邂逅Ⅱ-Ⅰ

 それから時は流れ、とうとう定期テストになった。

 

 テスト準備期間に普段の倍以上は勉強したおかげで、良い点数が取れた。

 もちろん、ただ勉強時間を伸ばしたからと言って意味はない。今までの勉強法を一から改善した。暗記物は得意だったから、回数を増やして完全に諳んじるレベルまでにした。

 苦手な理系、特に数学と物理に関してだが、方法は二つだった。

 一つ、物理の計算はすべて言葉で説明できるようにした。それが何を示しているのかを言葉で解釈し、数式を言葉で説明して違和感がないかを判別した。面白い事に、数式は言葉で説明して矛盾が存在していなければ成立する。問題文にしてもそうだ。何を求めているのか、それを求めるには何が必要なのかを言葉で説明できるように。結果、物理は一問ミスしただけだった。

 二つ、数学は公式が何を求めるためのものかを言葉で解釈した。次に、言葉を介さずにその公式を用いる問題を解いた。間違えた部分は何故間違えたのかを明確に言語化した。そして、一つの公式で間違えた部分までを復習したところで次の公式に移る。最後の公式までたどり着いたところで、また初めの公式から問題を変えてやり直す。結果は、三問間違えて九十四点。数学は八十点台をうろうろしていたから、上出来だろう。


 今回を通してわかったのは、苦手な分野は得意な分野で補えるということだ。

 もちろん、説明をしない天才というのは世の中に存在している。だが、理解には言葉が必要だ。数学だって、予想を証明しなければ意味がない。

 まあ、所詮は井の中の蛙に過ぎないだろうが、少しぐらい喜んでも良いだろう。


 そんな少し誇らしい自分をぶら下げて、いつものアイツと飯を食べていた。

「泉、今回どうだった?」

「まあ、良かったよ」そう返す。

「いいなあ。俺今回だめでさ」

「最高点どれくらい?」

「せいぜいが八十五点」

「悪くねえじゃん」実際悪くはない点数だ。

「問題はそこじゃなくてな、最低点の方」

「まあ、得意教科伸ばすよりは大事だな」

「ああ。流石に六十点台はマズイって」

「そんな言うほどか?」

「考えてみろって。頭も良くない、顔も良くないってヤバいだろ」

 いつも飯を食っているコイツは、顔は悪くない。

 イケメンではないにしろ、小綺麗にしているから恋愛対象には入るはずだ。

「そうは思わねえけど」

「泉は頭がいいからなあ」

「頭が良いとは思わねえよ。大事なのは地頭の方だって」

「気になってる女もいるみてえだし?」

「速水のことか。別にそんなでもねえよ」

「ホントか?」

「いきなり知らない奴に順位抜かれてみろよ。腹立つだろ」

「まあ、気持ちはわかるけどよ」

「で、今回アイツより上だったらスッキリすると思うんだ」

「そんなことはないだろ。絶対好きだろ」

「お前、速水のことになると、やけに食いつくな」

「当たり前だ。とっておきの情報が入ってんだよ」

 悪い顔をするコイツは、やっぱり面白いかもしれない。

「そうか、気になるな」

「だろ?」

「ところで、お前の名前なんだっけ」

「忘れたのか?」

「いや、名前呼んだことねえなって」

 その指摘に、ソイツはしばらく黙って考えているようだった。

「そういやそうだな……」

「だろ?」

「まあ、早坂裕っていうんだけどよ俺」

 コイツの名前なんてはっきりと聞いたことはなかったが、速水の情報を定期的に、細かく抜いてくるコイツのことが気になった。予想通りだった。

 五十音順でおそらく速水の前がコイツだ。つまり、二年次初めの席替えまでの時期に速水を観察する時間はあったし、速水と関係のある人間を多く知っていると予測できる。

 さらに、コイツは席替えの後も速水の席に近かった。隣ではないが、簡単に情報を拾える程度の距離にコイツはいたわけだ。つまり、二年次初めから今まで速水のことを観察できた数少ない人間になるわけだ。

