第383話

~ハルが異世界召喚されてから2日目~


〈半月後、戦地となるプライド平原〉


 深夜、フルートベール王国陣営の野営地では松明を掲げて星の散らばった夜空を見上げる者達が後を絶たない。


 巨大で不吉な七つの鉢が一つ一つ傾けられているからだ。


 レオナルド・ブラッドベルも同じく天を仰ぎ、これから何が起きるのかをただ見守っている。この謎の出来事がフルートベール王国にとっての吉兆であると何故だか思えなかった。いや、王国だの帝国だのと我々人間が考えた瑣末なくくりを超越した、この世界にとって不吉なことが起こる。誰もがそう思えた。その時最後の鉢が傾けられた。


 静けさが辺りを包む。暫し身構えていたフルートベール王国兵達はお互いを見合い、耳を澄ます。何も起きないことに誰か1人が安堵の息を漏らすと、辺りを包んだ緊張の糸が緩み、王国兵達は肩の力を抜いた。ただ1人、レオナルド・ブラッドベルを除いて。彼は1人だけ森に近い王国左軍の方に視線を向けている。周囲が安堵と共に吐いた息を再び止めるようにと手を制する。それに倣って王国軍の兵士達も緩めた緊張の糸を戻して左軍の様子を窺った。


 暗い野営地だがレオナルド達のいる中央軍は小高い丘に位置している為、左軍の位置を確認しやすかった。


 遠くに煌めく松明の揺らめきが次第に激しさを増すと、丘にむかって優しく撫で付けるような風と共に叫び声が聞こえ始める。


「攻撃を受けているのか!?」


 帝国が攻撃を仕掛けてくるのは半月ほど先の予定だ。しかし悪名高い帝国のことだ。いくら鮮血帝と恐れられていた前皇帝が退いたと云えども、同じような手段で攻撃を仕掛けてこないとは言い切れない。


「中央軍はこのまま防御の陣形を整えろ!右軍にもそれを伝えてくれ!」


 レオナルドは駿馬に股がり、左軍へと向かった。


 風をさいて突き進むレオナルドの耳には兵士達の叫び声をますます大きく捉える。


 その道中、左軍の伝令係と出くわした。状況の報告を受けたが、伝令係は酷く怯え防具も着込まず、馬にも乗っていなかった。


「げ、げ、現在!!こ、こ、攻撃を受けて──」


 主語が抜けている。レオナルドは伝令係を落ち着かせるように優しく尋ねた。


「攻撃は帝国から受けているのか?見たところ帝国の軍は動いているように見えないが……」


 少数部隊が夜襲を掛けた可能性は高い。しかし、伝令係の怯えようが尋常ではなかった。


「そ、そ、それが……見たこともない魔物によって……ヒッ……ぁ、あぁぁぁぁぁ!!!」


 その魔物の姿を思い出したのか、伝令係は頭を抱えてその場でうずくまってしまった。


 引き連れていた部下の1人に伝令係を中央軍まで避難させ、レオナルドは左軍へと急いだ。


 叫び声と死の臭いが左軍に立ち込めている。


 ──魔物に襲われているだと?帝国は魔物を操るのか?


 まだ、この攻撃に帝国が関わっていることを考えているレオナルドだがその時、左軍から大炎が起こる。


 顔面に熱を感じ取るが、レオナルドは馬の速度を落とすことなく、左軍へと向かい、そして到着した。


 野営をしていた天幕に火が付いている。肉の焼ける臭いと、血の臭いが充満していた。逃げ惑う兵士達は何に怯えているのか。彼等の叫び声が絶え間なく聞こえていた。激しく波打つ炎と共に大量の命が天に昇っているようだった。それにつられてレオナルドは天を仰ぐと、星の煌めきはなく、空は真っ黒に染まっている。


 ──ここだけ別の世界のようだ……


 左軍は体裁を整えることができず、完全に崩壊している。


 ──これは立て直せない……


 すると、コウモリのような翼を生やした魔物がレオナルドに襲い掛かってきた。レオナルドは確かに見たこともない魔物に一瞬怯んだが、馬上より光の剣を顕現させ、両断することに成功する。


 レオナルドは光の剣を出したことにより空が一瞬晴れたように見えた。


「ん?」


 不審に思ったレオナルドは真っ黒な空に向かって第一階級光属性魔法を唱えると、一面真っ黒な空が蠢き始め、一筋の光を避けるように道を作った。


「な!?」


 驚愕するレオナルド。真っ黒な空は大量の魔物によって作り出されていたモノだった。そして、再び地に視線を戻すと、正面には豹のような身体に、熊ようなの足を持つ獣が立っていた。首は馬のように長く、その先にはヤシの実のように七つの顔がついており、それらの頭にはそれぞれ王冠がのっていた。


