第386話
~ハルが異世界召喚されてから2日目~
〈プライド平原〉
フルートベール王国右軍の将の1人エリンは、軍を引き連れて中央軍と合流した。中央軍には帝国の兵士も混ざっている。帝国中央軍は徐々に前進し、王国中央軍と1つの大きな軍となって共闘するとのことだった。
中央軍からそのような伝令が来た時は、中央軍の迷走を疑ったが、右軍が凶悪な魔物に襲われ、それを帝国の左軍が助けたことにより中央軍の案をエリンは飲んだ。
正直、あの強力な魔物を一撃で屠ることのできる者達と戦おうとしていたのかと思うと寒気がする。
帝国左軍の将である自分と同性の女、ベラドンナ・ベラトリクスを横目で見る。ベラドンナはその視線に気付いたのかニコリと悪寒のするような笑顔をエリンに返した。
エリンはぎこちなく口角を上げて応えると、王国中央軍の将の1人レオナルド・ブラッドベルのいる大きな天幕を目指した。
これからの作戦内容をベラドンナと一緒に聞くつもりであったが、その天幕を目指す途中でレオナルドと出会った。
「レオナルド様ぁ~」
ベラドンナと2人きりで歩くのに緊張していたエリンは、ようやく頼れる者と出会って安心した。しかしレオナルドは、エリンから声をかけられていることに気付いていない。
可愛い部下に気付きもしないレオナルド。彼が呆気にとられながら見ている方角にエリンはムスッとして目を向けた。
そこには羊のような魔物がいた。自分の身に突き刺さりそうに湾曲した黒い角を複雑に幾つも生やし、目が7つもついていた。
エリンは自分達の軍、右軍を襲った魔物と違う恐怖を感じとると、その羊の魔物が魔力を帯び始める。
無数の疾風でできた剣が矢のように空中をかける。その先には眼帯をした1人の男が細長い大剣を携えて立っていた。
エリンは羊の魔物に恐怖を覚え、身体が動かなかった。その男、おそらく帝国の者だろう、彼はきっと魔物が出現させた風の剣達の餌食となってしまう。
そう思いエリンは目を逸らしたが、剣と剣がぶつかり合うような激しい音が絶え間なく聞こえてくる。そして「おおぉぉぉ!」という歓声が沸き起こり、エリンはそらした視線を戻した。
遠くから見れば長剣と思えるほど細長い大剣を乱れるように、しかしとても正確に操り、風の剣を弾く男の姿が目に写った。
男は遊んでいるかのように、止むことのない風の剣を弾きながらゆっくりと羊の魔物に近付いていき、羊の首を斬り落とした。
そして男の巨大な身体から想像もできない程の速度で、次々と現れる羊の魔物を斬り伏せて行く光景をエリンは目撃した。
「すご……」
帝国の者だけでなく王国の者までもが、眼帯の男に歓声を上げた。一度武を志そうとした者ならば、彼の計り知れない強さに憧れるのも無理はない。
その歓声の中で男の名前が叫ばれる。エリンは彼こそが帝国軍の総大将にして名だたる帝国四騎士の1人シドー・ワーグナーであるとわかった。エリンは自分達、フルートベール王国が如何に無謀な戦いを仕掛けていたのかを理解する。
だが、歓声の上がるなかシドー・ワーグナーは思う。
──このままでは不味いな……
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~ハルが異世界召喚されてから2日目~
〈帝都〉
「こりゃマズイね……」
帝国四騎士クリストファー・ミュラーは帝都を囲む壁に群がる魔物とそれに跨がる淫靡な女を倒しながらぼやく。
自分の隊を横目に魔物達の間を縫うように移動しながら攻撃していた。
初めは一撃で倒すことができた魔物だが次第に強さを増していく。それにこの魔物の大群はいつまでも増え続けた。まだ帝都内に魔物の侵入を許してはいないが、それも時間の問題なのかもしれない。
──1度主力は体力の温存と共に撤退すべきだな……
クリストファーは魔物の群れから離れると顔を上げ、自分の部下であるギュンターを探した。
