第385話

~ハルが異世界召喚されてから2日目~


〈聖王国〉


 外は深夜にも拘わらず騒がしい、見たこともない十の角を持つ赤い獣に黄金や宝石で身を飾った肌の青黒い女が、ここ聖王国の聖都を闊歩している。それも1体だけの話ではない。噂では何十体とも何百体とも確認されている。どこから現れたのかわからないが、聖都を破壊しながら練り歩いているようだ。大魔導時代にいた魔族が何千年もの眠りから覚めたかのようだ。


 人々は逃げ惑い、教皇達は機能していない。一体何のために徳を積み、神の教えを説いていたのかわからない。


 聖都は火の都となり、人々の叫び声が聞こえる。聞こえないときは建築物が焼けている音が代わりに鳴り響いた。


 しかし、ここは静かだ。


 聖都には東西南北それぞれに教会が設置されている。人々は最寄りの教会に通っては祈りを捧げていた。


 ここは南の教会。この教会のシスターはひざまずきながら月のシンボルを見上げ、祈りを捧げている。


 隣国である帝国はかつて、人々の避難する教会をわざと狙って多大な犠牲を出していた。それには帝国の権威を示す他、神の存在を人々の心から薄れさせるためだ。その歴史は世界中の人々に影響を与えた。現に聖都の人々は教会へ逃げることはせずに、聖都から離れるか、もしくは敬虔な信徒達ならば方々に散らばった小さな教会ではなく、教皇や枢機卿達の集う聖都中央にあるシスティーナ宮殿の前のサンピエルト広場に避難している。そこで人々は教皇や枢機卿達、いや何よりも神の力を信じて祈りを捧げている。


 しかしこのシスターは幼少期から南の教会に通い、シスターになってからも毎日祈りを捧げている為、サンピエルト広場には行かなかった。


 目を閉じ、罪深く愚かな人族を守ってくださるように祈ると、教会の入り口が破壊される音が聞こえた。


 獣の足音、その獣に乗った女の気味の悪い笑い声が教会内に静かに響く。


 ──心を乱すべきではない。


 シスターは祈りをやめなかった。神がきっと助けてくれる。


 近付く足音、獣の息づかいも聞こえてきた。そして硫黄の臭いが立ち込めると、背中がチリチリと熱くなる。


 それを誤魔化す為か、シスターは心の中で祈るのを止めて、口から祈りを発する。


 そして次の瞬間、背後から獣の痛みに喘ぐ声が轟いた。


 自分の祈りが届いた。シスターは後ろを振り返り、獣の魔物に下された神の裁きに目を向けた。


 そこにはオレンジ色の髪を生やした若き枢機卿チェルザーレ・ゴルジアの姿があった。


 シスターはチェルザーレこそが神なのではないかと思う程に恍惚な表情を浮かべて感謝の意と畏敬の念を込めてチェルザーレに向かって祈りを捧げる。


 しかしチェルザーレは言った。


「祈る暇があったらここから離れろ」 


 シスターは困惑の表情を浮かべる。その間にチェルザーレは後ろを振り返った。


「シーモア、この女を運べ」


 背後から現れたのは大きな身体つきの青年だった。その青年はヒョイとシスターを担ぎあげる。困惑するシスターにチェルザーレは言った。


「安全なところに連れていく。いや、この世界にもう安全なところなどないのかもしれない。行くぞ。シーモア、メル」


 シーモアに運ばれながらシスターは、もう一人、幼い少年がいたことに気が付いた。彼の持っているナイフには獣の血が大量についている。


「貴方もチェルザーレ枢機卿猊下の護衛なの?」


「……」


 少年は何も言葉を返さなかった。


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~ハルが異世界召喚されてから2日目~


〈フルートベール王国・王都〉


 武器を取りに帰り、戦士長とすれ違ってから数時間が経過していた。夜もまだ深い闇を保っている。


 既に何体の騎士を倒しただろうか。それでも続々と出現する騎士達。剣聖オデッサは肩で息をし始め額の汗を拭うと、背後から剣が振り下ろされる。オデッサは前屈みとなりそれを躱し、振り向き様に剣を振り払った。騎士の着込んでいる鎧を凹ませ、その衝撃で白馬から落馬した騎士に剣を突き立てて止めを刺した。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 自分の攻撃威力が下がってきている。本来なら一撃で騎士の首を鎧ごと立ち斬ることができた筈だ。オデッサは周囲を見回し、戦況を確認する。


