第6話『中途半端だったから』

 俺とクロさんが悲鳴の聞こえた方へ向かい始めて数秒。


 すぐに悲鳴の主とその原因が見つかった。


「どうしたの突然っ! 落ち着いて!」

「ヴァウヴァーー!」


 悲痛な声で叫ぶ赤茶の髪をおさげにした少女の視線の先には人間大の白い狼型の魔族が少女に敵意をむき出しにして吠え狂っている。


 周囲の木々には魔狼が少女以外の何かに襲い掛かったのか、爪痕がいくつも刻まれており、地面に血痕のような染みもできている。


 死体はない、か。

 俺は少しだけ安堵する。


 そして少女を助けようと身構えた瞬間、少女が俺たちに気がつき目が合った。


「はっ! あなたたち逃げてっ!」

「! ——ガァッ!」


 彼女が叫んだことで魔狼を刺激してしまい、獣はついに少女へと飛び掛かった。

 

「——ふっ!」


 それに反応したクロさんが先ほど以上の速度で飛び出す。

 その構えは抜き打ちを放とうとしていることが窺えた。


「——」


 あれは、まずいな。

 

 俺は二つの命を守るために、片足で少しだけ強めに地面を踏みぬいた。


「……え?」

「? ——セブン様!?」


 一拍遅れて自らの刃が突然停止した理由を目にした瞬間、彼女は驚いて声を上げた。

 

 その声はクロさんと俺の顔が近かったせいで、きんと耳に響く。

 押すことも引くこともかなわない剣を握りしめたまま、彼女はつい先ほどまで俺がいた場所に視線を送る。


 彼女の判断は正しい。


 魔物よりも行動は遅れ、十メートルは離れた間合い。


 それでも間違いなくクロさんは少女の命救えていただろう。


 だけど。


「邪魔してごめん。でも、止めなきゃこの狼が死んでいたからさ」

「!」


 俺はクロさんと魔狼の間に入り、左手で彼女の剣をつまんで止め。

 右腕で魔狼の牙を食い込ませ、少女と魔族の命を守った。


 ぽたり。ぽたり。


「おにいさん! 腕!」


「大丈夫だ」

「グルルルゥ!」


 魔狼の唸り声と共にその牙が俺の腕にさら食い込む。


 俺の腕から流れる血の滴は赤い糸となり、地面へと吸い込まれていく。


「ワン公、この嬢ちゃんも言ってるだろ。落ち着けって——な?」


 俺は獰猛に歯茎を剥きだしている魔狼の目を見ながら、軽く威圧する。


「! グル、ル……ゥゥン」


 すると、魔狼は牙を納めてから俺の手を離し、その場で腹を見せた。


「よし、いい子だ。すまない、俺のせいで怖い思いをしたな」


 俺は指でつまんでいたクロさんの長剣から指を離す。

 そして、その白い毛並みを俺の血で汚さないよう怪我をしていない方の手で魔狼の鼻面をなでた。


「ゥゥゥゥン」


 魔族とはいえ、俺の手にぐりぐりと顔を押し付けてくる様子は可愛いと思えた。


 ついでにふわふわの白い体毛を堪能しながら、ふと思う。

 初めて見たな、白い魔族の狼なんて……。


「……! お怪我は大丈夫ですか!?」


 俺が剣から手を離したあと、呆然と俺の踏み込みで開いた穴を見つめていた彼女は、我に返ると慌てて腕の様子を診ようとする。


「これぐらい大したことないよ、ほら」


 そんな彼女に俺は袖をまくって噛まれた腕を見せる。


「たしかに……かなり出血しているように見えたのですが」


 そこには出血こそあるが、大事ではない傷しかない。


「だろ?」


 言いながら俺は腕を袖の中にしまう。


「しかし、私のせいでお怪我を。本当に申し訳ございません」

「違う。クロさんの判断は間違ってなかった。怪我をしたのは俺の責任だ」

 

