第12話 南海の子安貝

「さすがこん殿である。察して頂いてありがたい。」

 癸召しょうは、直ぐにでも取引の話に持ってゆきたかったのだが、有襄魁ゆうじょうかいが、間に入った。


「実は、今回の夏越祭祀なごしのさいしでは、婦好妃ふこうひの特別の思いによって、国中の妊婦一人一人に子安貝こやすかいが配られるというのです。子安貝こやすかいは、出産の護符でありますが、母神の象徴でもあるので、身分の貴賤に関わらず、ご婦人方なら誰でもが欲しがるものであります。だが、子安貝は、どこにでもあるものではなく、南海の島々でしか取れない逸品であります。われらとて、各方面に手配は致しておりますが、数が限られております。ここは、奄美のこん殿にお願いするほかはないのです。」


 こんは、かい執拗しつようなまでの懇願に、却って心が覚める思いであった。そのような昆の表情を見て取った魁は、諦めずに食い下がった。


こん殿は、しょうとの交流に長く携わって来られ、てい子昭ししょうと呼ばれた頃からのお付き合いがあると聞いております。しょうの朝廷内部の事情にも詳しいとお伺いしております。ならば、わが丙家のこともご存知ありましょう。今回のことは、斎島いつきしま癸召きしょうこん殿とは、懇意こんいにされているとお聞きしまして、厚かましくもこのようなお願いに参ったのでございます。」


 なりふり構わぬ、かいの一途な思いに、こんも遂に心が開いた。

「そこまで言われると、なかなか後には、引くことも出来ますまい。特に、有襄ゆうじょう氏は、しょうにおかれましては、帝妃ていひを出される有力氏族でございますれば、良しなにお付き合い致しとうございます。」


 こんは、有襄ゆうじょう氏がこのように異国の者たちに頭を下げるのを見たことはなかったので、具体的な条件を聞き出すのが先だと思った。


「話は分かりました。それで、わが方に許された時間は、あとどの位ありましょうや。知佳島ちかしまで用立てできるものは、直ぐにでも揃いますが、ここではご要望の十の一にも届きません。奄美のかしらにも相談いたしますが、知佳島の量を上回ることはありますまい。今年の奄美のノロ神への献上品は、まだ、ようやく亶州たんしゅう(台湾)沖のゆな島や宮の島あたりであろうと思います。そのことは、縄族が一番よく知っておりますれば、ここに呼んで聞いてみましょう。幸いにも南の縄衆のひとりが潮に迷ってひとつ柱島から戻ったばかりでございます。」


「ありがたき心遣いに感謝申し上げます。われらに与えられた時はと申せば、あと三月に御座います。大嵐がやってくる季節の前、夏越の祭祀までに献上の品々を揃えなくてはなりません。」


 こんは、側の者に、「先ほど連れて来た縄族なわぞくかめをここに呼べ」と言うと、しばらくしてかめがやってきた。


「さて、亀に尋ねたいことがある。ここにおいでのお二人は、しょうの国と斎島いつきしまからの客人である。正直に応えてくれないか。」


 かめは、いきなり連れてこられて、何ごとかと思ったが、目の前の二人の立ち居振る舞いを見て、少しは安心した。これまでにも潮の道を通って大陸の様々な国を訪れてきたが、湊々で相手となるのは、入れ墨をした乱暴者のはだか族ばかりであった。このよう立派な服を来た貴人に会ったことはなかったのだ。


かめは、縄族の若衆である。南の島々にも、大陸の沿岸にも通じていよう。そこで、お主の知っていることでよい、奄美の母神ノロ様への捧げ物の事だがな。」


 こんは、かめの表情を観察しながら、言葉を選んで丁寧に話しかけた。捧げものが誰の命を受け、どのような名目で、運ばれているかは、誰も知るところでなかった。かめの身体に拒絶の気配でも見られたら、これ以上は聞けないと思っていたのだ。たが、その素振りはなかったので、こんは続けた。


「毎年、今の時期になると、島々を巡って、決まった品々、それ、サンゴとか、子安貝こやすかいとかあるじゃろうが。縄族なわぞくが島々を巡って集めている船は、今頃どこにいるか、分かるか。」


 かめはしばし天を見ると、もう一度、こんの方に目をやった。どのように応えたらよいのかを迷っている。


「わしらが運んでいるのは、交易用の品々と奄美の母神さまへの捧げものであるぞ。しょうへの献上の品はない。南から持ち運んでいるのは、奄美のノロ神様への捧げものじゃ。秋から冬にかけて、大陸の周辺海域で集められた奉納の品々は、亶州たんしゅうの沖島に集められる。春の一番船に乗せられて、今頃は、ゆな島から宮の島についておる。いよいよ奄美のカミさあの所に運ぶ準備をしているところじゃ。特に、子安貝は人気じゃから、われら浮き縄もんは、ルイが持ち運ぶという粤潮えつちょうの市場にも出かけて手にいれて集めておるさあ。」


「そうよのう。今は、縄族なわぞくあげて奄美のカカさあへの奉納船が南の島々から鬼界島きかいじまに向かっている頃だ。鬼界島きかいじまでの夏至げし神祀かみまつりは、それはそれ、各島々から大勢が集まって盛大に行われる。神祀かみまつりが終われば、奉納の品は、神坐から降ろされるので少しは、分けられると思うが、一度に大量の品を手当てするのは難しかろう。かめよ、よくわかった、もうよいぞ、戻って身体を休めよ。」


 かめこんは、相手に最大の敬意を表して、包み隠さずに手の内を話したつもりであるが、かい癸召きしょうは、苦虫をつぶしたような面構つらがまえをしたまま、身体が動かなかった。


