目を剥いた。——甘いっ!?
まるで、高級であまり使えない糖を振りかけたような甘さだった。
食感は似ているのに、味がまるで違う!
他にも、苦みがあるものの、それが癖になりそうな味の光沢ある緑の野菜。
試験的に少量だけ栽培した、香辛料に使うという火が吹くほど辛かった赤い悪魔。
その火を消火させたみずみずしい橙色の果実。
そして安定の——
「うん!? こんなに美味しいジャガは初めてだ!」
これほど丸々して美味い作物が
つい先日も同じことを思ったが、《精霊の加護》の恩恵がこれほどとは思いもしなかった。
「本当でふね! セブンしゃまぁ!」
がつがつがつ! もきゅもきゅもきゅ! ムシャムシャムシャ!
将来が楽しみな人目を惹く容姿に、その魅力を引き立てるメイド服を着た緑がかった髪色の少女。
——ファリン=エナラリアは、俺の膝上に座り、そのすべてを台無しにしながら食事を敢行していた。
ファリンは結局、ナベルたちと獣人の里には戻らずエンドゥスへ迎え入れることとなった。
そも、メイド服はアンヘルが獣人の特徴を隠すために作った侍女服であるため、少女は獣人と気取られることはなく、そのまま城で侍女として働く運びとなった。
今はお勤めの真っ最中……のはずなのだが。
ファリンはまるで「これが仕事です」と言わんとするように、勢いよく野菜たちにかぶりついては、呑み込み終えないうちに、次から次へとその愛らしい口へと放り込む。
——ときおり、威嚇するように正面へ唸りながら。
「……ファリン、何をしているのですか?」
クロさんが零下の気配を発するも、彼女は動じない。
「何って、見ればわかるでしょクロ姉ぇ。良い匂いがしたからご飯を食べに来たんだよ!」
さも当然のことのように言う少女。
せめて口の中のモノをすべて呑み込んでから喋ってほしい。……あ、またこぼれた。
「あなたは仕事中のはずでしょう。さらに言えば、それは我が君のものです!」
「むーーーーーー!」
クロさんが椅子から降ろそうとするも、短めの癖毛を激しく揺らしてそれを拒むファリン。
「まぁまぁ、それは気にしないから。でもファリン、仕事をサボるのはよくないな」
クロさんを宥めながら、少女に諭すように言った。
「でないと——、」
コンコン——カチャリ。
執務室の扉が控えめに叩かれたかと思えば、ゆっくりと開きはじめる。
開かれた扉の前に立っていたのは、侍女服を着た恰幅の良い女性。
彼女は優雅な所作で腰を折ると、「失礼いたします」と挨拶した。
そして、その艶のある頬に微笑みを浮かべたまま入室し、こちらへゆっくりと歩いてくる。
「——侍女長がくるぞ?」
しかし、その忠告はすでに手遅れだった。
「ファーリーン―!」
次の瞬間には侍女長から笑顔は消え、それはそれは怖い表情になる。
身体を揺らめかせながらこちらへ迫るさまは、さながら幽鬼に見えた。
「ひっ、ひぃぃいいいいぃいぃっ!」
メイド服の少女は悲鳴とともに毛を逆立てると、獣人の身体能力を総動員して離脱を試みる。
だが不思議なことに、見た目もさることながら明らかに能力で劣るはずの侍女長が、瞬く間にファリンを捕らえる。
——その様は、まさしく達人のそれであった。
「ではセブン様、失礼したします」
くるりと彼女がこちらを向いたときには、もとの微笑みに戻っていた。
一礼し、去っていく侍女長。
「あーーーーーっ!」
小脇に抱えられたファリンは、扉が閉まる寸前。
活発そうな目の端に涙を浮かべ、さながら断末魔のような声をあげると、その姿を扉の向こうへ消した。
「……」
クロさんはその光景に冷や汗のようなものをかき、唖然としている。
「仲良くやっているようで何よりだ」
俺はうんうんとうなずく。
——そして、
「……主よ。これだけ輝く逸品。間違いなく売れるでしょう。販路の確保、僕にお任せください」
