第5話『思い出し怒り。いざ森へ』

 クロさんとともに出発して数時間後、俺たちは《拓かずの森》に到着した。


 目の前には鬱蒼と茂る緑あふれる光景が広がっている。

 

  俺は目を丸くして周囲を見渡す。


「さっきまでほとんど草木のない荒れ地のだったのが信じられないな」

 

 《精霊の加護》が働いているというのは本当なのかもしれない。


 ——何かの『力』が働いていなければこうはならないだろう、と。 


 そう思わせるほどに、風景が激変した。


「セブン様」


 背後からクロさんが呼びかけてくる。

 振り返ると、そこには俺の方へ顔を向けるクロさんの姿。


 兜のせいで分からないが、俺をじっと見つめているような気配だ。

 これは……懐疑の視線?


「……ご無礼を承知でお聞きしたいのですが、本当にあなたはご兄弟の中で一番不出来だったのですか?」


 彼女の言いたいことが分かった。


 俺たちの国は馬を持っていない。

 単純にそんな余裕がないからだ。


 だから基本的に移動は徒歩。


 そう、俺たちはここまで走ってきたのだ。

 ——普通の人間が全力でも追いつけない速度を緩めず、数時間ものあいだ。


 落ちこぼれでその体力なのか、と彼女は言いたいのだろう。


「そうだけど、それがどうかした?」

「いえ……。この距離をこの短時間で走り切って、息ひとつ乱さないとは感服致しました」


 その褒め言葉とは裏腹に、兜の奥の瞳はまだ俺を訝っているような気がする。


 確かに変に思われても不思議じゃないよな。

 いくら兄上たちでも汗くらいはかくと思うし。


 でも歩いたら、二日はかかるしなぁ。


 もっと早く着けたけど、クロさんの様子を見ながらこれが最速だと判断した。


 お目付け役の彼女をおいていったら元も子もないし。

 でも、この程度の時間で着けたのには驚いた。


「俺はやせ我慢が得意なんだ。

 ——それに、息ひとつ切らしてないのはクロさんも同じだろう?」

「……」


 俺の言葉に無言で応じるクロさん。


 いずれにしても、国王が兵士と、それも彼女並に動けるのはやはり変か。


「ちょっと休憩にしよう」


 これ以上この話を続けるのは面倒だった。

 俺はそう言うと、その辺の岩に腰かけてから鞄から食料を取り出す。


 焼き目の付いた茶色の皮に包まれたそれを見て、俺の口角は自然と上がってしまう。

 

 ふと、彼女の方を見ると、周囲を警戒するように見回し、食事をとる様子がない。


「クロさん、食料は?」

「いえ、私にかまわず——」


「そっか。——ほら、少ないけど」


 俺は一食分も満たない食料をさらに半分にして、彼女に差し出す。

 

 彼女には明らかに足りないだろうけど、俺も楽しみにしていたので半分で勘弁してもらおう。


「? なんですか」

「半分ずつ食べようってことだろ」


 いまの反応、俺の行動の意味を本当にわかってなかったな……。


「は? いえ、私になど——」

「いいから、ほら」

「あ——」


 立ち上がり、受け取ろうとしない彼女の手を引き寄せ、半ば無理矢理に食料を渡す。


 それから俺は元いた場所に戻ると、一口で食料を平らげた。


 しかし、たった一口でも、俺はいつも温かな気持ちになれる。

 久々に作ったがやはり美味い。


 ——彼女が作ってくれたものの方が何倍も美味しかったけれど。

 

