(2)せいえいの海

第11話 丙家(へいけ)の使い

 八潮やしおは、櫛彦くしこや父、曽良そらを離れるのは不安はあったが、それ以上に、南海の海への憧れに胸が膨らんていた。


 櫛彦くしひこ曽良そらを見送ったこんは、帆を上げると、ひとつ柱の島を後にして、知佳島ちかしまを目指した。その知佳島ちかしまでは、こんの帰りを今や遅しと心待ちにしている者がいた。腹心ふくしんこうという男であった。


かしらのお帰りを、お待ち致しておりました。豊浦宮とようらみやの落成とあって長逗留ながとうりゅうとは思っておりましたが、響姫神ひびきのひめかみとその若宮わかみやが共に身罷みまかれたとあっては、止む得ないことでございます。だが、こちらも急を要する事態が起こっておりまして、一日も早いお帰りを待っておりました。」


 こうこんの顔を見るなり、そのような不躾ぶしつけな出迎えをしたので、こんは眉を寄せてにらみつけた。


客人きゃくじんがご一緒であると言うのに、何と無作法ぶさほうなことであるか。まずは、客人きゃくじんへのねぎらいが先であろう。」

 こうは、こんの一言に肩を縮めて、そのまま深々と頭を下げた。


「こちらは、豊浦宮とようらみや綿津見わたつみの子、八潮やしおどのである。さらにはその伴人ともびと久治良くじらどのである。今年は、ひとつ柱の島からは四名をお連れ申した。それぞれに大事な客人きゃくじんなるがゆえに、大切にもてなしてくれ。」


「とんだ、粗相そそうを致しまして、申し分けありません。」


 こうは、すぐに迎えの者たちに指図をしながら、こん客人きゃくじん一人一人に丁寧な挨拶をした。客人きゃくじんを別間に送り届けると、直ぐに小声となってこんに耳打ちした。


「半月も前から、いつきの島の使いがやってきまして、かしらのお帰りを首を長くして待っておいでてあります。」


「はて、斎島いつきしまの使者が何ごとであろうか。」


「なんでも、しょう正妃十家せいひじゅっけの一つである丙家へいけからの急ぎの使者を伴ってのことにございます。」


「なんと、丙家へいけと言えば、近頃では丁家ていけに次ぐ、帝妃家ていひけの名門ではないか。」


「いかにも、その丙家へいけの使者が、斎島いつきしまの使者と共に、かしらのお帰りをお待ちに御座います。」


 こんは、ひとつ柱島で、徐伸じょしんの話を聞いたばかりであった。何かあるなと思い、慎重に問いただした。

「確かな使者であるのか、調べは行き届いておろうな。」


「はい、斎島いつきしまからの使者は、かしらもよくご存知の癸召きしょう殿にございます。わしらと共に、蓬莱湊ほうらいみなとを行き来している、あの斎島いつきしま癸召きしょう殿に御座います。その癸召きしょう殿の首領、つまるところ、斎島いつきしまかしら莎甚さいじん様の所に、丙家へいけ有襄氏ゆうじょうしの重臣、かいという者が一団を率いてお願いに上がったそうです。」


有襄斯訓ゆうじょうしくんの息子のかいであるのか。」

「いかにも、その有襄氏ゆうじょうしかい殿が、癸召殿とご一緒にて御座います。」


「して、そのご用向きは、聞いておるのか。」

「はい、お伺い致しております。なんでも知佳島ちかしまでわれらが取り扱っております、南の島の子安貝こやすかい奴奈川ぬなかわ翡翠ひすいの勾玉、葦原あしはらで作る黒曜石こくようせきの石刀を、至急、取り揃え、いつもの三倍の量を都合していただきたいとの申し入れに御座います。」


帝妃ていひの一族が、われらに財の無心とは、また奇異なことであるな。しかも三倍の用立てとは、どうしたことであろう。いずれの財も、直ぐに揃うものではなかろうに。」


「われも、そのように申し上げましたところ、「十分に承知の上での頼みである」と、なにしろ火急のお願いであるやに御座います。われの一存では、返事のしようもないので、かしらのお帰りの後になるがそれでもよろしいかと正しましたところ、是非にもお願いしたいとの強い願いに御座います。」


「う~む。何か、よからぬ気配を感じるが、会わぬわけにも行くまい。すぐに準備せよ。」


 こんは、島に還る早々に、気分が乗らなかった。このところ、交易の範囲が広くなった奄美族あまみの島を襲い、財を奪う輩が増えいることは、昆も知っていた。知佳島ちかしまにも様々な地域から珍しき財が集まっていたのであるが、まさか、その知佳島ちかしまが狙われるとは、思いもよらなかったのである。こんが応接の間に入ると、訪問の二人は、すでに頭を垂れて待っていた。


