境目で会いましょう

海野てん

境目で会いましょう

 本当の県境を見に行こう。

 時刻は七時前。真夏の朝日を受けながらペダルを漕ぎ出す。杜の都に吹く朝風は早くもぬるく、昼日中の苛烈な炎天を予感させた。

 盛岡ならもう少しは涼しいだろうか。同時刻、やはり自転車にまたがっただろう友人を思う。一路仙台から北に、一方盛岡から南に。短い夏の旅が始まろうとしていた。

 

 ことの起こりは夏季休暇の前、いや、本当の始まりは今から三百年余り遡る、まだ藩政の世、盛岡南部藩と仙台伊達藩の存在した時代にある。

 当時、二つの藩を隔てる藩境印は百以上にも及んだ。互いに境を主張する二藩は、ついにある手段を講じたが、旅の始まりはまさにその瞬間にあった。

 「あの時、伊達政宗がもっと頑張っていればなぁ」

 友人・志馬田しまだ咲がそんなことを言い出したのは、高校時代のいつだったか。とにかく、今野茜美あけみが彼女と出会って、間もない時期であるのは確かだ。恐らくは、咲が近所の下宿屋に越して来てすぐの頃。

 「そしたら今頃、盛岡は宮城県になって、買い物し放題だったはずなのに」

 いや、さすがにそれはないだろう。茜美は言ってやるが、咲は色とりどりの紙袋に夢中でもう聞いていない。袋には見覚えのあるセレクトショップのロゴが並んでいる。袋から一着一着取り出してはうっとりと、茜美には伝わらない味を一人で噛みしめていた。

 盛岡の親元を離れ、早々に熱を上げるのがショッピングとは、なかなかの豪胆さである。付け加えれば、その様は茜美の想像する『下宿生の姿』とは随分かけ離れていた。近所に同じ年の下宿生がいると知った時は、高校生ながら親元を離れたその意志に少なからず感心したというのに。もっとも、ファッションや流行に夢中な姿は、最近の高校生らしいと言えば、そうなのかもしれない。

 そんな今どきの女子高生に文句を言われる伊達政宗は、かつて盛岡の南部信直のぶなおに一通の書簡を送った。藩境争う長年の問題に、決着をつけるべしと。彼が提示した手段は、驚くほど単純なものだった。測量でも何でもない、ただ、同時に仙台と盛岡を出立し、出くわした場所を境に定めようというのだ。そして、南部信直はそれに応じた。伊達政宗が一計を案じているとも知らずに。

 果たして、盛岡は宮城県になるべきだったのか、あるいはもっと岩手県が広がっているべきだったのか。

 その問題は、高校時代の茜美と咲の間で度々議論が交わされた。二人連れ立って入った店で、偶然にも同じだった進学先の廊下で、並んで自転車を走らせる通学路で。答えの出ない疑問は二人の日常の中、いつもぼんやりと漂っていて、しかしあえて答えを出そうとすることもなかった。

 だから、大学三年年生の夏、咲が急に「本当の境を見に行ってみよう」と言い出した時には、茜美は内心驚いていた。三百年前、二人の藩主が見出したその場所を探してみようだなんて。実に六年にもわたる茫洋とした問いに、答えを出そうだなんて。

 

 * * *

 

 道行く人々は、帽子や日傘、扇子の作る影の下で眉をひそめ歩いている。誰も彼も額に汗を光らせていた。

 茜美もタオルで汗を拭う。漕ぐ足は止めないがとにかく暑い。覚悟はしていたが、目的地まで頑張れるか自信が無くなってくる暑さだ。その距離も本来は自動車で行くべき距離である。自転車で、自分の足だけで移動するなんて、不可能なのではないか。にわかに弱気になってくる。追い抜いて行く自動車が、そうだと肯定するようにタイヤを鳴らした。

 しかし、咲に言わせれば「そんなことないよ」という距離なのだそうだ。

 「仙台と盛岡の間は、だいたい一八〇キロあるの。半分なら九〇キロでしょ? 時速二〇くらいで走っても半日あれば行けちゃうんだから」

 時速三〇キロならば三時間。なるほど、そう考えると途端に行けるような気がしてくる。けれど、この暑さはもっと深刻に考慮しておくべきだった。皮膚がぴりぴりと痛み、日を浴びすぎていると警告する。水を一口含んだ。

