第9話 無理も通せば

「僕は、嫌だ……!」

「お前……!」

 佳月は、フォルテに現実を突き付けられて尚、考えを変えなかった。

「言ってることは、分かります。会える可能性は低いって、命だって、それだけの危険があったって……でも!」

 両手を強く握り締め、震えを含んだ声で、佳月は言葉を絞り出す。顔は今にも泣き出しそうなほどに歪んでいたが、目には強く、そして危険な光が宿っていた。

「諦めちゃ、駄目なんです」

 まるで自分に言い聞かせるように、佳月は言葉をこぼした。

「たとえ、たとえそれで。僕の命が失われたとしても、諦めちゃ、駄目なんです」

 その言葉は、弱々しい口調に反して、あまりにも強いものだった。

 自分の全て、命を、このどうしようもない今に賭けるつもりなのだ。いくらなんでも、あまりに思い切りが過ぎている。

「ここまで、本当にありがとうございました。もう、大丈夫です」

「お、おいっ!」

 そう言って立ち上がると、佳月はフォルテに小さくお辞儀をした。そして、馬車がこれまで辿って来たであろう方へと振り返った。

 茶色く踏み固められた道が、膝丈ほどの草原を縫ってどこまでも、どこまでも伸びていた。街灯などは見当たらず、道は遠くに立ち並ぶ木立の中へと消えていた。どこまで続くのかなど見当もつかない。その更に向こうには連なる蒼い山々も見えて、元居た街から見えた景色が思い出された。ひょっとしたら地元のどこか辺境かも、などとどこか間の抜けた考えも浮かんだが、山の形が違うから、それは無いだろうとすぐにかき消した。

 佳月は目を落とし、乾いた道に残るわだちを見た。残ってはいるものの、薄らと見えるばかりで、もう一刻ひとときもすれば風に吹かれて消えてしまいそうだった。あまりに頼りなく、今の自分とどこか重なるそれを伝って、佳月は歩き出した。

 下を向き、ふらつきながら。でも着実に一歩一歩を踏みしめて進むその歩みはどこまでも無謀で、止めた所で止まるものではないことを感じさせた。

「だから……待てって! っ……」

 フォルテはその背中に声を掛けるが、その先の言葉は紡げなかった。

 なにせ全てを理解した上で命を放り出して進もうという相手だ、外野がなにを言おうが、なにをしようが――たとえ殴り倒したとしても止まらないだろうという確信があった。

 彼は、自分の行く道を定めてしまったのだから。

 


