第6話 ひとつ柱の島

 櫛彦くしひこは興味深く、こんの視線の先を眺めていた。正面に平らかな島が迫ってくる。


「あれが、ひとつ柱の島か。」

「いかにも、ひとつ柱の島でございます。」

「かしこねの流れは、穏やかで、心地が良いのう。」

「北の海とは違い、今の時期、この辺りは穏やかで凌ぎやすくなります。ところが、こう見えて、冬になると北の海にも負けぬくらいに荒れる日もごさいます。一年の内でもこのように穏やかな海は、十日となき日和りでございます。」


 一行の船は、夕日の柔らかな日差しを浴びながら、湊に付けられた。島に上がった時は、すでに夕闇が迫っていたが、島の中のことは、ただ、昆のみが知るところであった。昆は港の近くの小屋で一晩を過ごすことにして、水主の一人を使いに出した。


「われらの居館は、あの丘の先にございますれば、今夜はここにて休まれて、翌朝、日が上がりましてから向かいましょう。すでに水主を使いに出しておりますので、準備が整いましたら、迎えが参るはずでございます。」


 みなみな、焚火を囲んで取れたばかりの新鮮な魚を焼きながら、旅のつかれを癒した。

 久治良くじらは、久々の航海で心が弾んでいた。人の形にもどると、饒舌じょうぜつにしゃべりだした。


「この辺りの潮は、南の黒潮に比べると、流れも緩やかで渦が少ない。鯨にとっては、凌ぎやすい海域だ。それと瀬戸の海とも違う。瀬戸は、わが故郷ではあるが、朝夕の潮流が激しく、気の休まる時がない。それに比べると、ひとつ柱の島は、良いところじゃ。」


 久治良くじらが話し出すと、八潮やしおは、耳をそばだてて聞いていた。久治良くじらは、その若者の無垢むくな目を見ているとつい言葉が出てしまった。


八潮やしおよ、お主は、秋津洲あきつしまの周りを、何度巡めぐったかの。」


 皆の前で、いきなり声を掛けられ、驚いた八潮やしおは、いささか照れ笑いを浮かべながら、

大戸之自神おおとのじのかみ、父曽良そらと共に七度以上は、ご一緒させていただきました。」


 と返事をしたが、久治良くじらはさらに続けた。

「一人で、めぐったことはあるか。」


 畳みかけるつもりはなかったが、八潮やしおと話をしたかったようである。

「まだ、未熟者のゆえに、それはございません。」

 久治良は、ますます、八潮の返事が気に入ったのであろう。


「ならば、豊浦宮とようらみやへ帰りの海道は独りと思え。ここにいる間に、西の海のことも十分に学んで帰るのだ。西も南も海は途方もなく広く果てがない。誰かを頼りにしている間は、本物の海の妖怪を見ることもない。海は己との戦いの場であるぞ。」


 久治良くじらは、八潮やしおを初めて持った弟分のようにさとした。このようなことを言える相手は八潮やしおしかいないと、意気揚々と話している。


 久治良くじら八潮やしおのほほえましい会話を聞きながら、今度は、昆が皆に向かって、口を開いた。


「われの本拠地は、これより西の知佳島ちかしまにございますれば、年に二、三回は、一族を伴って、このひとつ柱の島に案内するのでございます。島の中には、宇久うく小値賀おじかの手配のものが常駐しております。」


「ひとつ柱島も。海の孤島のように思えるが、こんの根城は、まだまだ海の先ににあるのか。」


「秋津洲の西の果てに御座います。」

「なぜに、その様な島が西方にしかたの本拠地であるのか。」

知佳島ちかしまは、奄美あまみに次ぐ黒潮くろしおの分岐点にてございますれば、黒潮くろしおの民が潮を追っております。」


「おお、そうであったな。知佳島の周辺は、黒潮の分流であった。」


「黒潮の入り口、与那島から宮古島、縄島、奄美島までは黒潮の本流であります。奄美から先は、二手に別れ、もう一つの黒潮は甑島こしきしま両子島ふたごしま知佳島ちかしまと北上します。さらには、知佳島の海域で黒潮は、再び、東西に分かれます。と呼ばれる東流れの潮は、このひとつ柱島を流れております。西流れの潮は、とよばれ、知佳島ちかしまの本体は、この潮を追っているのであります。の潮を追うのは、奄美之潘あまみのはんようの命にて御座います。」