 道は仙台を越え、富谷市内を北に伸びる。路樹とコンクリートの街並みの向こうに、濃い自然の気配があった。山懐に抱かれた富谷宿以前の奥州。その片鱗。いくつもの時代を超えた山林は、密やかに息づき人々の暮らしを見つめ続けてきた。変わりゆく富谷の街を、汗かき進む茜美を。あるいは、策謀を胸に盛岡を目指した伊達政宗の影を。土と石の道に馬を走らせる男。その背中を探すように、疲労を訴え始めた足に力を込めた。

 ああ、きっと、伊達政宗と南部信直の両者が計画を実行したのは、真夏ではなかったに違いない。花曇りの春か、紅葉に色めく秋。涼やかな風の中を駆けたに違いない。今この瞬間がそうだったら、自転車の旅もどんなに楽だったことか。

 

 実のところ、咲も茜美もそれぞれ、自動車と原付の免許を持っている。それでも、敢えて自転車を選んだのは、なるべく藩政時代の移動手段に近づけようというこだわり故だった。馬でも牛でも、生物が関わるゆえに起こり得る事故を考慮したのだ。

 よくよく相談して選ばれた自転車だが、恐らく、咲は茜美が原付で現れても気にしない。それどころか「よくぞ私を出し抜いた!」と大笑いして転げるに違いない。咲にはどうも、ずるさというものに寛容なところがあった。

 だから、『互いの所領を牛に乗って出立し、鉢合わせた位置を境としよう』と手紙に書いておきながら、『牛ではなくうまと書いたはずだ』と言って、馬に乗って出かけた伊達政宗を咎めようともしないのだ。

 手紙を書きながら、もう騙すつもりなのだから、南部信直にしてみればとんでもない話である。そして茜美は、ずる賢さを覚える逸話は一種の醜聞だと考える性格だ。伊達政宗の策略とその成り行きを知ったときは、思わず渋い表情を浮かべてしまい、きっと南部信直もこんな顔になっただろうと咲を笑わせた。

 咲と茜美。反対の価値観を持ちながら、よくもまあ六年もの間友人でいたものだと、たまに思う。実際に、二人の友情が大難を迎えたこともあった。

 例えば、高校三年の晩夏、引退間近の部活を終え、茜美が帰宅した時のことである。冷蔵庫には、買っておいたプリンが冷えていた。新発売の少し値段の張る品だ。その日、勉学と部活で披露していた体には労いが必要で、茜美の足はまさにそのために家路を辿っていた。

 「おかえり、茜美ちゃん」

 母より先に出迎えたのは咲だった。その頃は、茜美の母が娘と同じ年齢の咲を可愛がり、度々夕食を振る舞うようになっていたので、咲が今野家にいる光景は珍しくもなかった。

 問題は咲が手にしている空のカップである。指摘すると、今野家の冷蔵庫にあったことを素直に白状した。まさか、まさか蓋に書かれた名前に気付かなかったわけではあるまい。万が一のために、マジックで書いておいた『アケミ』の文字に。その『食うべからず』の意味に。

 「うん。でも、茜美ちゃんなら許してくれるかなって」

 三日間許さなかった。

 危機に瀕しながらも二人の友情が続いたのは、茜美なりに友人を尊敬していたからに他ならない。

 自己本位なまでにマイペースな咲だが、勉学以外の時間の多くは、アルバイトに費やしていた。それはひとえに好きな服を思う存分買いたいという欲望による。咲はそのために必要な努力を傾注し、一番安易な方法を、すなわち実家に無心するという手段を決して選ばなかった。好きなものへの浪費は惜しまず、同時に贅沢のために苦労を恐れない。そんな姿は、時折、咲を大人びて見せた。

 『プリン事件』のプリンは、茜美が自分で買ったものだが、その金は親から貰った小遣いだ。親の金で買ったものに、一喜一憂している自分はまだまだ子供だと、そう思えたのは大学生になってからである。

 

 * * *

 

 山間を埋める水田が、間もなく緑の絨毯に変わった。開けた視界に満ちる景色に、疲労とは違う息が漏れる。少しずつ色の違う緑が風に揺れ、光をはじき輝く。伸びた稲の間から、すっと白い首をもたげた鷺。農道を行くトラクターに驚いて、舞い上がった。

 不思議と懐かしい気持ちが沸き起こる。場所は既に富谷を過ぎ、大崎に迫る。訪れたことのない場所に郷愁の念を覚えるのは、生命あふれる田園に美しさに、日本の原風景に魂を震わせずにはいられないからだろう。以前盛岡へ行った時は、新幹線を使ったのでこんな風に景色を味わうことはなかった。

 盛岡には、咲に誘われて出向いた。大学生活最初の夏休みのことだ。

 咲の実家は滝沢市に近い一軒家で、志馬田の古い表札が印象的だったのを覚えている。

 「おかえり、いらっしゃい」と現れた咲の母親。ただいまの挨拶もおざなりに居間でくつろぐ咲は、最初からそこに居たように馴染んだ。

 襖で仕切られた畳の部屋で、ちゃぶ台を囲む女三人。汗をかいたグラスの麦茶、器に盛られたお菓子。手を伸ばそうとして引っ込めた。ふと鼻をくすぐった線香の匂いで、隣が仏間であることが分かる。菓子の包装を破ろうとしていた咲が、何かを思い出したように腰を上げた。

 「お線香あげなきゃ」

 仏間に向かう咲を「いいから、座ってなさい」と母親が押し止める。どうしたことかと尋ねれば、咲は幼い頃に火のついた線香を手掴みしたことがあるからだと聞かされた。

 もうずっと昔のことなのに、と咲はへそを曲げるが母親は取り合わない。けれど、分別のある年齢になった娘が再びそんなことをするとは思っていないのは、口元に浮かぶ笑みで分かった。柔らかな雰囲気にまかせ、茜美が母親の意見に同意すると、「茜美ちゃんまで!」咲の唇はへの字を描いた。

 「だって、火をつけたのに燃えてないのかなって思ったんだもん」

 幼い時分とは言え、どうしてそのような行動に及んだのか。尋ねれば、咲は少しばかり気まずそうに教えてくれた。細く煙を上げながら炎をまとわぬ香の姿に、好奇心が刺激され、確かめずにはいられなかったのだと。

 だからと言って、実際に触ってしまう子供はそういないのではないか。けれど、それが咲となると、驚いて目を丸くし指を引っ込めて大騒ぎする姿まで想像できてしまった。

 その年の夏は、しばらくの間を志馬田家で過ごし、咲の故郷を知った。

 仙台より北の盛岡は、盆地であるために意外と暑くなること。広瀬川と同じく、北上川も自然の堀として藩政時代に機能していたこと。近代的な駅ビルとは対照的に、風情を残す上ノ橋かみのはしの一角。駅舎を飾る駅名は石川啄木の筆跡を模しているが、たおやかな文字に反して石川啄木はぎょっとするようなエピソードが多い。これは咲が教えてくれた。やはり茜美には笑い飛ばし難い内容が多かったけれど、型破りな人生を送った詩人は、盛岡の人々に愛されているのだとよく分かる。

 また、咲の母は、岩手県の若者にとって、下宿や県を跨いだ外出は身近なものだと教えてくれた。県北県南からは、盛岡がある県央に下宿する高校生は少なくない。そして、盛岡の若者は高速バスと休日を利用して、仙台まで遊びに出かける。外に出ていくことが当たり前の気質は、岩手に新しい風を吹かせているのだ。

 古きも新しきもやがて一つに交わり人々の生活に溶けていく。それが、茜美が盛岡に抱いた印象だった。

 「はぁ、さすがに飽きてきた」

 普段は学業とアルバイト、そして空いた時間をショッピングに費やす咲にとって、穏やかな休暇の日々は、かえって持て余すものらしい。ファッション雑誌に付箋を貼る手を止め、扇風機の前に寝転んだ。南部鉄器の風鈴がちりりと鳴る。放られた雑誌には、華やかな衣装とモデルたち。都会の匂いのする背景はどこまでもきらびやかだ。