 その間にまた、騎士がオデッサを襲う。今度はオデッサの一撃を剣で受け止められた。


「ちっ!!」 


 間合いを取り直すオデッサは、剣技を放つ。


「双破斬!!」


 2つの斬撃が騎士を細切れにした。今の戦闘でわかったが、オデッサの攻撃威力が弱まっただけでなく、騎士達の強さも格段に上がっている。


「これはまずいな……」


 オデッサのこの発言と共に、自分の引き連れた精鋭達が次々と騎士達の餌食となっている光景を目撃した。


「一度退いて、体勢を立て直すぞ!!」


 オデッサによる退却の命令に老兵ロイドは従う。


「退け!退け!!」


 ロイドはオデッサの命令に呼応して、後ろにいる部下達に指示を出す。


 オデッサは前を見据えながらゆっくりと後退し、自軍のしんがりとなって、敵である騎士の行く手を阻んだ。


 しかしその時、1人の小さな女の子が自分よりも少しだけ大きな、綿のつめられたぬいぐるみを片手に持って、地面を引きずりながら騎士達の方向へ歩いているのをオデッサは視界の端に捉えた。


「くそ!」


 オデッサは居合いの構えとなって、自分の持てる最速の速さで抜刀する。光り輝く斬撃が女の子を今にも襲おうとしている騎士に向かって飛翔した。


 しかし続々と出現する騎士の群れが斬撃の射程に入り込み、別の騎士を斬り裂いてしまう。女の子へ襲い掛かろうとする騎士は未だ健在だ。


「ちっ!!」


 オデッサは一歩踏み込んで、女の子の元へ走った。ロイドは危険を犯すオデッサを止めようと叫ぶ。


「オデッサ様!!」


 ロイドの制止を振り切り、女の子を救出しに走った。その道中、オデッサに襲い掛かる騎士達を1体、また1体と斬り伏せた。


 ──くっ、間に合わない……


 女の子の小さな胸目掛けて騎士は剣を突き立て、振りかぶった。


「やめろ!!」


 オデッサは叫んだ。するとオデッサは背後から物凄い風圧を感じたかと思えば、女の子を狙っていたその騎士は跡形もなく消え去った。


 オデッサは束の間、自分の見た光景を信じられないでいた。


 燃えるような赤い髪の女が一瞬にして女の子と騎士の間に立ち、か細い手で握る、これまたか細い刀身の武器を物凄い勢いで騎士目掛けて刺突したのだ。


 その刺突の勢いはとどまることを知らず、騎士の背後にいた他の騎士の群れをも消し去る程の威力であった。


 呆気にとられるオデッサに騎士達は攻撃の手を緩めない。


「オデッサ様!!」


 再びロイドの叫び声が響くと、オデッサは我に返って、向かってくる騎士達の相手をしようと剣を構えたがしかし、騎士達の群れは上半身と下半身に斬り離されその場に落ちる。


 オデッサは自分の隣にいる白髪をツインテールにした少女を見て驚いた。少女はその身に似合わない大きな鎌を担いで口を開く。


「カカカカカ、妾達が来たからもう大丈夫じゃ」


「お、お前は……」


 オデッサの脳裏に過るのは2年前、自分が剣を置く原因となった帝国の者達。何が起きているのかわからないオデッサに、赤い髪の女は今しがた命を救った女の子を抱きながら言った。


「フルートベール王国は先程、帝国と軍事同盟を結んだ。我々は王国戦士長イズナ・アーキ殿に連れられて、ここへとやって来た」


「軍事…同盟……」


「そういうことじゃ!!」


 白髪をツインテールにした少女は腕を組んで身体を反らしながら言うが、急に寒気を感じ始める。


「な、なんじゃこの気配は……」


「あぁ、嫌な気配がしているな……」


 帝国からやって来た2人は、騎士達の群れによって覆われた上空を見やる。騎士達は焼かれ、凍り付き、斬り刻まれる。その都度、新たな騎士がやって来ては、穴を埋めるように中心で行われている戦闘を囲った。


