第4話(R18) その目が好きだ
これは木下が新人のデザイナーだった頃の話だ。
当時、会社から歩いて通えるところにマンションを借りていた木下は、終電のことを気にせず、職場仲間と華の金曜日を楽しんでいた。
恋人はおらず、また作る気もなかった。デザイナーという仕事への勉強に集中していたし、飲み歩くことも減っていた。
時刻は、深夜1時を回っていた。
久しぶりに飲んだからか、さすがに酔いが回ってきており、少しフラフラとした足取りで裏通りから曲がって路地に入ってゆく。
木下は、顔は赤いが、意識はハッキリとしていた。飲むと、すぐに顔に出るタイプなのだ。身体だけが、少しばかり意識の感覚に追いついていない。
「――ん?」
自分のマンション近くまで来ると、木下は人の姿を見つけて、声を漏らした。
小さな公園だった。
遊具は、ブランコと滑り台と砂場程度しかなく、古びた看板にはスケートボード禁止の文字がある。
すっかりと錆びたブランコに、1人の青年の姿があり、彼はそこでじっと動じずに俯いていた。ラフな私服の姿であるから、このあたりに住んでいるのかもしれない。
身長の高そうな青年だった。歳は、暗くてよく見えないが、同年くらいの気がした。
酔い覚ましか、あるいは考え事でもしているのだろうか。
その様子を知り目に、木下は公園を横切ろうとしたが、ふと、足を止めた。
青年の顔は見えないが、きらりと光るものが、地面の砂に落ちてゆくのが見えた。
どうやら、彼は泣いているらしかった。
このような時間に、それも外で――ただことではない、と木下は思った。
少し考え、木下は公園に入ってゆく。
迷惑事はゴメンだし、普段なら気にもとめないが、なぜか、その光景には惹かれるものがあった。
ざっ、ざっ――
木下は、青年の正面まで歩いてゆき、タバコを取り出して、ブランコを囲む鉄のちょっとした棒組を椅子替わりに腰を下ろした。
タバコを口にくわえて、火をつけた。煙を吸い込み、組んだ足を支点に肘をついて、その手をあごにあてた。
青白い月明かりに、木下の吐き出した煙がふわりと広がってゆく。
その様子を見て、青年はゆっくりと顔をあげた。腕で涙をこする。
「――何の用だ?」
青年が、なんとも言えないような声音で、木下に声を投げた。
「うーん」
木下がうなる。そうしながらもう一口、タバコを吸って吐き出す。
「――なんだろう。泣いていたみたいだし、歳も同じくらいに見えたから、気になってしまった、かなぁ」
木下は答える。それを聞き、青年は顔を歪めた。
「すまないが、あんたには関係のない話だ。心配してくれて悪いが、放っておいてくれ」
「そうかなぁ、なんだか僕には、話を聞いてほしそうに見えるけど」
言って、木下は立ち上がり、青年の目の前に立つと、中腰になり、目線を合わせた。
「僕は木下、このあたりに住んでるんだ」
青年を見て、木下は微笑んで言った。
「、、、」
その様子を見て、少しした後、
「オレは、西森だ」
青年――西森は答えた。
少し、木下に困惑しているような顔つきだった。
「西森さんだね」
木下は言った。
近くで見ると、この西森は、ほんの少しだけ歳上にも思えた。スポーツマンのような印象のある男性らしい顔つきだった。
表情にどこか、かげりがある。
それに、目がよどんでいる。
木下は、この西森という青年に、親近感を覚えていた。
何か、抱えている。
それがわかったからだ。
「タバコ、吸います?」
木下は微笑んで言い、自分の吸っていたタバコを反対にして、西森の口元に差し出した。
西森は、その光景に何を思ったのか、少ししてから、その差し出されたタバコを咥えた。
西森は、タバコを深深と吸い込んで、空を見上げて、煙を吐いた。
都会の夜空に、少しだけ、星が見えた。
「木下とか言ったな、、、あんた、変わってるな」
西森が、木下を眺めてつぶやく。
木下はパーマをかけたミディアムのヘアスタイルをしており、ワイシャツ姿だった。ダサくはないが、その姿は木下には相応しくない服装に見え、少し浮いていた。
「ハハ――よく、言われるんだ」
木下は笑って言い、新しくタバコを取り出して口に咥える。
「良ければ、これからうちで飲まない? 僕でよければ、話し相手になりますけど」
――その後。
西森は、木下の提案を了承し、木下のマンションに来ていた。
部屋には、無駄なものがなく、広めのワンルームには、ローテーブルとベッド、他には作業机にしているデスクがあった。そのデスクの上にはノートパソコンと、デザイン関連の参考書が積まれている。
「あんた、デザイナーをしているのか」
「――まぁね、と言ってもまだ新人だけど」
木下は、冷蔵庫から缶チューハイを取り出すと、ローテーブルを挟んで座る西森に、それを手渡した。
「じゃあ、乾杯しましょうか」
木下が言うと、二人は缶をコンと突き合わせた。
それから、二人はどちらからともなく身の上話を始めた。すると、なかなか経歴が似ていた。お互いに、職を転々としながら、ようやく熱中できそうな職業にありついたばかりという共通点があったのだ。
西森は、エンジニアをしているとの事だった。技術というよりは、管理の方が向いているらしく、意見をまとめたり、顧客と折衝するのがメインになりつつあるようである。
歳はやはり、少し上だった。
木下は西森に、泣いていた理由を尋ねなかった。話をしながら、彼が自分から話すのを待つことにした。