ファリンのせいでずっと機会を逸していたアンヘルが、好機とばかりにすかさず言った。
その言葉に俺は首肯し、
「当面は日持ちするものを重点的に栽培して、余裕を持てたら少しずつカラザムへ商品として出荷させてもらいたい。よろしく頼む」
「仰せのままに。——では、クロ君もまた」
「……ああ」
まだぎこちない様子がうかがえる彼女の返事も受け、小さく会釈をしてアンヘルも退室していく。
いくら彼が獣人のために行動していると知っていても、こればかりは今しばらく時間がかかるだろう。
ファリンなど直接怖い目にあった者はもっと。
——アンヘルは現在、拠点をカラザムに置いたまま、ときおりこちらへと出向く生活をしている。
アンヘルはその妄執から許されない研究をしていたが、それでも《天商の加護》によって築いた彼の実績と伝手はこの国になくてはならないものだった。
今はそれを活かし、カラザムとの交易の準備をしてもらっている。
俺はその背を見送りながら、この数日間のことを思い浮かべていた。
——カラザムから戻り、必要なものを準備し終えた俺は、ケリュネアから借り受けた《拓かずの森》の一部の開拓を実行に移した。
初め、俺は森でのトラブルに備え、陣頭指揮のために同行するつもりだったのだが、
「もう実がなってる!?」
その光景に全員違わず同じように目を丸くして驚いた。
『伐採後に放置すれば、すぐに草木が成長する』というケリュネアの忠告もあったのと、やはり小さな樹海となっている土地を普通の人間で開拓しようとすれば、それなりの時間を要す。
ということで、一部のみを少しずつ開拓し、そのまま土地を耕して種をまくことにした。
しかし、《精霊の加護》が作用したこの森の力は凄まじく、想像をはるかに上回る速度で成長し、次の日はもう作物の実が成っていた。
それも、見たこともないほど大きく丸々と太った実だ。
ここまでとは……。
そんな光景を見てしまった俺は、もはや指示に留まらず作業にも参加することにした。
「おやめください! 国王様を働かせるな、ん……え?」
ぼごんっ!
「はは。気にするな、って言っても無理だよな。——クロさん、これ運びやすいように斬ってくれる? 材木として使うから四角い縦長に」
優に十メートルを越える樹木を苦も無く引き抜いた俺を見て、男の言葉が止まった。
それを大して気に留めず作業を続けながら、俺はクロさんに指示を出す。
「承知しました」
次々に根ごと引き抜いた大木を並べ、それをクロさんが加工する。
その姿を民たちは口をあんぐりと開けて見ていた。
民の仕事を奪ってしまうのは心苦しいが『あれ』を見た以上、悠長にしているわけにもいかない。
「お前たちっ! 我が君が御自ら働かれているというのに、なにを呆けている! 残った雑草を一掃し、地を耕せ!」
「はっ、はいいぃ!」
クロさんの檄に尻を叩かれ、彼らは慌てて作業に戻っていった。
そして、みなの尽力のおかげで二日目にして開拓と主食であるジャガを始めとする様々な作物の種まきを終えることができたのだ。
——次の日から大量の収穫と種まきの繰り返しが始まる。
これが結構な労力を必要とした。
偶然にも土地の規模から、ここで働く民の人数を限定し、日ごとの交代制にしたのは僥倖だったと今は思う。
これで民が飢えることはなくなるだろう。——少なくとも今は。
先のことを考えれば、これでもきっと足りなくなるだろう。
明日には来るだろうアンヘルに交易のことも含め相談し、今後はこの国の土地を活かす方法も考えなくては。
——それはそうとして。
さしあたっては、窪地の壁の向こうからひょこひょこと顔を覗かせるファフニルを、騒ぎになる前にどうにかしなければならなかった。
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