経過観察Ⅱ-Ⅱ

 定期テストの結果が貼り出される日になった。

 返却された結果は、全教科九十点以上だった。

 正直言って、これ以上の点を取るにはもっと勉強しなければいけない。


 頑張った自分にほんの少し誇らしくなりながらも、いまだ不安は拭えずにいた。

 学年一位は狙える。少なくとも、今まで上にいた奴らの点数よりは良いはずだ。

 だが、速水寿葉。あいつだけは全く読めない。

 らしくないとは思いつつも、彼女はそれほど規格外だった。


 掲示板の前には、既に速水がいた。

 手を後ろで組んで、見上げている。

 その横顔は、奥から差し込む夕焼けで隠されていてよく見えない。

 鼓動が高鳴る。

 それは一種の緊張であり、この結果がある種の格付けだったからだ。


 速水の隣に立ち、掲示板を見上げる。


 結果は、学年一位だった。

 そして、その下に「速水寿葉」の名前があった。

 点差はわずか二点。たった一問の誤答が僕に勝利をもたらした。


 速水に勝てたという喜びを噛み締めているその横で、彼女が呟く。


「そっか」

 

 たったそれだけ。

 そこに悔しさはなかったように思う。

 ――ただあるがままを受け入れているだけ。

 そんな些細なことを気にせずにいられたら、どれほど良かったか。

 僕は歓喜から一気に現実へと引き戻された。

 そして、醜いまでに張り合って、速水を下そうとしていた事実を突きつけられた。


 速水は去っていく。何も言わずに、こちらも向かずに背を向けて。

 たったそれだけの行為なのに、僕はどうしてか速水が遠く離れてしまう気がした。

 僕は間違った選択をしたのではないかと、そう感じてしまった。


 速水という存在が、それだけ大きかった。

 それに、いくつか気にかかる点があったからだ。

 速水は先にいたにもかかわらず、わざわざ僕が来てからあんな行動をしたこと。

 前回、あれだけ競争心を煽るようなことをしておいて、今回はただ去っていく。

 おかしな話だろう。

 自分の順位を確認するだけなら一分とかからない。複数人を確認するなら三分程度で済む話だ。なのに、彼女は僕が来てから行動した。まるで見せつけるようにして。

 しかも、たったそれだけ。

 何も言わずに立ち去っていくだけなんて、おかしいだろう。

 わざわざ僕を待って行動するほどの人間が、たったそれだけというのは辻褄が合わない。しかも、負け惜しみという感じでもなく、ただ去っていく。


 僕は、勝負に勝って試合に負けた。

 そう思わせられた。

 退廃を湛える夕焼けが、僕の目を焼いていく。

 どうやって速水を捉えればいいのかわからなくなっていた。




 それから数日、僕はすべての計画を見直した。

 少しの間、もぬけの殻のようになっていたが、闘争心に火が付いたのだ。

 学校でも自宅でも、ずっと速水のことを考えていた。

 そして、速水を捉えようとするからいけないのだと考えるようになった。

 

 自室のベッドで音楽を聴きながら考える。

 速水のやり方は、もっと上の次元のものだ。

 誰かと競い合うのではなくて、誰かを自らの思惑通りに動かす。

 それが速水のやり方だ。

 少なくとも、万人に効くやり方ではない。

 でも、速水のことだから人によってやり方を変えているのだろう。


 じゃあ、速水はどうやって僕を動かそうとしているのか。

 簡単な話だ。

 僕にとって不可解な行動をすればいい。

 重要なのは、相手の重要な部分に深く切り込むことだ。

 僕の場合、初めに学年順位で土台を揺らす。次に、不可解な行動をして疑問を持たせる。その人間がどういう思考なのかは、具に観察すればある程度はわかる。速水も同じように観察して僕のスタンスを汲み取ったのかもしれない。その為に、彼女はクラス全員を背後から観察することが出来る場所に陣取っているのかもしれない。

 僕のような人間を相手にする場合、その人物が土台のバランスを取り戻そうとする時を見計らって引くのが良い。すると相手はバランスを崩す。猶更のこと、相手は自分に対して意識する。

 こうやって相手を手中に収めていく。


 だが、ここまで思考してふと気づく。

 「誰かを自らの思惑通りに動かす」にしては、これらの行動は異質だということ。

 人を動かすやり方なら、相手にモチベーションを与えて行動させるのが良い。あるいは好意的に映るように行動していくのが良い。だが、今回のやり方は、僕に反感を抱かれる可能性の方が高い。


