第373話

 タイムマシン。


 こんなものをそう呼んでも良いものだろうか。机の引き出しが四次元空間に繋がっていて、過去にも未来にも行ける。そんな漫画のように便利な代物ではない。


 このタイムマシンは未来しか見えない。つまりは行くこともできない。


 スマートフォンの全世界普及率が7割を超えた昨今、南野ケイ及び、マルセラ・アルヴァレスは蓄積するビッグデータを量子コンピューターに打ち込んだ。


 それらを光速で演算することにより、未来に起こる出来事を予測しようとしたのだ。


 しかし、予測の的中率は低かった。たまに当てることは出来たが、人口の推移や株の動向などが関の山で、タイムマシンと呼べるほどの結果ではない。株に関しては、突発的なイレギュラー、例えば何処かの首相や大統領の発言によって株価が乱高下することなど予測することはできなかった。


 ビッグデータ以外に何か重要な要素が必要である。多大なデータ量では一つの答えに収束することはない。選択肢が増えるだけだ。


 そこで南野ケイ達は、過去のデータを入れることにした。現在の世界情勢から第二次世界大戦、南北戦争、宗教戦争やゲルマン人の大移動、徳川政権や鎌倉幕府、世界の歴史的ルーツをビッグデータに取り入れた。


 すると、前回のビッグデータのみの時よりも的中率は上昇した。だが、まだまだ満足のいく結果ではない。


 ここで、とある提案が浮上する。そんな歴史的人間の行動原理と心理を持つ者達を造り上げれば良いのではないかという案だ。ビッグデータを日々吐き出す、世界中の人間達、その一人一人の人格をコピーした人工知能を開発し、もう一つの世界を造ることで、そこに住まう人々の動きをコンピューターによって演算、つまりは早送りさせればより確実な未来が見える。


 幸い、過去のデータを入れることによって予想的中率が向上したことにより、それらの実績を投資者達に掲示し、このわかりやすい計画をプレゼンすることで資金も集まった。


 あとはネットに蔓延る膨大な個人情報の群れを如何に収集するかだが、それも簡単だった。各国に許可をとる必要などない。日々垂れ流されるネットの検索履歴やSNSでの呟きや写真、動画、宇宙に打ち上げられた人工衛星によるリアルタイム映像等をAIが解析して人間を、外向性、協調性、誠実性、神経症的傾向、開放性の5つの分野でそれぞれ点数をつけることによって、その人の性格を割り出す。また、より確実性をもたらすために、クレジットカードの購入履歴、住所など特定できる者を追跡したり、確実な個人情報を潤沢な資金を使って直接本人から買ったりもした。


 そうやって出来上がった本人そっくりな人工知能・AI達が、無数の人工衛星によりスキャニングされた仮想地球に住まうことで、未来に起こる出来事をシュミレートしていった。


 的中率は増した。テロや企業の先行き、将来成功する者と犯罪者に成り下がってしまう人すら言い当てた。このタイムマシンを用いたウェルズ計画は大成功をおさめた。そして次のフェーズへと入る。


 それは人間の可能性についての研究だ。


 ベーシックインカムの導入や差別のない完全実力主義の社会。理想とされる社会を実現させ仮想地球に住まうAI達を観察した。


 初めはどの世界も上手くいっているように見えたが、どの世界も最終的には最悪の結果をもたらした。


 ベーシックインカムが導入された世界では、始めこそ犯罪率の低下や自殺者の減少、娯楽の充実など素晴らしい成果をもたらした。十二分に導入検討すべき結果が残る。しかしそんな結果をもたらしたのは受給者が最高と最低を知っているからだった。最低にならないよう、思い通りにいかない現実に葛藤しながら懸命に生きる。或いは最低限度の生活から最高を目指しながら努力していた。


