ならばいっそ悪になろう
白川津 中々
■
電車内にて何気なく下を向いていると突然肩を掴まれ耳を劈く叫びを浴びせられた。
「痴漢! この人痴漢です!」
どよめく車内。集まる視線。馬鹿な。俺が痴漢などするものか! だいたい周りには誰もいないだろう! 低密度の満員電車内でどう痴漢を働くというのだ!
「冤罪甚だしい! このパーソナルスペースが確保された車両内において如何にして痴漢などという卑劣極まりない愚行に及べるというのか!」
声を張り上げ反を述べる。こういう時は威勢が肝要。呑み込まれては終わりである。
「確かに」
「一理ある」
そら見ろ。車内に満ちるオーディエンスの意思は俺の声に耳を傾けている。
大衆はいつだって正しさを求めるのだ。自らの過ちを棚に上げて!
「いいえ。立派な痴漢を働きました」
にも関わらず尚も主張を変えぬこの女。面白い。話を聞いてやろうではないか。
「どのように痴漢をしたと?」
先とは違い冷静に問う。
人に物を尋ねる時は最低限の礼節を弁えねばならぬのだ。このマナーに対し激昂しようものならトンチキの誹りは免れぬ。理屈が聞ければそれでよし。ヒステリックを起こせば俺の勝ちだ。さて女よ。どう出る。
「貴方。不自然に俯いて車両に入ってきましたね。私の足をじっと見ていたんでしょう。これは明らかな新型痴漢です。許せません」
なるほど新型痴漢。そういうのもあるのか。
馬鹿か。
自信満々といった様子で述べていたがそんな理屈が通ってなるものか。これが罪として認識されればもはや公共の場でアイマスクが必須となろう。破綻した論調である。まったくやれやれ。如何に難癖をつけてくるかと思えばこの程度とは。これは間違いなく満場一致で俺の勝ち。つまらぬ戦いであった。どれ。それでは車内にいる人間の声でも聞いてみようか。天晴以外に発せられるは女への軽蔑だろう。いやはや気の毒気の毒……
「新型痴漢とは恐れ入った」
「これは全面的に男が悪い」
あ、駄目だ。阿呆しかいないぞこの車両。
これはいかん。なんとか弁明せねば。
いや待て。いいのか弁明などして。やってもいない事について釈明をせねばならぬとは辱め以外の何者でもないではないか。そんな真似、矜恃に反する。この俺が自らの誇りと信念に砂をかけるだと? 冗談ではない! ならばいっそなってやろうではないか! 名実ともに! 暴漢に!
そうと決まれば話は早い! 先手必勝鷲掴み! 女の胸へと手を伸ばす! 感触は上々! スーティアンゴルジュを挟んでも分かる完璧なる整い! これは堪らん!
「これで俺は痴漢だ! 新型痴漢などというつまらぬ冤罪を被る事のないれっきとした痴れ者だ! 女! お前は俺に胸を揉まれたのだ! 視姦などではなく物理的に汚されたのだ! どうだ恐れ入ったからこうまんちきめ! 分かったら二度と馬鹿な真似はせぬ事だ! この度貴様の自意識過剰が本当の犯罪者を産んだのだ! それを肝に命じよ! 肝に命じよ! 肝に命じよ! 肝に……」
車内の正義マンが俺を取り押さえる。衆愚とはこれこの事。真実から目を背け、分かりやすい悪に石を投げるのだ。
あぁ。肺が潰れた。息ができない。意識が薄れる。これで俺も死ぬか。間抜けな最後を飾るものだ。それにしても、あぁ、最後に揉んだあの胸は、実によかった……
ならばいっそ悪になろう 白川津 中々 @taka1212384
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます