冷たい夜空に虹が架かる

清泪(せいな)

セレナーデ

 

 手編みの手袋を着けていてもかじかむ手に、白くなった息を吹きかける。

 ほんの少し、心持ち程度に手に温もりが蘇る。

 それも刹那的な一瞬で、まるで肩に落ちる雪の様だ。


 毎日の様に一日の最低気温は氷点下を示していて、二月になってやっと冬らしくなってきた。

 それでも雪が降るのは深夜だけで、この街じゃ雪が積もる景色を観ることはない。


 子供の頃からもう幾度と訪れた丘の上から街を見下ろす。

 十二時を過ぎて明日を迎えるために世界は静かに闇に染まるというのに、街は反発するように明るい。

 いつしかこの街も眠らない街になってしまった。

 地上の明かりに邪魔されて、夜空の星々はすっかり輝きを損なわれてしまった。

 肉眼で探すには困難だ。


 マフラーで顔の半分を覆い寒さをしのぎ、望遠鏡を覗き込む。

 時期と方角で、見える星の名前を当てる。

 僕と彼女がずっと繰り返した遊び。

 もうできなくなった、遊び。


 寒さに息を吐く。

 マフラーを越えて白い息が風に流れる。

 あっという間に消えていくその白い息を見て、彼女との思い出も消えていくのかと僕は悲しくなった。

 

 虹というものは、月光でもかかるらしい。

 何処かの国の風習で、いつか彼女がそう教えてくれた。

 ムーンボウ、月虹と呼ばれるそれに彼世にいった者が乗って此世に訪れるのだそうだ。

 彼世にいった者が此世に訪れるのは、此世の者に何かを伝える為なのだとか。


 僕には彼女に伝えたかった事が山程あるのだけど、彼女には僕に伝えたかった事なんてあるのかな。

 望遠鏡をどれだけ覗いてみても、月には虹などかかってはいない。


 望遠鏡を横に倒して、僕は月を見上げていた。

 肉眼で見える物なんてあの月しかない。

 だんだんと空が曇ってきて、その月すら見えなくなってきた。

 確か天気予報じゃ晴れだったんだけど。



「あーあ、曇ってきちゃったね。ハイ、コレ」


 そう言って彼女は僕に缶コーヒーを渡してきた。

 長い髪が風になびいている。

 手編みのマフラーで僕と同じ様に顔を半分覆っている。


「なーに、何か物思いにふけってたけど」


「君が居なくなったら、って事を考えてたんだよ」


「何それ人にコーヒー買いに行かせておいて、ひどくない?」


 ふてくされる彼女を横目に僕は笑って見せた。


 いつもの光景、繰り返した光景。

 やがて、その光景は白い息の様に溶けて消えた。


 僕はまだ彼女の事を消せずにいる。

 いつまでも消えずにいる。

 あの月の様に、見えなくたっていつだって存在する。


 だから忘れないんだって、彼女に伝えたかったんだ。

 僕は忘れないんだって、ちゃんと伝えたかったんだ。



 涙が知らず知らずに流れていて、僕は俯いていた。

 雲が流れて月が顔を出していてそこには虹がかかっていたのだけど、僕はそれを暫く気づけずにいた。

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冷たい夜空に虹が架かる 清泪(せいな) @seina35

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