 本当は盛岡より、仙台より、東京のような町こそ、咲の好むところなのだろう。今まで、敢えて尋ねたことはなかったけれど。

 あの常に変動する都市は、咲にとって魅力的に映るに違いない。それとなく尋ねてみると、「うん、東京ってすごく面白そうだと思うよ」やはり予想通りの答えが返ってきた。

 「あ、だからって仙台に飽きたわけではないからね」

 慌てて付け加えるので、笑いながら知っていると返す。

 以前、咲が言っていた。咲にとっての衣服とは、変身をもたらすものなのだと。沢山の服とは、沢山の違う自分に出会える可能性の塊なのだそうだ。

 服に囲まれているうちに、繊細な縫製や配色などの意匠にも興味が出てきたらしいが、咲が本当に求めているのは、心の一部を刺激する源としての服だ。

 ならば尚更、咲には東京のような町が似合う。色と情報が満ちる町。あらゆる刺激を選び取れる都市。その一角で買い物を楽しむ姿が、あるいは店員として服に寄り添って生きる姿が、ありありと想像できる。

 東京には修学旅行以来行ったきりだが、咲と二人、東京で就職したら楽しいに違いない。そんな予感がした。

 

 思い出にふけっていると、あっと、短い悲鳴。蚊柱に突っ込んでしまったのだ。

 慌てて身をかがめるが、小さな羽虫が濡れた肌にくっ付いてしまう。不快感のあまり、タオルも使わず腕で乱暴に顔をぬぐった。片手ハンドルになった自転車は大きく揺らぎ、縁石にタイヤがぶつかって、カタン、カタンと妙な音が。しまったと思った時にはチェーンが外れていた。恐らく、ふらついた時に余計な振動が加わったためだ。

 見当をつけながら、自転車を降り、車体ごと歩道に移る。幸い、千切れた様子はない。多少のゆるみは大丈夫だろうと、交換せずに乗ってきたも悪かったのだろうと省みる。

 自転車は高校入学の際に購入した。徒歩では遠い高校までの距離を、運動も兼ねて自転車で通おうと考えたのだ。最初は公共の交通機関を使うつもりだった咲は、自転車通学も面白そうだと言って自転車屋について来た。

 「通学中も運動するなんて、運動部は大変だね」

 帰宅部の咲は、時々感心したようにそう言ったものだが、咲だってバイト先に通うためにそれなりの距離を日々漕ぐことになる。

 どうせ長く使うならと、スポーツ自転車を二人で選んだ。高価なロードバイクに比べれば手頃な値段だと店員は繰り返し言っていた。しかしそれでも、まだ高校生になったばかりの二人には相当な金額で、壊れた時にどうすればいいのか、ずいぶんしつこく確認したのを覚えている。あんまり必死な様子を見て、店員は自転車用のロードサービスがあることを教えてくれたが、問題はそこではない。如何に金をかけずに保持していくかが肝要なのだ。

 今回、前輪のチェーンだけが外れたのは幸運だった。これを直すのは簡単な部類だ。チェーンをギアに引っ掛け、ペダルを逆回転させる。すると間もなく、愛車は調子を取り戻した。この手軽さはエンジンを持つ乗り物にはない魅力である。まったく優れた点だ。

 さて、これが牛なり馬だったなら、どうなるだろうか。

 自転車のチェーンは、言わば足と一体になりエンジンの役割を担うもので、それが壊れるということは牛や馬であれば歩けなくなってしまう。

 ここは田園と家々の背後に、濃い緑の山野が迫る場所。伊達政宗が生きた時代には、まだ山深い地域だったことは想像に難くない。そんな場所で、馬が動けなくなったらどうすればいいか。無論、前進はしなければならない。ならばあの伊達政宗が、万が一の事故に備えないはずがない。予備の馬を連れた従者がいたかもしれないし、道すがら農家から買い付けることも計画の内だったかもしれない。