 次の世代から最低を知らない人間が現れ始める。すると最高を目指す人間が一時的に増えた。何故一時的なのか、それは次の世代で明らかとなる。最低を更に知らない世代は最高すら目指さなくなったのだ。次第に最高の地位に座していた『裕福な生活』から『子孫繁栄』へと切り替わる。そして子孫繁栄すらも目指さなくなった者達が続出した。


 ここで得られる教訓として、人は目標や夢を設定すると同時に、その逆の最悪を描く。最高である夢の輝きが強ければ強い程、最低である影も色濃くなる。しかしセーフティーネットが充実すると、その影が薄れる。そして照らしていた輝きすらぼやけてしまう。何かを目指そうという心意気がなくなるようだ。


 次に差別のない完全実力主義の世界を設定し、AI達に住まわせた。完全実力主義とは、今まで生まれた場所や育ち、周囲の環境といった運による巡り合わせを撤廃し、誰にでも同じだけチャンスを与え、成績のよかったものを評価し、それに相応しい仕事に就かせる。そうすれば肌の色や人種、性別、生まれた場所による差別のない理想的な世界にできるのではないかという考えだ。


 今の世界では、生まれやコネクションによって実力のない者が不当な報酬、不相応な立場に就きやすい。そうならないために、きちんと実力のある者を評価する世界を造った。しかし、これもあまり芳しくない結果がでた。


 実力主義とはつまり、努力をすればするだけ評価される一見平等な世界のように思えたが、努力の総量が生まれながらに決まっているのならばそれは、平等とは言い難かった。


 予想の通り、努力できることは生まれもった才能の一部であることが証明され、努力できる者と努力できない者に世界は分断された。最終的には、努力のできない者達が武装蜂を起してこの世界は終演する。


 以上の2つの世界の結果により、努力のメカニズムについての研究がなされた。


 努力できる人とできない人と分かれてしまうのは何故か、それには遺伝的要因が大きいと言われている。勿論、効率的な努力の仕方や努力量の多さによって努力のできない人も目標を達成できた研究結果もある。しかし、努力をしたとしても全員が全員報われるわけではない。例えば歌手を志す者が努力をしたとしても、その努力は20%程しか反映されない研究結果がでた。勉強に到ってはたったの4%だ。


 つまりどんなに努力をしたとしても生まれもった才能やIQの高さによってそれは覆ってしまう。


 こんな不公平な世の中はあるだろうか?


 その不公平さを埋める手立てはないだろうか?


 ウェルズ計画はまた更に次のフェーズへと移行する。


 努力やその結果を可視化できる世界を造ろうとしたのだ。努力できるできないは遺伝的要因に左右されるとは言ったが、努力を最初からしない人間はいなかった。つまり努力した結果、努力をしないほうが良いと判断した者達が大多数に上ったのだ。では何故大多数が努力をしなくなったのか。それは無意識に完璧主義を掲げた努力の先送りと他者比較、自己の過大評価、自己コントロールが欠如したせいであった。


 完璧主義とは、聞こえは良いがその実、何かが整ったら、例えばお金が貯まったら、簿記の勉強をしてから等と、失敗したくない想いのせいで行動を先送りにしてしまう人のことを指す。ディズニーに出てくる氷の女王よろしく、ありのままの自分を受け入れられない人にこの思想が多く見られる。


 また他者と比較することで、自分の立場、立ち位置に甘えや絶望をしてしまうことにより努力ができない者もいる。他者との比較ではなく過去の自分との比較をすることがこの考えを打破する方法だ。


 次に自己を過大評価することによって計画倒れを起こしてしまう人もいた。


 以上の理由により努力とその成果を可視化する世界を造る。ありのままの自分を見つめなおし、健全に過去の自分とを比較し、自己の能力を吟味させる世界。


 しかし、何を可視化させるべきなのかが問題となった。実力主義社会では、勉強、スポーツ、芸術、リーダーシップ、他者とのコミュニケーションなど多岐に渡る分野で勝者と敗者が現れ、それぞれが結託した。筋力や学力を数値化して可視化するべきか、社会性や債務履行等を数値化するべきかなどの様々な声があがる。また、いくら人工知能と言えども我々人間と変わらない。突然努力や成果が可視化できる世界になりましたと言われても納得させるのは難しい。ベーシックインカムや差別のない実力主義社会では世論がそちらに傾きつつあったので実行しやすかったが、成果の可視化を普通に暮らす人工知能達に違和感なく当て嵌めさせるのは難しい課題だった。