ギュンターは魔物をハルバートで屠りながら主を見つけると駆け寄り、告げた。
「マキャベリー様より通達があります!主力は一旦退き、籠城戦へと移行。また帝都内にいる冒険者にも戦闘の要請を入れているとのことです」
クリストファーは恐れ入ったという表情で言った。
「流石……前線にいないのにこうも適格な指示ができるなんてなぁ……」
マキャベリーに対する評価が更に上昇する。
「しかし、籠城戦をこの帝都でやることになるとは思いませんでしたよ……」
「確かにそうだね。でもそう長くもたないと思うよ?」
「と言いますと……?」
「おそらくこの魔物達、壁を破壊できる程強くなるよ」
それを聞いたギュンターは驚愕する。
「そんな!?で、では何故他の四騎士達をこの場に寄越さないのですか!?」
「それはおそらくこの魔物のでどころに戦力を集中させているんだと思うよ?」
「でどころ……?」
ギュンターは魔物達がひしめく地平線の彼方へと視線を向けたが、クリストファーはその位置を正した。
「そっちじゃなくて、こっち」
帝都より西側を指差した。クリストファーは知っていた。帝国の最高戦力であるミラ・アルヴァレス率いる軍が西のフルートベール王国へと向かうのを。
「それが失敗すれば……」
「おわりだね♪」
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〈東京にある地下研究室〉
「父さん!父さん!!」
後悔の念に苛まれていた南野ケイに聞き覚えのある声が鼓膜を刺激する。
「ハル!?ハルなのか!?」
南野ケイは、天井の埋め込み型のスピーカーを見つめながら叫んだ。
「父さん!!どこにいるの!?父さん!!」
久しぶりの親子の会話は、一方通行であった。それもその筈、マイクを繋いでないからだ。そんなことにも気付けない南野ケイだったが、直ぐに近くにあったヘッドセットを頭に装着し、マイクを口元に寄せて話をした。
「ハル!!聞こえるか!?」
「…聞こえる!聞こえるよ!父さ──」
ハルからの応答を南野ケイは遮った。
「すまなかった!!父さん、お前に酷いことをしてしまった……」
父親からの謝罪を飲み込むような沈黙が暫し流れてから、スピーカーからハルの落ち着いた声が聞こえてきた。
「…聞いて、父さん。今すぐに僕とミラちゃんのスキルを解除してほしいんだ」
息子を模したAIは、父親の謝罪に対する返答はしなかった。その代わり自分についた人間らしからぬスキルを解除してほしいと要求してきた。
南野ケイは答えあぐねる。ハルの要求に100%応えることができないからだ。その間にマルセラ・アルヴァレスが親子の会話に割って入る。
「すまないが、君の要求に全て応えることはできない」
新たな声に反応するAIハル。
「だ、誰ですか!?」
「久しぶりだね。と言っても覚えていないかな?私はマルセラ・アルヴァレス。ミラ・アルヴァレスの母親だ」
スピーカーの向こう側のハルが息を飲んだのがわかった。
「…ど、どうして僕の要求に応えることができないんですか!?」
「まず、君のスキルを解くことは可能だ。君の父南野ケイの持つ光彩、掌紋、眼球血管、静脈等の生体認証を照合するれば君のスキルを書き換えることができる。しかしミラのスキルはまた別でね。それには私の生体認証が必要になる」
「え?なら貴方が同じようにそれらのセキュリティを解いて──」
「私にその気がないからだよ。その必要がないと言った方がいいかもしれない」
「は?」
「君の要求は自分達を取り巻く奇怪なスキルを解除して、そっちの世界で人間と同じように暮らすことだろう?」
スピーカーから声がでない。その沈黙を肯定と捉えて話を進めるマルセラ・アルヴァレス。
「そっちの世界は間もなく消滅する。だからスキルを解除しても意味がないのだ」
「なっ!?どうしてそんなことを!!」
「もう必要がなくなったからだ。だが、君にはチャンスを与えよう」