 いずれにしても今となっては知る由もないが、想像の飛躍はどこまでも広げることができる。例えば、もしも盛岡南部藩に仙台伊達藩に通じた裏切者が紛れていたら。あるいは逆だったなら。

 そんな『もしもの世界』で人々が動き出そうとした、その時だった。激しいクラクションが、背後から響いた。どうやら空想に夢中になるあまり、ひどい運転をしていたらしい。平謝りに頭を下げながら、追い越しやすいよう自転車を左に寄せる。苛立ちを隠さずに走り去って行く、ぴかぴかの車。

 排気ガスと一緒に夢想も散ってしまった。

 

 * * *

 

 大学二年の冬、テレビを見ながら咲が言った。

 「茜美ちゃんは、小説家になるといいと思う」

 さて、一体どういうことかと思えば、流れていたニュースに関する茜美のコメントが面白かったからだと答える。

 「だって今の、雪山で遭難していたおじさんが発見されたってニュースだよ? どうしてそこから別れた奥さんの娘の彼氏と、飼い犬が出てくる話になるの」

 喉を鳴らして笑う咲。勿論、発見された遭難者に別れた奥さんや娘、飼い犬がいるのかなんて分からない。全ては、雪山に一人臨んだ老人をきっかけに生まれた妄想の産物だ。

 取り留めもない空想は、ふとした瞬間に生まれる。水面に投げ込まれた石が波紋を作るように、耳にした事柄、目にした物事からあらゆる方向へ広がっていく。時には突飛で、根本から関係のない方へ枝葉を伸ばしていく物語。それらの多くは、茜美の心の中で完結していた。

 その日は気が緩んでいたのだろう。一緒にテレビを見ながら閑暇を潰していた咲を前に、物語は独り言の姿で表れた。

 「めちゃくちゃだけど、面白かったよ。茜美ちゃんのお話。それ、ちゃんと書いてみればいいのに」

 頬が熱くなるのが分かる。高揚している。だって、面白いなんて言われたのは初めてだ。

 幼い頃は空想に夢中になることが多く、親からしょっちゅう注意を受けていた。いつしか、想像は人前でするものではないのだと覚え、やがて、体を動かしていれば空想にふけるほどの余裕はないことに気付いた。運動部に身を置くようにしたのは、それからだ。実際に想像に浸る時間は減っていき、茜美の両親を安心させた。

 だから、これでいいのだ。自分に言い聞かせながら、小学校のクラブに始まり、高校の部活に至るまで運動部所属を貫いてきた。良い選手になれたかと言えば肯定し難いが、少なくとも、自転車通学で体力をつけようと考えるほどには習慣になっていた。

 もうずっと忘れていたはずだった。忘れようとしていたはずだった。それなのに、大学で帰宅部になってみれば、まるで春待つ種子のように空想の世界は再び花開いた。いとも簡単に、まるでこれこそが茜美の持つ本質なのだと示すように。

 そして、咲は水を与えてしまった。その清水を、「面白い」という称賛を、種は貪欲に吸収し、育ち、茜美の胸を満たしてしまった。途方もない喜び。けれど、同時に苦しい。これは、いけない、調子にのるな。自らに言い聞かせても、小説なんて無理だと首を振るだけで精いっぱいだ。顔はまだ熱い。

 「無理じゃないよ」

 咲は、やはり笑顔で言う。もう喉は鳴っていない。

 「私が面白いって思ったように、茜美ちゃんのお話を聞けてよかったって思う人、きっといるんじゃないかな」

 もう褒めたって、新しい話は出て来ないよ。今度はごまかしてみる。だが、心臓はまだ早かった。もし、咲の言う通りだったら、生まれた物語が誰かの心に届くならば、それはどんなに幸いなことか。

 高鳴る鼓動をかき消すように、スマートフォンの通知音が響いた。就活案内の通知を確認すると、心臓は大人しくなり、意識は急速に現実へ引き戻される。

 そうだ、小説家の肩書を得ることは容易ではない。一体世の中のどれだけの人が、その地位を求め、一途に努力をしていることか。友人に褒められて浮ついている自分の、この矮小さよ。今度こそ熱はどこかにいってしまった。これでいつもの茜美だ。