 この魔物を見ただけで、レオナルドは震えがった。単に見た目の気味悪さではなく、心がその魔物を拒絶しているようだった。乗っている馬は暴れだし、そして息絶える。伝令係が馬に乗っていなかったのはこの為だ。レオナルドは地に足をつけ、光の剣を構える。膨大な精神力がなければ対峙することすら難しい。


 レオナルドは剣を構えると、魔物は熊のような足を蹴りだして、突進してきた。


「はやい!!」


 光の剣で何とか受け止めるも七つの頭の内の1つがレオナルドに向かって口を開くと、口内が青白く光った。


 嫌な予感がしたレオナルドは、前蹴りをして魔物と距離を取った。その離れ際に魔物の口から青白い火炎が光線のように吐かれる。


 一撃を貰えば死ぬ。そう思わせる程の威力がそれにはあった。また距離を詰められる前にレオナルドは片手を掲げて第二階級光属性魔法のプリズムを唱える。


 魔物の上空から木漏れ日のような光が降り注ぐと、魔物の動きが鈍った。その隙に魔物の気味の悪いすべての頭を光の剣で一瞬にして斬りつけ、また距離を取った。


 魔物は痛みに喘ぎ、踠くとレオナルドは再び前進して馬のような長い首を斬り落とした。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 倒すことに集中し過ぎた。残りのMPのことも考えずに戦ってしまった。それに漬け込むかのようにコウモリの翼を生やした魔物が複数襲い掛かってきた。光の剣を振り払い、コウモリ達を蹴散らすも、レオナルドは目の前に現れた先程と同じ気味の悪い魔物が他に5体もいることに絶望した。


 1体が前足を踏み込んでレオナルドに体当たりすると、レオナルドは後方へ飛ばされる。


「ぐおぉっ!!」


 受け身を取る体力もなくなり、地面に転がりながら不細工に着地すると、残りの4体の持つ7つの口全てから青白い光が発光する。


 レオナルドは死を悟ったが、その魔物達の注意を惹く魔法が魔物達の側面から唱えられた。


「アクアレーザー」


 鋭い無数の流水に続いて、大剣を携えた筋骨隆々の男が魔物達を屠る。


 その光景に見とれて、呆然と立ち尽くしていたレオナルドに駆け寄る者が言い放った。


「助けに来ました」


「あ、あぁ…助かる……」


 見慣れない顔の男達にレオナルドは困惑する。自分がやっとの思いで倒した魔物を1つの魔法や1つの剣で倒している。相当な手練れである。


 大剣を持った男が言った。


「なぁジュドー、コイツら気色わりぃな」


 先程レオナルドと言葉を交わした小柄な男は大剣の男に返す。


「えぇ……でも僕らの敵じゃないですよ!ノスフェルさんも来てくれましたし」


「ちっ!ノスフェルは来なくても良かったんだがな……」


「仕方ないじゃないですか?シドー将軍の命令なんですから」


 シドーの名を聞いてレオナルドは傍にいるジュドーと呼ばれた男の着ている鎧を見た。


「お前ら、帝国の者達か!?」


 ジュドーに離れようとするレオナルドにジュドーが口を開く。


「安心してください。この魔物達はどうやら王国と帝国の共通の敵らしいですから。軍総司令のマキャベリー様が今頃そちらの宰相様か国王陛下に停戦と共同戦線の提案をしていると思いますし」


 ジュドーはレオナルドの肩に手を当て始めた。レオナルドは自分のHPとMPが回復していくのを感じる。


「ここは僕達に任せて、貴方は王国中央軍に戻り、シドー将軍と一緒に作戦を立ててください」

  

─────────────────────


~ハルが異世界召喚されてから2日目~


〈フルートベール王国王都〉


 空を駆ける白馬に乗ったフルプレートの騎士達には感情というものがなかった。誰もが一目は見たことのある魔物ですら獰猛な目つきやこちらを威嚇してくるような感情が表れるものを騎士達は持ち合わせていない。身に纏う鎧は白く輝き、一見聖なる加護を持つ神に仕える騎士のようにも見えたが、王都に住まう民達を躊躇いもなく攻撃している。曲芸師の如く口から剣を取り出しては、穢れた人間達を罰しようとしてくる。その数は夜空を覆い尽くす程だった。


 戦士長のイズナは国王陛下と王都の防衛作戦を一通りし終えたがしかし、なんらかの阻害魔法である障壁が消え去り、中の惨状を目の当たりにする。それから直ぐに天空を巨大な鉢が彩り、空から騎士の大群が出現するのを目撃した。イズナは防衛にさく時間などないと悟ると、直ぐに戦地へと赴く。


 一振で騎士を一刀両断するが、その堅さにイズナは眉間に皺を寄せた。この騎士を何千、何万と相手にしなければならないと思うと、とてもじゃないが兵力が足りない。自分にできるのは時間稼ぎが関の山だろう。