「チャンス……?」
「君はこちら側にやって来た。これは想定外のことだ。無論、君1人の力ではないのかもしれないが、それでも評価せざるを得ない。だから君だけは助けよう。君のスキルを解除し、元の世界、日本に帰る権利を与える。日本といっても、我々が作ったもう1つの世界の日本だがね。そこが君の故郷だということはもう知っているね?」
スピーカーの向こう側にいるハルは、突然の提案によって黙ったままだ。
「この提案なら君の父、南野ケイも納得するだろう」
マルセラ・アルヴァレスが視線を南野ケイに合わせてきた。南野ケイは黙ったまま頷いた。そして、パソコンのキーボードを叩いて生体認証の準備を整える。
その間に、考えがまとまったのかハルが声を発した。
「じゃあ貴方の娘のミラさんも、元の世界に──」
「その選択は薦めない」
「どうして!?」
「ミラは5歳からそっちの世界に転送されている。約12年そちらの世界で生きていた。地球で暮らしていたことなんて覚えていない。ミラは地球で暮らすことを望んでいないと君も思わないか?」
南野ケイはマルセラ・アルヴァレスの誘導的な会話に恐怖する。ハルのいた世界を管理していたディータの嘘の報告が発覚したことにより、今までの実験データは無に帰するだけでなく、また1から始めるにも新しいディータのようなAIを生成したり世界の再構築が必要となる。その為に、今の世界を消滅させるのは必然であった。だがマルセラ・アルヴァレスの思惑はそれだけではない。自分を謀ったAI達に復讐をしようとする意思がそこにはある。それを悟られないよう、ハルと会話をしている。
南野ケイはハルさえ無事でいてくれれば良いと思いながら、光彩、掌紋、眼球血管、静脈認証を照合し始めた。
「だったらあの世界を消滅なんてさせずにそのまま放置してください!僕らはそこで暮らしますから」
「それもできない。我々は直ぐにでも別の世界を構築して実験を続けなければならない。君の言うようにあっちの世界を保存しておきながら、実験を続けられれば良いのだが、そんな無駄なことにスペックを割くことはできないのだよ」
南野ケイはマルセラ・アルヴァレスの言葉にピクリと反応を示す。それは息子も同じであった。
「…無駄なこと?僕達は貴方達と同じように何の疑いもなく生きているんだぞ!?」
「そう思うようにプログラムされているからな。だが君が実態を持たないAIであるのは事実だ」
「貴方の娘だって、ミラちゃんだって生きているんだ!!それなのに……」
「私の娘ではなく、私の娘のAIだ」
暫しの静寂。スピーカーの向こう側でハルが絶句しているのが想像できる。南野ケイもその答えを聞くたびに胸が痛む。苦い表情を浮かべながら正面にあるモニターを見た。ハルのスキルに関するコードが羅列されている画面が写し出されている。
そのコードの一番下、ハルの特殊なスキル『Kプラン』にカーソルを合わせた瞬間、背後から羽交い締めにされた。
「なっ!?何をする!?」
咄嗟に出た声は、ハルには届いていない。いつの間にか通話を切られていた。南野ケイは自分を取り押さえる者をもがきながら何とか確認する。自分の部下である白シャツの男であった。周りの研究者達は何が起こっているのかわからず動揺している。
それを横目で確認したマルセラ・アルヴァレスは、南野ケイが座っていた場所を代わりに陣取り、キーボードを弾く。南野ケイは画面に写し出されたハルのスキルコード画面に新たな条件が追加されていることに驚愕し、声を上げた。
「やめろ!!何を考えているんだ!!」
南野ケイは更に激しくもがくも、口を押さえられた。そしてマルセラ・アルヴァレスは新たなスキル条件を書き込まれたモニターを見ながらハルに問うた。
「さぁ答えを聞こう。君は元いた世界、日本に戻るのか?」
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