「よし、ストーカーで電話しとくわ」

「ちょっと待てよ! 流石にアイツを尾行はしてねえよ!」

 声を抑えて抗議するコイツの反応を見る限り、それなりに大きな情報かもしれない。少なくとも「尾行はしていない」ということは、それなりに深い情報だ。

「なら教えてくれよ」

「わかったから電話すんじゃねえぞ」

「しないって。ジョークだろジョーク」

「笑えねえよ」

 一度溜息をついて、早坂は速水の情報を話し始めた。


「俺たちって毎日飯食ってるわけじゃないだろ?」

「ああ」

「だからある時、速水が他の奴と飯食ってる傍にいたんだ」

「お前、今も速水と席近いもんな」

「そしたら、弁当の話になってな」

「おう」

「速水は”自分で作ってる”って言ってたんだ」

「あーっと……つまりは」

「父子家庭ってやつかもしれない」

「だよな」

 別に、家庭が冷え切っている場合も作ることはあり得るかもしれないが、基本的に朝早くに起きて料理するような女子高生はいるのだろうか。

 男子としては、全く想像が出来ない。少なくとも、同年代としてはあり得ないと考えてしまう。

「それでな?女子はそっから踏み込まなかったんだよ」

「男なら踏み込むのにな」

「まあ、しょうがないとは思うぞ」

「なにしろ、あの速水だからな」

「そういうわけだ」

 したり顔の早坂。コイツは表情が豊かだ。


「でもおかしな話じゃねえか?」

 そんな言葉が口をついて出る。

「アイツが毎日弁当を作ってるとして」

「おう」

「ここしばらくじゃなく、ずっとだとしたら」

「普通はずっとだろうな」

「俺はそんな忙しい奴に負けたのか」

「まあ、そうなるな」

「そして、今回勝てなかったら」

「完全敗北お疲れ様でしたーって感じだ」

「だよな……」

 またおかしな事実が出てきた。


 速水が一年の頃から弁当を作っているとして、なぜ二年のあの時期に点数を上げてきたのか。普通、一年の頃からそこそこの成績を収めている人間と、二年の中間から抜群の成績を収める人間とでは、前者の方が内申点などが高い。

 速水を観察して思ったが、アレは勉強ができる方だ。それに、地頭も良いはず。

 そんな人間が、なぜ一年の頃から良い成績を収めなかったのか。

 そして、なぜこの時期になって頭角を現したのか。わからない。


「なあ、速水のことどう思う?」

 早坂にそんなことを聞いていた。

「速水? まあ、悪くはねえと思うけど」

「いや、そうじゃなくて」

「そうだなあ……相当な変わり者だと思うぞ」

「読めないって意味でか?」

「ああ。どっちかといえば怖いな」

「そうか」

 それ以降も会話を交わしたが、何を話したか覚えていない。

 速水という謎は、それほど僕の中に深く根を下ろしていた。


 人間というのは、ある程度読めるものだ。

 早坂で言えば、話を合わせて肯定していればいいし、こちらとしても心地が良い。向こうがこちらを友達だと思ってくれている以上は、こちらの情報屋としても活用できる。僕にとって非常に有益な人物。

 クラスの中心グループで言えば、下手に近づかなければいい。否定せず、ノリに合わせていればいい。いじられることやバカにされることを許容できれば、あの中で生きていける。おそらく、あのグループの中でも「大人になれる奴」と「子供のままの奴」が存在しているし、あの虚しい団結は一つの亀裂でバラバラになる。将来的には、中学時代の友人よりも優先度は下がるだろう。中には、ずっと一緒につるむ奴はいるだろうが。


 こうやって、ある程度読めるはずだ。

 それでも、速水寿葉については読めない。

 同類かと思いもしたが、どうも違う気がしている。

 彼女は僕の見てきた人間とリズムが違う。イズムも違うだろう。

 誰かと親しくすることは出来るが、自分から繋がりを生み出そうとしていない。完全に独立して生きていける能力がありながら、そうしていない。いざとなれば様々な人間を味方にすることが出来るはずなのに、そうしていない。どこにも縋らず、宙に浮いている。

 僕の見てきた人間のタイプ、そのすべてに当てはまらないのが、速水寿葉だった。

 

 実は、今回のテストへの情熱の本当の理由を吐露すれば、速水が僕に負けた場合の反応が知りたかったのだ。

 それは、速水寿葉がどんな人間かを知りたかったから。

 彼女のあの時の行動が、どんな意味を持っていたのかを確かめるため。

 そして、彼女への些細な”反抗”だった。


 残り二教科。このままなら、学年一位も見えてくる点数だった。

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