第13話『ただいま《拓かずの森》』
下方から悲鳴のような声が聞こえる。
ファフニルが上空に姿を現したことで《拓かずの森》は騒然としていた。
「おっ」
逃げ惑う森の魔物たちを守るかのように《森の王》ケリュネアが樹上に姿を現す。
あの巨体でどうやって樹の上に立っているのかと思えば、それは立つというよりは枝葉の延長上に自らを生やしているように見えた。
「竜よ、また来たのですか! ——!?」
警戒の声を発し、こちらを窺うケリュネア。
しかし巨鹿すぐに、竜の前足の隙間から手を振る俺のことに気がついた。
「おーい! 戻ってきたぞー!」
空から手を振る俺に驚きを隠せていない様子のケリュネア。
俺はファフニルに、森の中にある湖のほとりへ着地するよう指示する。
最初に来たときは気づかなかったが、空から見ると森には小さな湖が見えたのだ。
そこには身体の大きなファフニルが着地するのに十分な広さがあった。
ファフニルは粗暴そうな印象とは裏腹に、その着地は非常に穏やかであり、衝撃はほとんど感じなかった。
三本の足のみで器用に着地したファフニルは、左前足の指を開き、俺とクロさんを地面にそっと降ろす。
「ありがとうファフニル。快適な空の旅だったよ」
「礼には及ばない、ご主人」
何も告げないが、俺は空でファフニルの多大な気遣いを感じていた。
飛行中から着地に至るまで、竜の配慮を感じないところはない。
高い場所を高速で飛行しているにも関わらず、俺たちが風の影響を受けずに済んだのはファフニルが魔力壁を張ってくれていたからだし。
着地のときの振動の少なさも、制動に限りなく気を使ってくれたからこそだ。
「……」
「クロさんは大丈夫……じゃなさそうだね」
そんな竜の気遣いも空しく、クロさんの顔は真っ青だ。
いや、そもそも彼女から聞いたトラウマを植え付けられた状況と酷似しているし、無理もないか。
俺は湖の淵へ行き、水面を覗き込む。
その底まで透き通った水を両手で掬い上げ口に含んでみる。
「冷たくておいしい……これなら飲んでも問題ないだろう」
そして、鞄から取り出した革の水袋を浸して水を汲んでから彼女のところまで戻ると、それを差し出す。
「ありがとうございます……おいしい」
クロさんは礼を言ってから水を一口飲み、目を細めた。
「……」
「なにか?」
「いや、少し休んでて」
俺は
やはり体調がすぐれないからか、いまだに兜が外れていることに気づいてない。
切り出すのは後にしよう。
——しゅるしゅる。
不意に、なにかが擦れる合うような音が聞こえた。
背後に湧いた気配に俺は振り返る。
その大きな気配から分かりきっていたが、やはりケリュネアだ。
空でこの巨鹿が現れた場所からは距離があった。
最初のときと同じように、やはり気配は突然湧き、足音すらしない。
どういう理屈か分からないが、ケリュネアは森の中を瞬時に移動することができるようだ。
「本当に無事に戻るとは思いませんでした。——しかし、これはどういう状況ですか?」
そして現れた巨鹿は訝しむように、瞳の赤い光を丸から線に変えて、俺へ問いかけてきた。
「約束を守った」
「竜を連れてくることがですか?」
「ああ。《宝竜》が森を襲う心配がなくなったからな」
「なぜそう言い切れるのですかっ」
ケリュネアは苛立たし気に語気を強める。
「俺と《宝竜》——ファフニルは、俺が上位の契約を交わした」
同時に、右こぶしの甲を《森の王》へ見せる。
「!?」
ケリュネアの瞳の光が丸く、大きくなる。
きっと驚いているのだろう。
俺自身もいまだに信じられない。
人間が伝説の魔族と、それも主として契約しているなんて。
「だから、っていうのもおかしいけど、こいつは森を襲わないよ」
「——我もこの主の信用に懸けて誓おう。我は絶対にぬしらを傷つけぬ。
……もとより、傷つけるつもりはなかった。ぬしらが騒いでいた理由が我のせいだとは思ってもなかったのだ。すまん」
ファフニルは俺の横で、その長い首を傾け、瞳を伏してケリュネアに謝罪する。
「……」
ケリュネアは有り得ない光景を見るように目の前の竜を見つめていた。
「俺と、ファフニルの言葉を信じてもらえないか」
しばし間を開けてからケリュネアが口を開く。
「《契約紋》もある以上、契約の話も嘘ではなさそうです。
——あなたたちを信じましょう」
ケリュネアのその言葉を聞き、俺とファフニルは、ばっと顔を見合わせた。
「やったぞ! ご主人!」
「ああ、お前のおかげだ! ありがとうファフニルっ!」
俺たちは大声を上げて喜び合う。
「ファフニル、あなたが敵ではないことを森の民たちへすぐに伝達しましょう。
——それまで混乱を招かないよう、ここから動かないでください」
そう言うと、まるで巨鹿は地面に吸い込まれるようにして姿を消した。
「セブンさーん!」
ケリュネアが姿を消して間もなく、森の中から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
現れたのは俺たちが森で最初に出会った魔族。
ドワーフの少女、ツルキィだ。
走る白い魔狼の上にまたがりこちらに近づいてくる。
「おーいツルキィ!」
俺はツルキィに手を振る。
目の前に到着していの一番に彼女は言い放った。
「クロさまはご無事ですか!?」
「……俺の心配は?」
「そんなことよりクロさま!」
そこには明確な格差があった。
いくら怖がらせたからってあんまりじゃなかろうか。
「……無事だよ。というか目の目前にいるだろう」
疎外感を感じ、俺は小さく息を吐きながらすぐ脇に座るクロさんに視線を向けた。
「もう私を忘れてしまいましたか? ツルキィ」
「……え?」
俺のあとにクロさんが続き、少女に声をかけた。
が、クロさんを見つめるツルキィの表情は、まるで初めての顔を見るような反応で、
……あ。
まだ戦闘でクロさんの兜が壊れたことを伝えていない。
「まて。ツル——」
「ええぇぇぇえっ! あなたクロさまなんですか!? あの黒いお面してないから分かりませんでした!」
「ッ!?」
口を大きく開き、驚くツルキィ。
——遅かった。
クロさんはツルキィの言葉を受け、まるで雷魔法に撃たれたような表情を浮かべている。
胸に抱えるように持っていた水袋を地面に落とすと、慌てて自分の顔をぺたぺたと触った。
そして兜が本当に無いことを検めると、瞬時に両手で頭部を押さえ——そろりと窺うように俺の方を見た。
「……」
「……」
顔に汗を滲ませ、見ましたか? と無言で問うクロさんに、俺は苦笑で以て応える。
「
——そこへツルキィがとどめをさした。
銀髪の麗人の表情が絶望に染まる。
クロさんはあまりの衝撃に先ほどまでの不調すら吹き飛んだのか、勢いよく立ち上がると森の中へ風のように走り去った。
両手で頭部を押さえながら走る様は、普段の様子との差が激しく思わず相好を崩しそうになるが、
「そんなことしてる場合じゃないよな」
俺はクロさんを追うために駆けだそうと——あ、そのまえに。
「すぐ戻る! そこでじっとしてろよファフニル! さっきもケリュネアが言ったけど、お前が森に入ったら余計な騒ぎが起きかねないからな!」
そう言い残して、俺は今度こそ森に入る。
「ああ、わかっておる」
「……ファフニル? ——ぎゃあああああぁぁぁあ!?」
「ぬし、我に気づいておらんかったのか!?」
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