「待ってくださいっ!!」

 突然、佳月のものでもフォルテのものでもない、甲高い声が響き渡った。その声を聞いた佳月は驚き顔を上げ、目を見開いて辺りを見回し声の主を探した。

 誰にも止められないと思われていた歩みが、止まった。

「はる、か……?」

 その声の主は、佳月とフォルテが話していた場所から少し離れた木立の薄暗がりの中から、ゆっくりと姿を現した。

 学校指定のジャージを着た、サラリと流れる茶色の短髪に、深い黒の瞳の少女、それは紛れもなく、佳月のよく知る、求めてやまなかった妹、陽香の姿だった。

「陽香!」

 佳月は陽香の元へと一目散に駆け寄り、力強く抱きしめた。

「本当に、本当に良かった……!」

 そこまで言うと佳月はハッとして、陽香の肩を優しく掴んで、彼女と正対する。

「そうだ! 痛いところは無い!? 怪我とか、霜焼けとか!」

 彼女の身に怪我が無いかを確かめ始めた佳月の姿に、少し困ったように陽香は小さく笑みをこぼす。

「霜焼けって……。兄ちゃん今夏だよ。なるわけないよ」

「あっ、そ、そうだね。はは……」

「それより、兄ちゃんだよ。こんなにボロボロで……」

 シャツから何から傷だらけ、泥だらけの佳月の姿を見て、陽香はそっと目を伏せる。

「……痛かった、よね」

「これくらい、平気だよ」

 泣きそうな顔で佳月の傷を労る陽香に、佳月はにこりと笑って見せた。

「だって、陽香が無事だったから」

「……兄、ちゃん」

「……あれ?」

 ふと佳月は何かに気づいた。見れば陽香は裸足だった。これだけ色んなことが一編に起きたのだ、慌てて走っていて、どこかで靴が脱げてしまったのだろう。

「陽香、これ」

 佳月は履いていた運動靴を脱ぎ、陽香に差し出した。

「えっ? 兄ちゃん?」

「足、そのままじゃ怪我しちゃうよ」

「足……? ……あっ!?」

 そこまで言われて、陽香はようやく自分が靴を履いていないことに気が付いたようだった。余程慌てていたのだろうか。

「えっ、えっと、これは、その!」

「サイズは合わないと思うけど。はい」

 手に持っていた靴を遠慮する陽香に少し強引に佳月は手渡した。陽香は手に持った靴をじっと見て、俯いて呟いた。

「ごめん、なさい……」

「気にしないで。僕は大丈夫だから」

 自分の落ち度に落ち込みながら、陽香は靴を履いた。

 そんな二人のやりとりを、フォルテは面食らった顔で見ていた。

「お、おい、カヅキ。ひょっとして、その子が例の、その――」

「はい。紹介が遅れてすみません。僕の妹の、陽香です」

 いきなりのことに思考停止していたフォルテがようやく絞り出した問い掛けに、佳月は先程までの険しい顔が嘘のような朗らかな顔で答えた。

「あの、初めまして。石椛いしなぎ陽香と言います」

 そう言うと陽香はフォルテにペコリとお辞儀をした。

「あ、ああ。こりゃどうも……」

 気の抜けた返事をしながらフォルテはお辞儀を返す。そして陽香と佳月の姿をジッと見ると、大きなため息を一つついて、バツが悪そうに頭をガシガシと乱雑に掻いた。

「あーあ! 見捨てて行っちまえって言った俺が完全に悪者じゃねえか!」

「いえ! そんなことは……」

「いいよ。実際そうだからな」

 フォルテのフォローをしようと慌てる佳月をフォルテは手で制した。

「……こんなこともあるんだな」

 穏やかな声でそうこぼすと、フォルテは恥ずかしそうに鼻の下を擦り、佳月に向かって景気良く笑いかけた。

「なんか、俺の方が教えられちまったみたいだ! ははっ!」

「フォルテさん……」

「さぁ、二人とも乗りな、ボロいがサービスさせてくれよ」

 フォルテは止めてある荷馬車を指して二人へ乗るように促した。



「にしても、聞けば聞くほどぶっ飛んだ話だよなぁ」

 ゆっくりと進む荷馬車上で佳月の話を改めて聞いたフォルテは神妙な顔で呟いた。一方で、グロリアは話には興味を示さず、馬車の進行方向をずっと見ているばかりだった。

「変な黒い塊に吞み込まれたと思ったら、一面氷の世界に行って、かと思えば暗い森の奥に行って、蛇の化け物に出会って殺されかけて、か」

 佳月から語られた内容を反芻したフォルテは横目で荷台に乗っている佳月の表情を伺う。気恥ずかしさのカケラも無い真面目な表情を見て、うーんとうなりながら頭をかいた。

「お前さんを知らなきゃ、随分凝った話だ、って笑い飛ばす所なんだけどなぁ……」

 ここまでの佳月とのやり取りで彼の愚直さを嫌というほど見せ付けられたフォルテは、彼が語るこの話もきっと本当のことなのだろうと思えていた。

「で、妹を助けるためにもう一度森に戻ろうとしたところを、助けてくれた狼から良いのを貰ってぶっ倒れて、そこにたまたま俺が通りがかった。ってわけか」

「はい」

「はぁあ……」

 眉根を寄せて情報を整理しつつフォルテはため息を漏らした。一息ほどの間口を閉ざした後、再び佳月の方を見た。

「ほんとに作り話じゃないんだよな?」

 茶化すように聞き返すフォルテに、佳月は困ったように眉根を寄せる。

「えっと、事実です」

「でも私、氷の世界は知らない、かな」

 佳月の隣で二人の話を静かに聞いていた陽香が口を開いた。

「えっ!? 陽香、あそこには行ってなかったの?」

 自分は異なる体験をしていた陽香の話に佳月は驚いた。しかも、その通りなら氷の大地に戻ろうとしていた佳月の努力は全て徒労であったことになる。その事実を口には出さなかったが、佳月は気持ちが沈むのを感じていた。