 そんな2つの問題を解決するために、白羽の矢が立ったのが南野ケイが趣味で造った世界とその息子南野ハルだ。


 南野ケイは、ヨハネの黙示録12章7節から9節に出てくるミカエルとサタンのAIを造り、黙示録を再現するために世界を造った。元々南野ケイは、レベルやステータスを用いたRPGの世界、現在停滞中ではあるがフルダイブ型のMMORPGの元となる世界を開発しようとしていたのだ。プレイヤー達が自由にAI達と会話を楽しみ、現実世界を忘れることのできるゲーム。その世界の神話としてヨハネの黙示録を基礎とした世界を造った。


 レベルやステータスといったゲーム要素を盛り込んだこの世界は、ウェルズ計画によって利用されることとなる。


 南野ケイは自分の造った世界が、この大それた計画に用いられることを知り、ミカエルとサタンが天界で戦争を起こした後の世界を確認した。両者の戦いを見てからしばらくウェルズ計画にかかりきりとなっていた為に観察を怠っていたのだ。久しぶりに自分の造った世界の観察をして南野ケイは驚く。


 ヨハネの黙示録やミルトンの書いた失楽園ではサタンは仲間を率いていた。それが南野ケイの造った世界ではサタンの仲間達が天界戦争後、竜族、魔族、妖精族となって対立を起こし、覇権を争っていたのだ。南野ケイは分析した。サタンだけでなく仲間の堕ちた他の天使達にも自由意思を盛り込んでいた為に、争いが起きていたようだ。


 南野ケイは、その争いをしばらく観察すると天使ミカエルにとある指令を出した。この時ミカエルの名の元、実験を行うことに難色を示すカトリックの研究者を慮り名をミカエルからディータに変更する。


 竜族、魔族、妖精族、そんな三種族間でやがて戦争が起こり、英雄ペシュメルガが誕生した。種族を統一したペシュメルガは、この世界で神のように君臨するディータに戦いを挑む。

 

 結果はディータの勝利に終わる。ほぼ全ての竜族、魔族、妖精族がいなくなり、南野ケイはここでようやく人族を生み出した。自分の息子を模したAIを転送する準備を整えたのだ。


 何故息子のハルが実験対象に選ばれたのか、その理由はいくつかある。一つは、研究者の一員である南野ケイの息子であるならば幼少期からの信用できる細かいデータをAIに打ち込めるからだ。より本物に近い南野ハルを造り出せる。また、南野ハルはアニメ、漫画、ライトノベルの知識が豊富だった。つまり、異世界召喚・転移されても何の違和感もなしに受け入れることができると目算された。そして最後に、南野ハルの将来をタイムマシンで観察すると、85%の確率で挫折を経験し、引きこもりになるという結果が出ていたのだ。つまり努力ができない側の人間だ。


 そんな南野ハルにレベルやステータスのある世界で、努力のしやすい環境で──いい忘れていたが、努力のできない要因として挙げた自己コントロールの欠如は周囲の人間関係を変えることによって改善される研究結果が出ている。つまり異世界への転送は自己コントロールを上昇させると考えられている──如何なる結果を見せるのか、試すには十分な価値があった。


 しかし、南野ケイは躊躇った。いくらAIとは言え自分の息子を実験用のモルモットにするのに抵抗があった。


 そこで同じ研究員にして最高責任者であるマルセラ・アルヴァレスが提案してきた。


「まず私の娘を送り込もう」

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