第24話『もみもみもみ、すりすりすり』

 すっかり夜が明けてしまった。

 すぐ戻る、なんて言ったのにこんなにこんなに遅くなってしまうとは。


 ——すりすりすりすりすりすり。


 あんな風に言ってしまった手前、すごく戻りづらい。

 持ち上げる足が、牽いていた荷車の何倍も重く感じられた。


 ——もみもみもみもみもみもみ。


 俺は引きずるようにして足を進めながら、身体にまとわりつくいくつかの感触を、半ば無理矢理に意識の外に放り出していた。

 自分以外にも囚われの身から解放された、たくさんの足音を引きつれて、俺は歩き続ける。

 だというのに、みな言葉を忘れてしまったかのように何時間も黙ったまま。

 この気まずさに耐えるのも、もう限界——、


「セブンさんっ!」


 そんな俺の耳に、まるで救いの手を差し伸べるかのような、獣人の青年の呼び声が響く。

 その声に、遠くの虚空を見上げていた視線を戻せば、ナベルと他の五人が駆け寄ってくる姿が。


「よかった無事だったか! 他のみんなも——はあっ!?」


 その言葉は最後まで紡がれることはなく。

 代わりに有り得ないものを見たかのような、ナベルの外れた声が飛ぶ。


「悪いな、全員連れ出すのに時間がかかったんだ」


 救出した者の中には獣人然とした姿の者もいる。

 アンヘルの屋敷は街の中心。混乱の渦中だったとはいえ、外壁の場所まで見つからないように移動するのは時間を要した。


「いや、なんで……」


 ナベルの視線は俺の背後を凝視したまま、固まってしまっている。


「気持ちはわかるが、落ち着いてほしい」


「お、落ち着けるか! なんでそいつが! ——アンヘルがここにいやがるっ!」


 ——すりすりすりすりすりすり。


「ああ、説明するからちょっと——」


 ——もみもみもみもみもみもみ。


「ええい! なんでお前はこんな針のむしろにいるような状況で平然と肩を揉み続けられるんだ!?」


 俺はカラザムから出てずっと肩を揉み続けていた手を振り払いながら声を上げる。

 後ろの獣人たちもずっと気まずそうに静まり返っていたというのに、何時間も俺の肩を揉みながら歩き続けたのだ。

 

「主よ、僕は御身の疲れを少しでも癒したく——っ!」


 頬からごりっ! と鈍い音をたてながら倒れるアンヘル。

 その軌跡を辿れば、拳を振り抜いた体勢でナベルが息を荒くしていた。


「はぁ、はぁ! ——ッ!」


 さらに追撃を仕掛けるため、飛び掛かろうとその腰を低くしたところで、


 俺は殺意をむき出しにした彼とアンヘルの間に立ちはだかった。


「どいてくれセブンさん! そいつを殺せない!」


 殺されたら困るから止めているんだ。


「だから落ち着けと言っているだろ。ここにこの男がいる理由は——アンヘルは俺にもとに降った。それを伝えるために、ここへ連れてきたんだ」


「!? な、にを言ってる……」


 ナベルは一瞬、まるで知らない言語を聞いたかのように呆けた顔になる。

 しかしすぐにその歯を剥き出しにして激昂した。


「そいつは! 俺たちの仲間を弄び、誇りを嗤いながら奪った人間だぞっ!?

 なぜそんなやつを仲間なんかにっ。その外道に生きる価値などないはずだ!」


 ナベルは全身を怒りに振るわせ、泡のように白い唾を飛ばして叫んだ。

 ……たしかにその通りなのかもしれない。


 あれだけの凄惨な所業。

 命や、彼らの尊厳をアンヘルは弄んだ罪。

 死んだって赦されないし、殺されたって文句は言えないだろう。


「ナベル、たしかにこいつは悪事に手を染めたし、お前たちを傷つけた。

 ——でも、死んでいいことにはならない」


「な、ん」


 もはや怒りの限界を通り越してしまったのか、言葉にならない声を上げるナベル。

 それでも俺は続ける。


「生きる価値がないヤツなんていないんだよ。どんな存在でも。

 それをナベルお前たちは誰よりも知っているはずだ。だからこいつにも『生きて』償ってもらう」


「ふざけ」


「——信じてもらえないかもしれないが」


 いつのまにか立ち上がっていたアンヘルがナベルの言葉を遮った。

 その表情には常に浮かべていた微笑みはどこにもない。


「僕は、このセブン様と——主とともに、君たち亜人種と呼ばれる者たちが人間と生きられるようにしたい。僕を赦さなくても構わない。それでも、どうか君たちのために生きることを認めてほしい!」


 アンヘルは地に跪き、彼の目を真っ向から見てそれを請う。


「——! っ……クソがぁっ!」


 ナベルは怒りの矛先を失い、天に吼えた。

 それから俺の方を睨む。……その目はすわり、怒りを宿したままだ。


「……セブンさん、あなたに仲間たちを助けてもらったことは感謝する。

 けど、恩に背くことを承知で、俺はそいつのことを認めない。絶対にだ!」


 そう言い捨て、ナベルは俺に背を向ける。


「どこへ行くんだ?」


「決まっている。俺たちの里へ帰る……世話になった」


 消えてしまいそうな声で呟いてから歩を進めるナベル。

 やはり他の獣人たちも彼と同じ気持ちなのか、俺に申し訳なさそうにしながらもナベルの後に続いていく。


「もしっ!」


 俺はナベルの背に向かって叫ぶ。


「もし、助けが必要になったらエンドゥスに来い! そしてその時は森へ行け! そこにいる《森の王》に俺の名を出せば必ず応じてくれるから!」


「……」


 わずかに足を止めたが、ナベルは応えることなく再び歩き出し、去っていった。


「主よ、申し訳ありません。僕のせいで彼らに」


「いや、あの反応は当然だ。それだけのことをお前はした。俺だって本音ではお前が憎いさ」


「……」


「だから俺の手足となって尽くせ。他でもない彼らのために」


「御心のままに……ありがとうございます」


 小さく呟かれた言葉は聞こえなかったフリをした。

 ……さて、そろそろ。

 いっこうに近づいてこない銀髪の従者のもとへいき、声をかける。


「クロさん、遅くなってごめん。それとさっきは——」

「——私は、強くなります」


 背を向けたまま、クロさんがふいに宣言した。


「もう、置いていかれたくありません」


 俺はそのまっすぐな強い決意をうけ、どんな言葉を返すか迷った末に。


「……ああ、楽しみにしてる」


 そう一言、彼女の強い背中に返した。


「——はい。では戻り……なんですかは?」


 振り向いたとき、わずかに浮かべていた微笑みは一瞬で無にかえる、


「あーー、いや」


 街から離れてこっち、アンヘル同様——いな、文字通りずっと俺に張り付いていた存在がいた。


 ——すりすりすりすりすりすり。


 メイド服を着用した、緑がかった髪の少女。

 なぜか俺の胴をしがみついて離れず、甘えるように顔を擦りつけている。

 理由は分からないが、俺が少女を見つけた途端に飛びついてきて——


「イルミナさまぁ~」

「だから俺はそんな名前じゃないと何度も——」

「《大地照らす者イルミナ》!? お前もこの方をそうだと!?」

「クロさんまで!? なんなんだ『いるみな』って……」

「主よ、僕がご説明しましょう」

「だまれ外道! 何度も言ってるだろイルミナさまに近づくな!」

「そういえばお前、ナベルたちと行かなくて良いのか!?」


 しばらくの間、俺とクロさん。

 そして、新しく加わった二人の騒がしいやりとりは続いた。

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