「お、なんだ? やっぱ作り話か?」

「いえ、そんなことは!」

「大きな蛇がいたのは本当です!」

 フォルテの言葉に佳月と陽香が否定の声を上げる。その様子を楽しむように、フォルテは軽快に笑った。

「冗談だよ。しかし、『あの森』の奥の話か」

 遠くへと視線をやりながら、フォルテはポリポリと顎を掻いた。

「あんまり話さない方がいいだろうな」

「どうしてですか?」

 フォルテの言葉が気になった佳月が聞き返した。

「あの森なんだけどな。この辺じゃ、『かえしの森』って呼ばれててな」

「帰しの森……」

「随分、仰々しい名前ですね……」

 陽香が小さく身震いするのを尻目にフォルテは話を進めていく。

「それなりに知られた場所だ。入ってすぐは普通の森なんだが、光もロクに届かなくなる森の奥まで行くと、先も見通せないほどの深い霧がいつも立ち込めてるんだ」

 フォルテは淡々と、その先を続ける。

「で、その霧の中を進んで奥に行こうとすると、いつの間にか入った場所に戻ってるんだよ」

「戻る……?」

「そう。ひたすら真っ直ぐ走ろうが、迷わないように印を付けながら進もうがな。挙句、木を伐りながら進めばいいとか言い出してあの辺り一帯を大伐採しようとしたらしいぜ」

「そんな、無茶苦茶ですよ!」

「ああ、無茶苦茶だ。なにもかもが、な」

 陽香の悲鳴を聞きながら、フォルテは物憂げに目を細めた。

「噂じゃ、大伐採に関わった奴らは、全員不幸にあったらしい。ある者は廃人に、またある者は帰らぬ人に、ってな。しかもそれが、一夜にして起きたって話だ。今じゃあの森には誰も近づこうとしない。話題にしようとすらしない。霧の中にあの世を見た、なんて与太話がまかり通ってる始末だ」

 そこまで語って、二人が意気消沈したのを感じ、フォルテは肩をすくめた。

「だから森の話を聞きたがるヤツはいない。案外その大蛇のせいってのが真相な気もするが、余計なことはしないに限る」

「……? そんなに危なそうな場所なのに、フォルテさんはどうして通ったんですか?」

 ふと疑問を抱いた陽香に問われたフォルテはあっけらかんと答えた。

「そりゃ、あそこ通るのが一番早いからさ!」

「えっ?」

 あまりにも悪びれの無い返答に、佳月は間の抜けた声を漏らした。

「結局、自分の身に降りかからない限りは、噂だからって鵜呑みにはしない性分なんだよ」

 同じ姿勢で凝ったのか、フォルテは一つ伸びをする。

「やったところで聞かれないからバレないし。それに、私欲でなりふり構わず無茶してくる輩には、祟りの一つもぶつけたくなるのも、まあ分かるだろ? てめえのやったことを棚に上げて、あれはやばいって腫物扱いすんのもなんだかなぁってさ」

 フォルテは飄々と自分の価値観を語っていた。

「ま、これで俺になんかとんでもねえ不運でも起これば、考えるかな」

 フォルテは再び視線を正面に戻す。すると、何かを見つけたのか、表情がパッと明るくなる。

「そろそろ見えてきたぜ」

 フォルテにそう言われ、佳月は目を凝らす。地平線まで広がる広大な草原、その向こうから、灰色の建造物が確かに顔を出し始めていた。

「新興の港町、ロクス・メルグス。ちょくちょく行くが、良い街だと思うぜ。街並みは綺麗だし、飯もうまい。あと」

 佳月と陽香の方を見て、フォルテは悪戯っぽく笑った。

「お前さんらみたいな奴の面倒を見てくれる奴に心当たりがある」


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