 だから気にするな、と彼女を諫める。


 俺が怪我をしない方法はいくらでもあった。

 だが少女もクロさんも魔狼もでいる方法が『牙を腕で防ぐ』しかなかっただけで、俺がそれを選択しただけだ。


 それに俺は治癒魔法は使えないが、幼少のときより常日頃から大怪我を負わされてきたせいか、自己治癒能力が異常に高くなっている。


 あといくらもしないうちに傷は完治するだろう。


「君、怪我はしてない?」


 俺は後ろでぼうっとしている人間ではない少女へ振り向きながら問いかける。


「……」


 こちらをじっと見つめたまま返事がない。

 見たところ怪我はしていないように見えるが……。


「おーい?」

「は、はいぃぃ! ボクはドワーフのツルキィ! たすけけてくれてありがとう——ってよくみたらにんげんっ!? レタル―おいで!」


 すごい騒がしい子だな……。

 でも、普通に人語も使えるようだ。すこし特徴があるけど。


 ツルキィと名乗る少女はころころと表情を変え、叫び、ついには飛び退って木の陰に隠れる。

 魔狼はレタル―という名らしく、彼女に呼ばれとことこ、と少女のそばへ移動した。


 ——かちゃ。


 俺はそんな少女に行動に対し、剣を地面に置き両手を上げることで、敵意がないことを示す。


「クロさんも」

「はい」


 クロさんも俺に倣い剣を地面に置いた。


「はじめまして、ツルキィ。俺はセブンだ。どうして隠れるんだ?」


 俺は少しでも彼女の警戒心を解こうと、しゃがみ、目線を合わせて話しかける。


 一連の行動が功を奏したのか、少女は木の後ろから会話に応じてくれた。


「ボクたちはこの《もりのおう》ケリュネアさまから、にんげんはコワイいきものとおそわってきたんだ。だから……」


 やはり過去の経緯から、彼らには警戒されているようだ。

 当然か。生きるためとはいえ彼らの住処を襲ったのだから。


「そのことに関しては本当に済まないと思ってる。だけど、俺たちはツルキィたちを傷つけに来たわけじゃないんだ。だから、出てきてくれないか?」


「……」


 木の後ろからじっと不安げにこちら見つめていたツルキィだったが、やがてそろそろと、こちらへ出てきてくれた。


 そして、申し訳なさそうにちょこんと頭を下げてくる。


「ボクとレタルーをたすけてくれたのにごめんなさい。ほらレタル―も」


 ツルキィに言われ、魔狼も尻尾を下げてしゅんとうな垂れる。


「いいんだ。……もとはといえば俺が悪いし」

「え?」


 さすがにばつが悪く。申し訳なくなって俺は目を逸らした。


「なんでもない。

——ツルキィ、俺たちは《森の王》と話すために来たんだけど、案内してもらうことはできるか?」


 俺の言葉にぎょっとするツルキィ。


「えっ!? ケリュネアさまのところへ!?」

「ああ、だめかな?」

「そ、それはちょっと……」


 だめか。

 ツルキィの目を泳がせ躊躇う様に、さすがに遺恨のある人間を連れてはいけないか、と諦めかけたそのとき。


『いいでしょう。連れてきなさい』


 きん、甲高い音がしたかと思うと、どこからともなく声が聞こえてきた。

 

 その声はまるで森のどこかから響いてくようにも、直接頭に語り掛けられているようにも感じられた。


 それはクロさんも同じようで、周囲を見渡し警戒している。


「い、いいのケリュネアさま!?」


 ツルキィは突然のことにおろおろしている。


『ええ。ですがその前に、人間のあなた』


 そのとき、ぴくりとクロさんが反応したように見えたが、俺は気にせず応える。


「俺のことか? というか、普通に話して聞こえているのか?」

『ええ、声は精霊たちが運んでくれますから』

 

 精霊、やはりいるんだな。


「——わかった。俺がどうかしたか?」

『あなたのせいで森全体がざわめいてしまっています。先にそちらを鎮めてください』


 《森の王》のその言葉にクロさんが反応する。


「そんな、この森を鎮めるなどどれだけの時間が——」

「わかった」


「セブン様……」


 もとはといえば俺が原因。

 《森の王》の言葉はもっともだ。


 それに、ツルキィのように襲われてかけている者もきっといる。


 やり方はもう決まっていた。


 言わずもがな、この森の混乱の原因は俺だ。

 だがこうなったのは、恐らくからだ。


 だからレタル―のように、浴びせられた殺気を周囲の誰かに殺意を向けられたと『勘違い』して周りの者を襲った。


 ならば——、


 俺は目を閉じて集中する。

 想像するのは、森全体を、ぶ厚く強靭な黒い膜で覆いつくすような——、


「ひうっ!」

「きゅぅぅぅん!」

「くっ——!」

『——』


 今度は

 

 間もなく賑やかだった森の喧騒は一瞬にして掻き消え、まるで水中に浸されたかのように、この森を静寂が支配した。


「——ふう。これでいいか?」

『……結構です。では頼みましたよ、ツルキィ』

「……」


 その一言を最後に《森の王》の気配は遠のいていった。


「セブン様、あなたは一体……」

「いやぁ、どうやら慣れない仕事に鬱憤が溜まっていたみたいだ。《森の王》に早いうちに会えそうでよかったよかった」


 面倒なのでクロさんのその声は聞こえなかったことにして、案内役となった少女の方へ向き直る。


「ということで、改めて案内よろしくな、ツルキィ」


 ぽん、と丁度いい高さにある彼女の頭に軽く触れる。


「……り」


 だがいつまで経っても動こうとしないツルキィは、やがてぽそりと声を漏らす。


「ん、なんだって?」


 その呟きは小さすぎて聞き取れず、俺は屈んで彼女の方へ耳を近づけ——その行動をすぐに後悔することになった。


「うわぁぁあああああああああん!! やっぱりにんげんはこわいぃぃっ!!」

「あああああっ!? み、耳があああっ!」


 至近距離で鼓膜をつんざくような叫び声を浴び、俺は耳を押さえて地面をのたうち回る。

 

 先ほどの俺の威圧を間近で受けたツルキィは、すっかり怯えきってしまっており、結局なだめるまでにかなりの時間を要してしまったのだった。

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