癸召きしょう殿に申し上げます。お聞きの通り、縄族が集めし南海の子安貝やサンゴもまた、一族の神祀りに捧げられるものでありまして、これをお譲りすることは難しゅう御座います。しかも例年の三倍の品といわれましても、無理難題むりなんだいに御座います。」


さらに、平然とした顔で、こんはいった。

「ここは、癸召きしょうさまとわれとの取引ということで、われら二人にお任せ願いませんでしょうか。決して有襄ゆうじょう様のお顔をつぶすようなことには致しません。」


 こん癸召きしょうとの相対の取引を有襄ゆうじょう氏に願い出た。

「人の足元を見おって。」と心の中で怒りを現したが、かいはそのまま、黙って部屋を出た。


「お聞きの通り、表向きには、おふたり様のご要望にお応えすることとは難しゅうございます。如何でしょう、われは、奄美衆あまみしゅうの息の懸かった所に、内密の使いを出します故に、丙家へいけ斎島家いつきしまけ御印みしるしの品をご用意頂きますでしょうか。ご両家の御印みしるしがあれば、縄族以外にも、秋津洲あきつしまのいくつかの部族が話に乗ってくるでしょう。さすれば、われが、人肌脱いで差し上げましょう。」


 こんは、この時ばかりと、南方之潘みなみかたのはんが築いた秋津洲あきつしまの一族との結びつきを強化しようと、それなりの戦略を持っていた。


「もちろん、お互いの為でありますぞ。われらは、丙家へいけとは一切の関わりを持たない事とお約束頂きたい。」


 こんは、商帝しょうていが抱える内憂外患ないゆうがいかんには、関わり合いたくなかったのである。癸召きしょうは、精衛せいえいの潮に乗って斎島いつきしまを訪れるこんに、年に何度かは会う間柄である。そのこんの眼をまざまざと覗き込んで、すぐには返事をしなかった。やや、しばらくの沈黙が続いたが、癸召きしょうはうなずいた。


「分かった。して、お主は何を望む。」


「このような時でなければ、青銅の刀、剣、戈がほしいところであるが、今回は、きぬ布帛ふはくを奄美の母神に奉納頂くことで良しと致そう。もちろん、縄族なわぞくの姫神の数だけは頂くぞ。残りはわれの貸しだ。」


 縄族わぞくの島々には、ノロ神、ユタ神合わせて、五十の姫神がいたが、交易族らしく、二人はそれで手を打った。


 癸召きしょうかいを呼び戻し、何やら耳打ちすると、かいは懐から青銅の小刀を取り出した。蚩尤しゆうを象った饕餮紋とうてつもんの柄がついている。癸召きしょうはそれを受け取り、斎島いつきしまの印、波形紋なみがたもんが描かれている布帛にくるんでこんに差し出した。


「われらの御印みしるしはこれでよかろう。あまり借りは作りたくないから言っておくが、ていが最も望んでいるのは、最上の子安貝こやすかいである。例年の三倍の献上品と言っても、極上の子安貝こやすがいがあれば、他の品々をそれで補うことは出来る。婦好妃ふこうひが持つに相応しい、より珍しく美しい子安貝こやすかいであれば、なおさらのことである。」


 こんは、腹を決めた。

「では、これより三つの手筈をお示しいたすので、どうかご安心下され。」


 癸召きしょうかいの様子を伺いながら、自らの覚悟を示した。

「ひとつ、かめは、これより鬼界島きかいじまに戻り、奄美のかしらに会ってわが願いを届けよ。ふたつ、秋津洲あきつしま八潮やしおに申す。これより精衛せいえいの海を渡り、閩聰びんそうを故郷の邑にとどけて、子安貝こやすかいを手配せよ。三つ、われは秋津洲あきしつま豊浦宮ようらのみやに参り、翡翠ひすいの玉を求めよう。」


こんの素早い決断に、二人は驚き、安堵の息を大きく吐いた。二人の威圧的な構えがなくなったのを見ると、こんは緩やかに言葉に出した。


かめよ、鬼界島きかいじまには、ひとり旅となるがしっかりと務めを果たしてくれ。わが命のあかしさめ首輪くびわを預けるによって、かしらようにわが想いを伝えてくれ。」


 かめは、首輪くびわを預かると自分のくびに掛けて、こうべを垂れた。


「そして八潮やしおよ、閩聰びんそうのことは、お前が徐伸じょしんとルイを伴って送っていくのだ。」


八潮は、驚いた。だが、西方之潘にしかたのはんの命である。


精衛せいえいの潮を探し、長江の河口にミャオ族を訪ねよ。ミャオのことは閩聰びんそうが知っているはずだ。みゃお族は、母神ははがみを祀る部族で子安貝こやすかいの倉があるほどだから、閩族びんそうならば、少しは融通を利かしてくれよう。交換の品はサンゴ、交渉は閩聰びんそうに任せよ。閩聰びんそうの故郷へは、ミャオ族が送ってくれるであろうから、八潮は、頂いた子安貝を船に積み込んで、北に向かい、蓬莱ほうらいの湊に運べ。船長ふなおさには、わが腹心の鮫牙こうがをつけるので安心せよ。」


 有無うむを言わせぬ迫力でこんは、八潮を指名した。


「最期に、秋津洲あきつしまには、もう一度、われが豊浦宮とようらのみやに参ってお願いしよう。比古次神ひこじのかみ奴奈川ぬなかわ翡翠ひすいをお願いしてみようと思う。」


こんは、手際よく、それぞれの指示を明らかにして、二人の丙家の使いに向き合った。


かい様には、蓬莱ほうらいの湊にてお待ちください。ふた月あれば、再び、ご希望の品々を積んだ船が湊に入ることでございましょう。」

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