第14話《ナザ=クロエルト》

 ——クロさんを捕まえるのは簡単だった。

 両手で頭部を覆ったまま走り続け、腕を使えず機動力が数段落ちていたからだ。


「……降ろしてもらえませんか」


「逃げないって約束できるなら」


 俺に捕まった彼女は荷物のように小脇に抱えられている状態だ。

 彼女の背の方が高いから、ずるずると足だけは引きずってしまっている。


 捕縛後も抵抗を続けていたが、逃げられないと悟り今は大人しく運ばれている。

 彼女の両手はなおもその頭にのせられたままだ。


「……お約束します」


「わかった」


 俺は歩く足を止めて、クロさんを解放する。


「クロさん」


「……」


「そのポーズすごい扇情的」


「ッ!?」


 ——ぎりぃっ!


 クロさんの褐色肌の顔が目に見えて紅潮し、その瞳は俺を睨みつける。


 両腕を上にあげているせいで、胸が張られただでさえ目立つ『それ』が余計に強調されている。——眼福です。


 しかし、これでも動かさないとは。

 普段なら顔面を鷲づかみにされてもおかしくないことを言ったというのに、羞恥心に堪え、腕をあげたまま彼女は微動だにしない。


 そのかわりに彼女は俺に背を向けた。


「なんで逃げたのさ」


「……」


「その手、降ろしたら?」


「……」


「クロさん、だったんだね」


 びくりっ。


 その言葉に彼女の肩が跳ねる。


「……はい」


 それから諦めたように脱力し、彼女は両腕をだらりと垂らす


 あらわになった頭頂部には、人間とは異なる場所に、異なる形をした二つの『耳』があった。

 それは彼女の銀髪と同じ色の体毛に覆われ、今の彼女の心情を現すかのように倒れてしまっている。


「ひょっとして父上は知っていたのか?」


「ええ、私は先王様に命を助けていただいたとき兜などしていませんでしたから」


「兜は父上がしろって?」


 俺の問いを彼女は首を横に振り、否定する。


「違います。

 先王様は大怪我をした私を完治するまで城においてくださっただけでなく、城でこのまま働いてくれと言ってくださった。

 ……獣人族を人間が雇う危険さをセブン様も理解しておられるでしょう」


「——うん、

 

 この世界には家畜などの『動物』

 人間と呼ばれる『人族』

 同族すらも襲う人型から異形まで大小さまざまな姿を持つ『魔族』

 すでに絶滅したとされるエルフと呼ばれる『森族』

 そして『亜人種』と呼ばれる者たちが棲んでいる。


 亜人種と呼ばれる者たちは、人間の姿に身体の一部、もしくはほとんどに動物的な特徴を持つ存在。


 けもの然とした特徴を持つ彼らは獣人種グランディアとも呼ばれる。


 人間は亜人を『人』とは認めず、人に近い『何か』とくくり、彼らを遥か昔から迫害し続けている。


 亜人種たちは人間の国で働くどころか、入ることすら許されない。


 そんなことが他国にバレれば咎として袋叩きにされ、滅ぼされてしまうから。

 仮に内々で解決できたとしても、関わった人間は一族郎党『いなかったこと』にされる。


 人間は過剰なほどに臆病なのだ。


 亜人種の子どもは、人間の大人よりも強いと言われている。


 ——同じ人間にでさえそうなのに、自らに近く、より秀でた彼らなど恐怖の塊でしかないのだろう。


 だから、病的なまでに排除しようとする。


「本来ならば国を出るのが一番なのでしょう。しかし私は、先王の恩義に報いたかったのです。

 ——幸いなことに体毛が少ない私は顔を覆い、尻尾を切り落とすことだけで事足りた」


「……」


 やはりきっと、女性の獣人にとって尾とは大事なものなのだろう。


 尾があった場所に触れるクロさんの表情は、いつかのアイツにそっくりだった。


「こうなってしまった以上、私は——」


「昨日クロさんにあげたジャガを使った料理なんだけど」


「お暇を——は?」


 急に関係ないことを言い始めた俺に困惑したような声を出すクロさん。


「あれを教えてくれた親友って獣人なんだよね」


「!?」


 そう、クロさんと同じ獣人。


 アイツはあの料理を郷土の味を私風に改良したものだと言っていた。

 だからこそクロさんは、あの料理に驚いたような反応を示したのだろう。


「血は繋がってないし、立場も違ったけど、あいつは俺の母で姉みたいなもんだった。

 ——つまり家族だ」


「——」


「俺は、亜人であることを理由に、クロさんが俺から離れることは許さない」


「——」


「それに、俺にはちょっと『計画』があってさ。それも含めてクロさんには——」


「——はっ! これからも身命を賭してお仕えさせていただきます——『我が君』!」


 突如、クロさんが、物凄い勢いで跪いて声高らかに言う。


 なにか光る粒のようなものが同時に散ったような気がした。


 が、それも気にならなくなるほど、俺はぞわぞわと背筋を何かが這うような感覚に、思わず身を震わせてしまっていた。


 ……わ、我が君ぃ?


 肝心なことを言おうとしたところで、クロさんの発言がそれを頭から吹き飛ばした。


「……クロさん、もしかしなくても我が君って俺のこと?」


「あなた様以外に誰がいましょうか」


 ——なんか話し方も前より仰々しくなっているような!?


「このナザ=クロエルト、あなた様に更なる忠誠を誓います」


「せめて口調だけでも元に戻してくれない!?」


「して、我が君」


 話を聞いて!


「——《宝餌の蔵》での失態への、お、お仕置きはいつになるのですか?」


「もじもじするな上目づかいでみるな頬を染めるなーー!」





 『あれ』は冗談だと伝えると、なぜかしゅんとしてしまった彼女をどうにかなだめ、湖へ戻る。


 ——最初に目に入った光景は仰向けになって気絶するツルキィ。

 次に、それを介抱するように少女の顔を舐める魔狼。

 そして、「わ、我はなにもしておらんからな!」と冤罪を主張するファフニルの三者の姿。

 

 ——俺は気が遠くなってく感覚に、そのまま身をゆだねてしまいたかった。


 

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