やがて、西森がそれを話し始めると、木下は胸が掴まれた思いがした。
この西森という男、すでに結婚経験があり、そして半年以前に妻と死別しているという。
そのエピソードを聞いた瞬間に、木下は、西森に強く惹かれた理由がわかった。
ああ、この男――僕と、同じだ。
キズモノだ。心に、癒し方のわからない傷を負っている。
木下は、周囲の人間には、この西森のような人物はいなかった。自分に匹敵する痛みを抱えたと思える人物に、木下は初めて会った。
西森は話に長け、気を許したのか、時々、笑みを浮かべるが、よく見ると、その瞳の奥底に輝きがないのだ。
死んだ魚のような目だ。絶望を見てきた目だ。
木下は、そこに興奮を覚えていた。
「――西森さん」
木下は、西森の隣まで移動し、身を乗り出すと、西森の頬に手を当てた。
「西森さんの、その目、、、たまらなく好きです」
「――」
直後に、西森は声を失った。というよりは、木下にはとつぜん唇を塞がれて声が発せないのだ。
片手で、木下を突き飛ばす。
「木下――あんた、なにを」
西森は、困惑気味にそう声を発した。
「なにって、キスですよ」
悪びれずに、木下が言う。
「実は僕、男性もいけるんだよね」
「――あんたが良くても、オレはだな」
「まあまあ」
言って、木下が再び西森に身を乗り出す。
至近距離で、西森を見つめる。
「僕、そのへんの醜い女性よりは綺麗でしょ。どうかなぁ、、、騙されたと思って、相手してみませんか」
言いながら、木下は、西森を、指先で、顎から首、胸と下へ向かってなぞってゆく。
西森は、ゾクゾクしたものを感じたに違いなかった。木下のその官能的な所作が、男のものとは思えなかったからだ。
二人とも、酒を飲んでいた。言い訳はいくらでもあった。
西森は拒否もせず、無言のまま、木下を見つめていた。
「シャワー、浴びてきますね――」
――それから1時間後
灯りを全て消した部屋で、ギシ、ギシ、とベッドが唸っている。
「はぁ、はぁ――」
西森の上に、木下がまたがるかたちで、行為が行われていた。
西森の腹部に手を置き、主に木下が体を動かしている。
木下は、少しだけ通常の男性とは異なる肉体をしていた。胸が発達しており、Aカップ程度の乳房ある。女性化乳房というものだった。
自然のものではない。
エストロゲンという女性ホルモン剤の影響だった。
木下は、それを精神安定剤の代わりに服用していた。女性になりたいわけではなかったが、自身の男性化が進むことが受け入れられなかったのだ。
木下の白い肌が、暗がりに浮かび上がっている。遠目に見ると、それは妖のようですらあった。
「どうですか、男とのセックスは」
動きながら、少し汗をかいた木下が、西森を見下ろして尋ねる。
「――あんたは、男なのか?」
西森が聞き返す。
「さあね、僕にすらどうしたいかわからないんだ」
木下が答えた。
それは木下の本音だった。自分のセクシャルマイノリティというものが、木下にはわからなかった。人にどう見られたいのか、人をどう見たいのか、それがわからなかった。
だが、好みになるタイプはハッキリしていた。
深く傷ついている人物――木下は、男女年齢関係なく、それが感じられる人間に親近感を覚え、触れたいという気持ちになるのだった。
いわば、それは慰め合いだった。
それが木下の恋という概念だった。
「はぁ――あ、あ、、、」
動きが激しくなり、木下が少し声をあげると、身体を震わせる。西森も顔を歪ませた。お互いに果てたが、木下の方は異なる果て方をしていた。薬剤摂取の副作用により性的機能が低下しており、木下は勃起不全に陥っているのだ。
「西森さん」
体力を失い、西森の胸元に体を預けると、木下は言った。
「付き合いませんか、僕たち」
「――本気かよ」
少し汗ばんだ顔で、天井を見つめたまま、西森がつぶやく。
「――うーん、本気ではないかなぁ」
「はぁ?」
「ハハハ――」
木下は笑った。
「でも、この気持ちは本当なんだ。別に、きちんとした恋人になりたいわけじゃない。ただ、こうしてセックスまでしたわけだから、一応ね」
「――なんだ、そりゃ」
木下の言葉を聞き、西森は苦笑した。
「木下――あんた、よくわかんないやつだな」
「、、、」
西森は言い、胸元の木下の頭をなでる。
その優しい撫で心地を、木下は目を閉じて感じている。
「だが、好きか嫌いかで言ったら好きだよ。オレも木下とは、きちんと付き合える気がしない。なんというか、オレには、あんたの傷を埋められる気がしない。話していて、それがすごくわかった」
「――やっぱ、誘ってみて良かったな」
木下は目を閉じたまま、ポツリと言った。
目の縁から、一筋の涙がこぼれ、木下の頬を伝ってゆき、それが西森の胸に流れる。
「もちろん、それでいいですよ。それはむしろ、僕の望むスタイルだから」
言い、木下は起き上がると、ローテーブルの上に置いたタバコを手に取り、火をつけた。
ベットに腰かけ、西森の顔を眺めながら、煙を吸い、吐き出す。
「吸いますか?」
微笑んで、木下は言うと、西森の口元に吸い途中のタバコを持っていく。
西森はそれを吸い、天井に向かって吐く。
煙は少しのあいだ、宙を舞い、やがて匂いだけを残して見えなくなった。
ボクはモンスター 紫之崎 @konmana
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