 時間が思考に割かれている間も続々とイズナに向かって白馬を走らせる騎士達。イズナはその複数を相手取った。


 長剣を薙ぎ払い、騎士の股がる馬の足を切り落とした。次に迫る相手を斬り上げ、今度は馬ごと騎士を両断した。そして最後にイズナは馬と騎士達の返り血を浴びた長剣を振り下ろすが、受け止められる。


「ちっ!!」


 騎士の乗っている馬は衝突した剣の衝撃によって前足を高々と上げていなないた。馬上でバランスを崩した騎士に向かってイズナは再度剣を振り抜き、止めを刺す。


 崩壊した王都の南西部。それが徐々に王都全体を騎士達によって埋め尽くされていく。イズナは夜空を覆う騎士達を見てそう思った。


 しかし、思ったよりも騎士達の侵略は早くない。


 騎士達の多くはその出現地点で円を成して陣形を整えているように見えた。しかしその実、円の中心で行われている戦闘に巻き込まれたことによってたまたま円を成しているのがわかった。中心には3人の人影が見える。中心の者が一太刀振るえば、騎士達でできた円は形を変えた。円の中心が蒼白く光ったと思えば、凍った騎士達は雹のように地上に降り注ぎ、氷の欠片となる。


 まるで神話のような戦闘が繰り広げられていることにイズナは夢でも見ているかのような錯覚に陥いる。しかしその夢も地上にやって来る騎士の攻撃で、これは現実なのだと覚醒せざるを得ない。


「陣形を整えろ!10人で1体を囲むんだ!!」


 剣技を出しながら騎士を倒すイズナに味方の兵士が叫んだ。


「戦士長!!」


「なんだ!?」


「国王陛下がお呼びです!!」


 今忙しい。誰もがイズナの思ったことを言い当てることができた。この場でイズナが離れれば士気は下がり、謎の騎士達によって王国の民やそれを守る兵士達に多大な犠牲が出る。


 さしずめ、王族が逃げる為の護衛として呼ばれているのだろう。


 ──それが嫌でここへ来たというものの……


「ぐわぁぁぁ!!」


 部下の叫び声が聞こえた。馬上の騎士の持つ剣で胸を一突きにされている。自分の部下が死ぬ姿を見て、イズナは尚更この場にいなくてはならないとかたく思った。


 しかし一突きにされた部下は自ら胸にあいた穴を押し広げるように前進し、必死の形相で騎士の馬に股がる脚を斬りつけた。


 その姿を見た周りの兵士達は士気を向上させる。襲い掛かる騎士達を押し始めたのだ。兵士の1人がイズナを見ながら言った。


「行ってください戦士長!!」


 それに呼応するかのように他の兵士達は言った。


「ここは俺達に任せてください!!」

「早く陛下の元へ!!」

「今までお世話になりました!!」


 イズナは唇を噛んだ。変わり果てた王都。部下達の必死の訴え。イズナの目頭に熱いものが込み上げる。それを解き放つように未だ無傷な城を目指して、イズナは走った。


「すまないお前ら!!互いに生き残れば酒を飲み交わすぞ!!俺のおごりだ!!」


 背後で聞こえてくる兵士達の雄叫び。だかそれは徐々に勢いを失くしていくのがわかる。イズナが遠ざかったからではない。1人、また1人と声を発する者がいなくなったのだ。


 目を見開きながらその痛みに耐えるイズナは部下の最後の頼みを必死に守ろうとしているその時、金髪の長い髪を揺らしながら走る剣聖とすれ違う。かつて戦場を共にし、幾つもの武功を上げ、数々の人の命を救った剣聖の姿だ。その後に続いて王国きっての精鋭達がやって来る。


 剣聖オデッサはハルに長剣を渡した後、武器を取りに自宅へと戻り、ロイド達を連れて戦場へと戻る途中のことだった。


 背後で小さくなった声が、盛り返していくのを感じるイズナは、真っ直ぐ前を向いて城を目指した。


 城へ到着したイズナは、直ぐに玉座の間に行くようにと伝えられ、その場に赴くと、そこには王立魔法学校の校長アマデウスと同じく魔法学校の教師が1人立っていた。


 意外な光景に言葉が出てこない。王族達は直ぐにでも王都から脱出するのだろうと思っていたイズナは自分を恥じる。


 その間に、魔法学校の教師が言う。


「イズナ・アーキ様が到着しました」 


 一体誰に言っているのかと不思議に思うイズナの耳にどこからか声が聞こえてくる。


「戦士長イズナ・アーキ様、私は帝国軍事総司令のクルツ・マキャベリーです」


 どこから声が聞こえているのかもわからず、イズナは辺りを見回す。皆が一様、中央の台座に置かれた水晶玉を見ていた。そこから先程と同じ声が玉座の間に響き渡る。


「只今、フルートベール王国と帝国の休戦協定を結び、その後、軍事同盟を結びました。戦士長様にはこれから、城塞都市トランへと向かい、我々帝国の兵士を王都へと案内して頂きたいのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る