「……」


 クロさんは手の平の食料と俺の顔を何度も交互に見て、それから俺に背を向ける。

 そして、兜を少しだけ持ち上げてあらわになった口へ、彼女もまた一口にそれを放り込む。


「——!」


 もぐもぐもぐもぐごくん。


 彼女はぴくりと身体を震わせると、勢いよく咀嚼してから、あっという間に嚥下した。


「……おいしい。それにこれは——」


「美味いだろ?」

「……これを、誰が?」


 持ち上げていた兜を被り直し、ゆっくり振り返ると、彼女は聞いてきた。


「俺が作った。と言っても、教えてくれたのは故郷で唯一の親友だ」

「そう、ですか」


 彼女は『これ』を気に入ってくれる。そんな確信めいた何かがあった。

 

 だからこそ、俺は強引にでも食べてほしかったのだ。


 うちみたいな貧相な国土でも育つジャガで作れて、なにより美味い。


 ——昔、彼女が止めるのも無視して兄上たちに持って行ったとき、食べもせずに踏みつけられたあのときは、本当に殺そうかと思った。というか


 あのときはまだアイツも生きていて、俺も兄上たちとなんとか仲良くなりたいと思っていた時期だった。


 思えばあれが、兄上たちを《六光》と呼ばれるまで強くしてしまった最大のきっかけなのかも知れない——、


「セブン様!?」


 珍しく焦ったような彼女の声にはっとし、我に返る。


 やってしまった……。


 恐らく無意識に相当な殺気を放ってしまったのだろう。


 ——思い出し怒り。

 以前は兄上たちのことを思い出すとよくやってしまっていた。

 気を付けるように注意されて久しいというのに。


 俺の思い出の料理は結果的に、幸せだった過去だけでなく、ジャガの蔓を引くように嫌な記憶まで思い出してしまい、心を酷くざわつかせてしまった。


 殺気で森を刺激してしまったようで、なにやら騒がしくなっている。


「ごめん、なんでもない。——気に入ったならまた作ってあげるよ」


 俺は心を落ち着かせてから、無理矢理に笑顔を作る。


「……はい。ありがとうございます……」

「よし、休憩終わり! いざ、《拓かずの森》へ!」


 空気を変えるように大きな声を出しながら森へ向かう。

 今ので変に警戒されてないといいけど……。


 ◆ ◆ ◆


「……」


 俺は《拓かずの森》の中の光景に、冷や汗を流していた。


 俺の放った殺気は森に相当な影響を与えてしまったようで、


 あてられた獣や、ほとんど獣に近い魔族たちが錯乱して森中を暴れまわっていた。


「ぎゃあぎゃあっ!」

「ぐうぉおお!」


 叫び散らすそれらのなかには、大型の魔族同士が争いあう姿も。


「どうしますか?」


 クロさんが短く俺に問う。森に入る際の指示のことだろう。


「さっきも言った通り、本当に命が危ないとき以外は殺しちゃだめだ。

 俺はできれば《森の王》とは対話がしたい」

 

 同族を殺されてしまっては聞く耳を持ってもらえない可能性が高い。


「承知しました。——では」

「えっ? ちょっ!」


 言うが早いか、クロさんがすらりと腰の長剣を抜き放ったのが見え、慌てて引き留めようとして——その姿が視界から消えた。


 間もなく視界の端で暴れる魔族や獣たちが、響く鈍い音とともに次々と倒れていく。


 ——疾い。


 そしてあれだけの速度で動きながらも、剣の腹や柄を的確に相手の頭部に当て、気絶させてゆく。


 殺さぬよう相手に合わせ、力の加減すら調整してのけるその技量に舌を巻いた。


 そこらの者なら、大型魔族はともかく他は殺してしまっているだろう。


 ——あっという間に周囲に意識のあるものは俺とクロさん以外いなくなった。


 剣を鞘にしまいながら悠然と歩き俺のもとへ戻ってくる。

 息が乱れた様子は微塵もうかがえなかった。


「参りましょう」

「ああ」


 そんな頼もしい彼女を笑顔で迎えて、先へ進もうとした。——そのとき、


「きゃぁぁあああっ!」


 森の奥から悲鳴が響き渡る。

 俺とクロさんは同時に駆けだした。

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