 ――まるで、僕の気を引くかのような。


 そこまで思考して、ようやく至る。

 速水は、僕を動かそうとしているのではなく、あくまで気を引こうとしているのではないか。そうすれば、今までの不可解な言動や、読み切れない思考にも納得がいく。

 人間にとって謎は不可解なものであり、僕のような人間はその謎に注目しがちだ。

 速水ほどの人間なら、そんなことは知っているだろう。

 それに正直なことを言えば、速水に対する興味は、ここで同類であることの期待へと変わっていた。その思考をなぞろうと考えるだけで楽しい。

 きっと速水はこうなることも見えていたのだろう。だからこそ、あくまで気を引くような言動をしていたのかもしれない。そして、あの突き放すかのような去り方は、ある種のテストだろう。僕が速水のレベルまで思考が行きつくかというテスト。速水にとって有益な人物であるかどうかのテストだ。

 

 ならば、次はどう出てくるのか。

 僕が速水の立場だったなら、次の席替えで隣に動くだろう。

 速水の手札は、持ち前の思考と定期テスト、教師との関係、周囲との関係だ。

 思考を読み切るのは難しいとしても、似た思考を持ち合わせてはいるはずだ。

 定期テストは僕と速水を繋げている唯一のもの。手を抜くわけにはいかない。

 教師との関係は、優秀な生徒であればあるほどスムーズになる。成績が非常に良い生徒に教師はとやかく口出しできない。頑張っている生徒には特に口出しできない。それに、担任自身が丸くなっている以上、以前のように何度も注意するはずがない。

 周囲との関係も、自らが後ろの席を確保して各々と交渉すれば、目当ての人物の隣に陣取ることが出来るはずだ。忘れてはいけないのが、自らの思惑通りに周囲を動かすためには、周囲にとって都合のいい人間を演じることも重要になるということ。

 

 この手札のまま、席替えで実権を握るにはどうすればいいか。

 まず、教師と一つ深い関係になっておく。おそらくは学級委員になるのが手っ取り早い。そのまま優秀であれば、席替えの諸々を任されることもあるはずだ。速水は担任と二年次の二者面談の頃から親しくなっている。おそらく彼女は「意見する生徒」でもあるはずだ。つまり「席替えを担任の代わりにやっておく」という提案が出来るはずだ。仮に担任がいる場所で席替えをしたとしても、新しい席順を纏める仕事を任されたなら、情報の改ざんは可能だ。

 さて、そうなると席替えの実権は握ったも同然だ。では、次にどうするべきか。

 まず周囲の生徒がこちらに交渉を始める。自分の望みの席に移動させてほしいと懇願してくるはずだから、要望を聞き入れながら、席を交換させてくれそうな生徒の元へ向かう。そして、こちらが交渉を一手に引き受けることで、自ら目的とする席以外を操作することが出来る。あらかじめ友人同士で席の交換について話をつけていても問題はない。仮にそこに自分が欲しい席があった場合は、自らの席と交換を交渉すればいい。

 この段階で多くの要望を聞き入れながら、交渉を請け負えばどういう評価になるか。「都合のいい同級生」である。それで良い。むしろ、それが良い。

 目的を間違えなければ、その過程でどのような評価を受けようと何ら問題はない。

 周囲からの好感度も上昇するだろうし、担任はクラスを纏めるという仕事も減る。そもそも、担任自身も既にこちらの手中に収まっているから「クラスの調和を保つため」という旨の弁明をすれば、怒るに怒れないはずだ。仮に怒られたとしても、そのうち改ざんは受け入れられる。一人対三十人近くなのだから。

 ここまでやって初めて、自らの目標を達成しながら、今後も動きやすい環境の整備が完了するはずだ。少なくとも、速水ならそう動くだろう。


 ここにきてようやく、速水の思惑に気づけたような気がする。

 だからこそ、次の速水の一手が気になるのだ。

 今までは追いかける側だったが、今度は待ち受ける側だろう。

 あの速水が手札を晒すのを、刻一刻と心待ちにしている。

 速水の思考を読めたなら、初めて速水を知ることが出来る。

 

 思わず顔がにやけてしまう。

 傍から見ればとても醜いだろう。

 だが、醜さも受け入れてしまえば強さになる。

 それに、この仄暗い悦楽は、何物にも代えがたい。


 次に事が動くのは、三年次の席替えだ。

 それまでは、速水の思考を観察しよう。

 彼女の謎を暴くのが楽しみで仕方ない。

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怪物よ、喜びの涙を流せ 星野 驟雨 @Tetsu

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