「あそこは一体……」


 赤い髪の女にオデッサは言った。


「お主達が強いのは十分理解している。しかし、あそこで戦っているのは人ならざる者達だ」


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~ハルが異世界召喚されてから2日目~


〈ダーマ王国〉


 ダーマ王国王立魔法高等学校1年生のコゼットは起きるのが苦手な朝方にも拘わらず、眠気が吹き飛んでいた。たくさんの荷物の間にコゼット達、魔法学校の女子生徒達は身を寄せ合うように荷馬車に揺られている。向かうはヴァレリー法国だ。


 深夜、ダーマ王国を魔物の群れが襲ってきた。見たこともない魔物がダーマ王国の王都を闊歩し、破壊していた。


 その破壊音で目覚めた魔法学校の寮に住まう生徒達は、教師の指示に従い王都をあとにした。その途中、魔物の犠牲となった生徒もいれば、勇敢に習ったばかりの魔法を唱えて立ち向かう者もいた。コゼットの兄マリウスはその内の1人だ。今頃王都の兵達と一緒に戦っているのだろう。


 兄のことを想いながら、コゼット達下級生が王都をなんとか出ると、ダーマ王国宰相のトリスタンとダーマ王国の王族達、宮廷魔道師のアナスタシアと出会った。


 トリスタンらは馬にまたがり、東のヴァレリー法国へと向かおうとしている。援軍と王族達の保護を申し出るつもりのようだ。


 コゼット達、魔法学校の生徒らは王都を出て親御さんのいる街へと避難するのが目的だったが、トリスタンにそれは薦められないと告げられた。どこが安全な場所なのかわからないからだ。だとしたら、自分達の後に続いてヴァレリー法国へと向かえば、ヴァレリーの援軍に保護してもらえるかもしれないと提案される。


 魔法学校の教師達はトリスタンの案を採用するが、生徒達には選択肢を与えた。両親のことが心配ならばこのまま自分達と別れることを良しとしてくれたのだ。


 コゼットは迷った。数人の生徒が迷わず両親のいる街へと向かって行くのを見てコゼットは自分の優柔不断さに苛立つ。


「事態は一刻を争う!すまないが我々はもう行くぞ」


 トリスタンはそう言って、王族達を引き連れヴァレリー法国へと向かった。


 ──早くどうするか決めないと……


 コゼットが迷う中、今度は新たな人物が魔法学校の生徒達の前に現れる。


 ダーマ王国きっての豪商であるサムエルが馬にまたがり、幾つかの荷馬車を引き連れてやって来た。


「今、ここにいたのは宰相のトリスタン様ですか?」


 魔法学校の教師にサムエルは訊いた。教師は頷くとヴァレリー法国へ向かったと、その経緯等を説明する。サムエルはなるほどと呟き、少し思案してから言った。


「我々もヴァレリーへと向かうことにする。荷馬車に何人か乗れる筈だ」


 サムエルの提案によって魔法学校の下級生、それも女子生徒だけが荷馬車に乗り込みヴァレリー法国へ避難することとなった。


 コゼットは流れに身を任せる他なかった。自分1人で両親のいる街に辿り着けるかわからない。気が付けば荷馬車に足をかけ、大量の荷物と他の女子生徒達と身を寄せ合いながら恐怖を打ち消し合っていた。


 ときより大きく荷馬車が揺れることがある。それだけ急いでヴァレリー法国へと向かっているのもあるが、外でサムエルの護衛達の雄叫びと、士気を鼓舞する掛け声が聞こえてくる。それだけならまだ良いのだが、護衛達が乗る馬の断末魔や護衛達の苦痛に喘ぐ叫び声が聞こえると隣にいる言葉すら交わしたことのない女子生徒の腕をコゼットはきつく抱き締めてしまう。


 外もこのような状況なら、今しがた別れた男子生徒達、両親の街へと行った生徒達の身も無事ではすまない。


 そんな時、直ぐ傍を並走していた荷馬車が爆発を引き起こした。


 そのせいで、コゼットのいる荷馬車内は鼓膜を刺すような悲鳴と共に大混乱に陥った。外の状況は?何に襲われているの?次は自分達の荷馬車の番?


