第4話 殯(もがり)の舞


比古次神ひこじのかみにお願いがあってまいりました。」


 櫛彦くしひこは、ひときわ声をふるわせ、皆々に聞こえるように言った。比古次神ひこじのかみの周りは、相変わらず悲しみの気が覆いかぶさって、取りつくしまがない。従者の者は誰もが、耳を閉ざし、心をふさいで深い眠りに陥っている。返事の声があろうはずもない。


 櫛彦くしひこは、隠し持った草笛くさぶえを取り出すと、それを吹き鳴らしながら踊り始めた。祭壇さいだんに向かって三度舞うと、そのまま、真ん中に据えられた若宮の魂、乳白の珠を手に取った。


 右手で草笛くさぶえを吹き、左手のたなごころに珠をくるみて、頭、首、肩、胸、両の腕、腰、腹、尻、腿、脛、足を少しずつずらしながら、笛の音色に合わせて踊った。その乳白の玉を今度は、曽良に手渡し、曽良もまた、同じように踊った。ぼんやりと眺めていた比古次神ひこじのかみは、次第に櫛彦くしひこ草笛くさぶえの音色と奇妙な姿にわれを忘れて目が覚めた。


「なんと、櫛彦くしひこよ、気でも触れたか。ここをどこだと思うておる。」

 正気を取り戻した比古次神ひこじのかみの顔は、櫛彦くしひこ曽良そらを問い詰める厳しい表情に変わった。


「ようやく、お目覚めでございますか。みなみな様、響姫神ひびきのひめかみもがりにつき、悲しみをこらえた日々が続いております。しかし、もう幾日になりましょうや。もがりの庭は、まるで死人しびとの庭、黄泉よみの国の入り口ではございませんぞ。このように悲嘆にくれた豊浦宮とようらみやは、新宮に相応しくないと思います。」


櫛彦くしひこよ、何を申すのか。豊浦宮とようらみやの落成は大事であるが、響姫ひびきひめの魂を穏やかに清め、再びの蘇りを祈るのが先であろう。黄泉よみの国とは、口が過ぎようぞ。そのような振る舞いは、慎むがよい。」

「では、お伺いいたします。兄上は何故にこの豊浦宮とようらのみやをお建てになりましたのか。」

「そのようなことを今さらながら、お主に問われることもあるまい。」

額に青筋を立てて、櫛彦くしひこを睨みつけた。


 すると、時を置かずして、曽良が間に入った。

比古次神ひこじのかみ曽良そらが申しあげます。われは、比古次神ひこじのかみめいを受け、響きの海に入り、若宮わかみやの弔いを行ってまいりました。響きの神島に着いた時のことを申し上げます。」

 

曽良そらは、これまでにも報告したことを、改めて口にした。

「神島では、一面に波高く、風強くして、とても寄り付くことは叶わず、難儀をしておりました。すると、突然、あめつちが震え、入り日と共に海面から龍神が現われました。真っ赤な口を開き、紫色の長々とした舌を伸ばして、あめつちに轟く声が響きわたりました。


― 豊浦の若宮の魂は預かった。時が来たるまでは、われが若宮の魂をお守りいたそう 。


入り日の龍神りゅうじんは、そのようにはっきりと申されました。すでに、響姫の御心は、若宮様に受け継がれているのであります。」


 比古次神ひこじのかみには、戻りてすぐに、報告したことであったが、まるで比古次神ひこじのかみの心には届いていなかった。曽良そらは、殯台もがりだいに眠る響姫の前にでると、もう一度、若宮の魂が響きの海の龍神に迎えられたことを、心の中で唱えた。


「なんと、入り日の龍神がそのように申されたのか。」

比古次神ひこじのかみは、まるで、初めて聞いたかの如くに返事した。


「いかにも、そのように申されました。ここに控えております、葦原あしはら比売次ひめじ南方昆なみかたのこん共々に見聞きした姿にございます。」


比古次神ひこじのかみは、比売次ひめじこんを見ると、

「顔を上げよ。」

と言って二人の眼を見つめた。

「ただ今、曽良そらが申したことに嘘偽うそいつわりりはないか。汝らも龍神の姿形と声を聞いたのか。」


 比売次ひめじこんも目を逸らすわけには行かなかった。比売次ひめじが先に口を開いた。


「われと曽良そらこんの船は、別れ別れになりましたが、大きな渦の中から、龍神りゅうじんは現れ、曽良そらを見つめて、そのように申しました。入り日に映えて、龍神りゅうじんは真っ赤に染みておりました。あめつちの神に誓って、嘘偽うそいつわりのなきことを申し上げます。」


 すると続いてこんも口を開いた。

「今、曽良そらの左手にある珠は、その時、龍神りゅうじんから渡された約束の珠にございます。曽良そらは、全身の身体を使って、この珠を皆で守れと言っております。笛を吹き、太鼓たいこを叩いてまつれと聞こえております。われは、龍神りゅうじんの声を聞きました。「時が来たるまでは、われが若宮の魂お守りいたそう。」と入り日の赤き龍神りゅうじんは申しました。」


 曽良そらは、うなずきながら、比古次神ひこじのかみに再度、訴えた。

「恐れ多くも、まさしく龍神りゅうじん言霊ことだまに御座いました。若宮と響姫を守るは響きの海に坐す龍神りゅうじんでありましょう。」


比古次神ひこじのかみは吹っ切れたように、すっくと立ち上がると、周りを見まわして、声高々に言った。


「皆々よ、聞いたであろう。響姫ひびきひめ若宮わかみやの御霊は、この地の龍神りゅうじん御許みもとに届いたぞ。」


 さらに、比古次神ひこじのかみは、天を仰ぎて両手を広げた。

「今夜は、みなみな揃いて、響きの海にします龍神りゅうじんと共に、宴を催し、響姫神ひびきひめかみの魂を送るべし。若宮のいる響きの海に送るべし。管弦と歌、踊りで響姫ひびきひめと若宮の魂をなぐさめ、新しき豊浦宮とようらみやの行く先を見ようぞ。」


 比古次神(ひこじのかみ)は、晴れ晴れとした表情で、その声は、自信に満ち溢れていた。

曽良そらが持ち帰った若宮の白き珠をあめつちの神に捧げ、わが姫と若宮の御霊、安らかならんことを祈りて踊ろうぞ。」


 さらには、曽良がなした弔い船のことを初めて心に受け止め、礼をなした。


曽良そらよ、比売次ひめじよ、こんよ、よくぞ弔いの旅から帰ってきてくれた。汝らのお陰で、豊浦宮とようらみやは、ようやく新たの宮として生まれ変わろうぞ。さあ、みんな、曽良そら草笛くさぶえに続いて踊れ。比売次ひめじこんを讃えよ。」


 再び、豊浦宮とようらみや斎庭いつきのにわには、活気があふれ、その日は、夕暮れから夜を通して、ふえ太鼓たいこの響きが絶えず、皆々は、響姫神びきひめかみ若宮わかみやの魂を受け入れて舞踊った。



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