 でも、咲と二人きりのときだけは、空想の世界にも出番があるかもしれない。彼女には密やかな夢想をさらけ出しても笑われないと分かったのだから。

 

 背中の物入れでスマートフォンが鳴る。聞きなれた初期設定の音は、まず間違いなくエントリーシートの選考結果を伝えるものだ。ええい、忌々しい。音を置き去りにしようと疲れた足に力をこめるが、設定された時間までなり続けた。

 もう何度聞いた旋律か。合否に関わらず、もううんざりしていた。咲の言い方を借りれば「エントリーシートを沢山出せば偉いのか!?」というものである。

 就職課はとにかく数だとばかり、落ち込む間もなく説明会の案内をひっきりなしに発信してくる。合格、不合格、不合格、合格、不合格。並ぶ文字の向こうにあるはずの未来は、像を結ばない。自分は何がしたいのか、何者になりたいのか。答えを求めるたびに思い出すのは、咲の言葉だった。

 「茜美ちゃんは、小説家になるといいと思う」

 なりたくてなれたらどんなにいいだろう。疲れた頭で考える。咲だけではなく、沢山の人に面白いと言ってもらえたら、大勢の人を楽しませることができたら、茜美は自らの生を初めて知ることができるのではないか。

 楽しいことばかりの道程にはならなくとも、自分で選んで得た苦しみには、大きな意味があるように思えた。ショッピングのためにアルバイトに打ち込んでいた咲も、きっとそうだったのだろう。

 もっとも、そんな咲でも就職活動にはげんなりしているようで、二人の間でその話題が上がることは少なかった。決して楽しい報告だけではなかったから。茜美もまた、就職先がきちんと決まってから咲に報告しようと、あまり自身の状況を口にしないでいた。私も東京で働くのだと、教えてやったら咲はどんな顔をするかしら。悪戯な想像を慰めに、日々の憂さを晴らしていたのだ。

 だから、咲の知らせは突然の出来事になった。就職先は盛岡にする。そう聞かされたのは、夏季休暇の直前、前期試験を終えた日だったのだ。

 何かの冗談かと思った。だって、東京は面白そうだと言っていたではないか。

 「前から言われてはいたの。高校大学と親元離れたんだから、就職は盛岡にしたらどうかって」

 何も言えなくても、咲は全てを理解したように茜美に答えをくれた。一人前になった姿を側で見ていたいという親心は分かる。でも今更ではないのか。高校も大学も、咲の青春は盛岡になかった。それなのに、今になってどうして。

 「大丈夫。私、盛岡に戻るのが嫌ってわけじゃないんだよ。買い物はさ、ネットとか通販もあるし」

 そう、咲の欲望に場所は関係ない。けれど、帰郷は興味や欲求よりも優先しなければならないなのか。あの町は咲に似合うのに。

 「茜美ちゃんとも、連絡取れなくなるわけじゃないしね」

 スマートフォンを振って見せる。現代のコミュニケーションは場所を問わない。そんなことは茜美だって分かっている。だが、しかし、それは隣で笑っているということではない。ぼんやりとした時間を許す日々が続くということではない。

 大丈夫だと笑う咲だって、理解しているだろう。

 そうでなければ、茜美にこんな自転車の旅を提案するとは思えない。そうでなければ、茜美だって応じることはなかった。

 この旅は、この六年の友情と日常に変化を告げるものだ。曖昧な日々は終着点に至り、後にどんな毎日が続くのかまだ分からない。正体を確かめるために、一漕ぎ一漕ぎ汗を流す。内心の不安が息をつまらせても前進する。

 この先に友人が待っているから。きっと今なら言えることが沢山あるから。

 プリンのことは怒ってないよ。私の話を面白いと言ってくれてありがとう。いつか、私が無謀な挑戦を始めても笑わないでね。あなたが何かを諦めようとしているならば、私がその背中を引き留めるよ。

 ああ、それにしてもこの旅路のなんと辛いこと。それでも、あなたと同じように私も足を止めない。境目であなたに会うために。

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