「なるほどな。何度も言わせてしもうて、相済まぬことであった。ようやく、西の海の姿が微かに見えてきたように思う。どうじゃ、曽良そらには、秋津洲あきつしまの西の果てにあるという知佳島が見えておるかの。」


「われも、綿津見わたつみの海の民。知佳島やの潮を実際に見てみたいものであります。ところで、昆殿にお伺いいたします。の潮を追っておられる西方にしかた衆が、このひとつ柱島に屋形を構えておられておられるのは、どのような理由によるものでしょう。」


「さすがは綿津見之曽良わたつみのそらであります。ひとつ柱島での仕事は、黒潮族の大切な役割を担っております。黒潮の傍には、浮き縄のごとく小さな島が沢山あります。さらには、与那島よなしまの向こううには、亶州たんしゅう、ルソン、百越ひゃくえつなど、様々な海人が住んでいて、黒潮に乗って北上してくるのです。だが、多くの人々は、遭難して島々に漂着するか、海を漂うか、命を亡くすかです。」


「なあるほど、すると、ここは、漂着民の避難所というわけだ。」


「近くで漂流民を見つけると、とりあえずは、この一つ柱の島につれて参ります。海路を見失った海人たちにとっては、命拾いの島であります。あめつちの機嫌がよくなければ、一年間はこの島に逗留させられますので、翌年の春に、知佳島から連れ戻しにまいるのです。島には、海の道に迷った何人かの南方のものが異国の海人と共に待っていることでしょうよ。」


 異国の海人と聞いて、櫛彦くしひこ八潮やしおは目を丸くした。

「異国の海人とは、海の向こうの大陸の民であるのか。」

「大陸の者達もいれば、南海の島々の者達も多いのです。みな、海人でありますので、海を恐れるものはおりません。大陸の海の民は、粤人(えつじん)や閩人(びんじん)と言って、異国の言葉を話しますが、同じ海を航海する者同士、心は通じ合っております。ところが、中には、海を知らない大陸の民が混じってやってくることがございます。奴らは、我々のことを海底にすむ海獣の手下ではないかと思っております。」


久治良くじらが話に割って入った。

「おやおや、それは恐ろしい御仁がいるものでありますな。われらくじらの仲間は、広々とした大洋を北から南まで自由に行き来しております。くじらの仲間が、極北の海から南に下っていくときは、若い男女の子産みと子育ての旅であります。にぎやかに、集団を作って赤子の命を守るのです。島々の海人は皆そのことを知っているので、われらに攻撃を仕掛けてくるものはいません。」


「われらも、瀬戸の海では、鯨衆に、大いにお世話になった。久次良くじらは、わが命の恩人じゃ。」


「だが、海というものを知らない者たちは、われら鯨のことを海獣といって恐れているようで、大きな銛を持ってわれらに向かってきます。海の果ては巨大な滝が流れていて、底知れぬ黄泉の国の入り口があると思ってるようです。われわれのことを、黄泉の国の番人だと思って、寄り付きもしない。」


 櫛彦くしひこの温かい思いやりに、久次良くじらは気を良くしたのか話が止まらない。


「だが、海人にらば、誰もそのようなことは考えていません。海の向こうは、さらに海があり、そのまた向こうには、常世の国があり、そこには夢と希望があると信じています。」


 久しぶりに、思い思いのことを話している内に、島の夜は更けていった。

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