 するとコゼット達の乗る荷馬車は急停車した。慣性の法則によって大きく前方へつんのめる生徒達。混乱した生徒達数人が外へと出ると、その行動が何故か正しいと思えた他の生徒達も続々と外へと出た。


 コゼットもその流れに乗って、外へ出た瞬間、自分のいた荷馬車が爆発する。後ろを振り返ると荷馬車だけでなく、先程まで固く抱き締めあっていた名も知らぬ女子生徒が消えてなくなっていた。


 夢でも見ているかのような心地になるコゼットは、途方に暮れる。


 跡形もなくなった荷馬車の前方から見たこともない魔物がいた。豹のような身体に、熊のような足。首は馬のように長く、その先にはヤシの実のように七つの顔がついており、それらの頭にはそれぞれ王冠がのっていた。


 コゼットはその魔物の持つ7つの顔の内、1つの顔と目があった。


「ヒッ!!」


 身体が動かない。呼吸すらできず、コゼットはその場に立ち尽くす。魔物の口が開くと口内が青白く光った。おそらく荷馬車が爆発した原因である攻撃がコゼットに向かって放たれるのだろう。


 口内の発光が激しく明滅すると、それは放たれた。自分の死を悟ったコゼットだが、サムエルの護衛であるラハブがコゼットを横から突き飛ばし、放たれた青白い火炎の射線から外す。


 受け身がとれず、大地と激突したコゼットだが、一命をとりとめた。しかし絶望的な状況は変わらない。先程の魔物が1体だけでなく他に3体もいるのだ。そして、今度はその4体の魔物の持つ7つの口、合計で28の口が青白く光輝く。


 コゼットを突き飛ばした護衛長であるラハブはあまりに絶望的な状況に下唇を噛んだ。


 コゼットは再度死を感じるがしかし、その魔物に勇気をだして魔法を唱えた。


「ウィンドカッター!!」


 先程死から逃れたコゼットは魔物に立ち向かう勇気を得たのだ。その行動に感化されたのか、他の魔法学校の生徒達も思い思いの魔法を魔物達にぶつける。


「ファイアーボール!!」

「ウォーター!!」

「ウィンドカッター!!」


 小さな魔法の群れを掻い潜りながらラハブ達護衛も攻撃を繰り出したが、魔物は口を不気味に青白く光らせ続ける。この場にいる誰もが諦めかけたその時、4体の内1体の魔物の脳天から一刀両断するような亀裂が走ると、魔物の身体が右半身と左半身へと別れ、大地にそれぞれ横たわる。どうやらその魔物は背後から攻撃されたらしい。左右へと別れた際、攻撃した者が現れた。白髪に褐色の肌。緋色の瞳を持つ少年だった。


 コゼットはその者に見とれていると、残る3体の魔物も倒れた。1体は矢で、もう1体は水属性魔法で、最後の1体は、


「邪魔だ、どけぇぇぇ!!!」


 火の雨が魔物に降り注ぎ、魔物の持つ長い首にこれまた火でできた槍が突き刺さる。魔物の倒れる音よりも、それを倒した少年の声がこの場に轟いた。


「アベルてめぇ!なんで抜け駆けすんだ!?」


 黒髪で目付きの悪い少年が、白髪の少年に詰めよった。すると、水色の長い髪の少女が姿を見せて言う。


「オーウェンが道間違えるからでしょ?」


 それに続いて大人しそうな女の子が現れて言った。


「オーウェン、方向音痴」


 それを受けてオーウェンと呼ばれた黒髪の少年は言った。


「うるせぇ!!」


 そんな少年少女のやりとりに大人であるサムエルが割って入った。


「き、君達は……」


「あん?なんだおっさん」


 オーウェンが鋭い目付きでサムエルを威嚇すると、水色の髪の少女がオーウェンの目を隠すように手で覆いながら言った。


「私達は、ダーマ王国宰相トリスタン様より要請された帝国の援軍です」


「て、帝国の!?」


 サムエルは驚きの表情を見せるが、思い直す。


「確かに宰相トリスタン様は帝国と繋がりがあると商人達の間で噂となっていたな…なるほど、ヴァレリーに向かっていたのは帝国の援軍が来ると知っていたのか……」


 サムエルは自分達を救った帝国の小さな援軍達と話をしている。コゼットはその間ずっと、白髪の少年を見つめていた。


「彼、アベルっていうのね……」

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