「頭をお上げください。ここは、そのような格式は必要御座いません。ささ。」

と手を差し伸べて、相手の緊張をほぐした。


癸召きしょう殿は、いつも取引をお願い致している馴染みではありませんか。それに、そちらの客人きゃくじんは、しょう帝妃十家ていひじゅっけ丙家へいけ有襄魁ゆうじょうかい様とお聞き致しましたが、まことでありましょうか。ならば、なおさらのこと、ささ、頭をお上げくだされ。」


 なかなか、頭を上げない二人に、再度の礼を尽くした。ようやく二人は、頭を上げて昆の姿を見たのであるが、またまた、首を垂れた。それなりに無理な願い事であることを承知しているようである。


「いつもの献上の品を三倍に増やせ、との仰せに御座いますか。」


 二人は、さらに小さくうずくまったが、丙家へいけ有襄魁ゆうじょうかいは、この時とばかりに、

「いかにも、三倍のお願いに御座います。」


と、帝妃家ていひけの言葉とは思えない、まさかの平身低頭へいしんていとうの姿である。かいの真剣なまなざしに、こんも、真正面から答えざるを得なかった。


「わが一族がご用意できますものは、子安貝こやすかい翡翠ひすいの勾玉、サンゴ、黒曜石こくようせきの石刀にてございますが、急にこれらの財を三年分と申されましても、そのような品があろうはずもありません。」


 すると、斎島いつきしま癸召きしょうが、こんににじり寄るように前にでて申もうした。


「今、しょうの国では、西戎せいじゅう》の侵攻に悩まされていることはご存知の通りでありましょう。ていは、長年に渡る西戎せいじゅうの攻撃に耐えかねて、いよいよ、「武器と兵士を強化し、祖帝天乙そていてんいつの祭祀をおごそかにして、建国の志を取り戻すべし」とお考えで御座います。」


「ほう、帝武丁ていぶていの志とは、また、大きく出られましたな。」


「いえ、その様なつもりは、微塵もございません。ただ、帝の置かれている状況を申し上げただけであります。まことに、帝は今、内憂外患ないゆうがいかんを打ち破り、しょうの国を盤石ばんじゃくのものになさんとの固い決意にございます。内憂ないゆうとは、正妃十家せいひじゅっけ同士の争いであり、外患がいかんとは、虎視眈々こしたんたんと朝歌を狙う外敵の侵略であります。西戎、北狄の蛮族に気を緩めることが出来ません。このため、次の夏越祭祀なごしのさいしには、帝のみことのりが発せられることでありましょう。」


 さらに、有襄魁ゆうじょうかいは、癸召きしょうの言葉を補って乗り出し、帝の詔(みことのり)を添えた。


「外に向かいては、青銅せいどう干戈かんかをなし、兵を整えて戦いに臨むべし。内に向かいては、先祖宗廟せんぞそうびょうの前に揃いて、おごそかかに祖帝天乙てんいつを祀りて心を一つとなすべし。」


 しかし、いずれにしても、かい癸召きしょうの申すことは、しょうが抱える問題であり、いくら頭を下げられても、こんに願いを叶える方法は思い当たらない。


 今は、低姿勢で、頭を下げてのお願いのようであるが、二人の口ぶりからすれば、言うことを聞かねば、武力行使も致し方ないという態度が、見え隠れしている。


 これ以上、申し入れを断わっても、何の解決にもならない。こんは、有襄魁ゆうじょうに向かって、本音で訊ねた。


知佳島ちかしまには、随分と、お待ちであったとお伺いしておりますが、そもそもわれをお尋ねになったのには、理由わけがありましょう。」


「もちろんでございます。大陸たいりく秋津洲あきつしまとの間には、大海がひろがり、海民の命を奪う風波と潮は数え切れません。とりわけ、亶州たんしゅう沖から縄族なわぞくの列島を北上する黒潮は、我々にとっても海上の守り神であります。ところが、この潮は幅が広く、流れも速い。黒潮に迷いこんで流される事にでもなれば、命は幾つあっても足りません。われわれは、黒潮の海域を東母とうぼの海、精衛せいえいの海と呼んでおりますが、この海をあやつれるのは、縄族なわぞくのみであります。中でも筆頭のよう殿とこん殿は、潮見しおみだけでなく南海の島々との交易にも長じられているとお伺いしております。」


 かいの遠回しな言い方に、しびれを切らしたこんは、

子安貝こやすかいでありますな。」

と、単刀直入たんとうちょうにゅうに訊ねた。

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