第366話

~ハルが異世界召喚されてから9日目~


 オーウェンは信じられない光景を目の当たりにしている。


 自分が決して到達しえない存在であるルカが一瞬にして殺られたかと思えば、ルカよりも強く、自分の憧れの存在であるミラが首をはねられそうになったのを、特待生の後輩ハル・ミナミノがそれを阻んだのだ。


 そして今、見たこともない強敵と激しい撃ち合いをしている。


 ハルが一太刀振るう度に木々がざわめき、オーウェンの細胞一つ一つを揺るがす衝撃が巻き起こる。そんな攻撃を紫色のドレスを着た女は頼りない鉄扇一つではね除けている。


 ハルが下段から女の首目掛けて刀身の長い剣を斜めに斬り上げると、女は向かってくる刃をなぞるように鉄扇這わせて受け流す。ハルはめげずに一歩前へ足を踏み出して、振り抜いた剣を今度は女の脚を切り裂こうと振り下ろす。しかし、女はその場で跳躍しハルの剣は空を斬る。


 ハルと女の淀みない動き。視覚で得た情報を脳内で処理するのが精一杯で、オーウェンは身体が動かず呼吸を忘れていた。


「ぁ……ぁ……」


 オーウェンは目線を反らすことでようやく、呼吸の仕方を思い出す。隣にいるアベルも自分と同じ様な状況に追い込まれていることにも気付いた。


 アベルは目をしばたたせて、呟く。


「覇王の剣……」


 オーウェンはその言葉を受けて、ハルの握る剣を凝視する。


「なんで、アイツが……いやそんなことよりも強すぎんだろハル!!」


 仲間のシャーロットが死んだ怒りと悲しみをハルの戦いによって忘れてしまっている。それほどオーウェンにとっては衝撃的に光景なのだ。


 しかし隣にいるアベルは、ハルが押されていることをしっかりと分析していた。


「このままじゃ……」


─────────────────────


 ──このままじゃダメだ。


 ハルは大剣を振りながら思った。


 帝国領を上空から眺めていると、特待生のログハウスがある付近から嫌な気配を感じ取った。その気配は竜に身体の形を変えたチェルザーレも気付いていた。


 強敵がいる。ハルは無意識にエレインを思い浮かべたが、何故かそれだけではない何かを感じ取っていた。


 不吉な出来事。


 この世界を終わらせるような嫌な気配がそこにはあった。


 ハルとチェルザーレがそこに気をとられていると、眼下でヒヨリが森の中を逃げていく姿を確認した。その後ろを追う何者かの姿も見えた。


「チェルザーレ!下にいる女の子を助けて!僕の知り合いなんだ」


「だったらお前が助けに行ってやれ、俺が向こうへ──」


 チェルザーレの言葉を最後まで聞かずにハルは、不吉が渦巻いている中心地へ飛び降りていた。


 結果、その不吉を巻き散らしているのがミラだとわかった。


 ミラが死ぬと、この世界が終わる。


 ハルはそう思った。


 それはハルにとってミラが大切だから、ミラを失うことでハルのセカイが終わる、という訳ではない。本当にこの世界が終わってしまう。そういう気がしたのだ。


 ハルは決死の想いで大剣を振るう。


 それを悉く鉄扇で弾くエレイン。


 エレインの余裕な表情と、背後にいるミラの弱々しい呼吸がハルを焦らせる。


 ハルは構えを改め、半身となり大地を踏みしめると刺突を繰り出す。それと同時にスキル名を口ずさんだ。


「画竜点睛」


 エレインの片眼を貫こうとするその攻撃は、突風を巻き起こしながら直進する。


 エレインの瞳。光彩が動くのを見てとったハルだが、次の瞬間エレインは残像を焼き付けながらハルの刺突を躱した。虚空を突くハルの攻撃は、エレインの背後にある大木に風穴をあける。


 ハルはエレインの動きに驚くも、次の攻撃に切り替えた。


 放った刺突を引き戻し、エレインの脳天目掛けて剣を振り下ろす。


 エレインは微笑みを崩さず、鉄扇を構え、ハルの攻撃を受け流そうとしたが、ハルの剣筋を観察すると少しだけ真顔に戻った。ハルがスキル『強打』を使い、攻撃を受け流すエレインに揺さぶりをかけていたのだ。


 エレインは今までの斬撃とは違い、今回の攻撃は打撃に特化したものだと悟り、受け流しから回避へと選択を変えたのが窺える。


 振り下ろされたハルの攻撃はエレインには当たらず大地を割ると、地面を掘り起こすようにしてハルはエレインの足元から斬り上げた。 


 足元から出現するハルの剣をエレインは後退しながら躱すが、自分の支えとなっていた大地が、無数の石塊となってエレインに襲い掛かる。


 エレインがそれらを流れるように躱すのをハルは見てとると、すかさず唱えた。


「雷鳥」


 青白い雷光が鳥の形を成した。翼をはためかせる度に迸る雷は、闇夜を照らしながらエレインの元へと直進する。


 この魔法でヴァンペルトを倒すことができたが、エレインには目眩ましの効果を狙ってハルは唱えた。


 ──同じランスロットのパーティーメンバーであるエレインの方がヴァンペルトよりも圧倒的に強いのは何故だ?


 ハルはヴァンペルトを倒し、レベルも上がった為、エレインとは良い勝負ができると考えていた。しかし、相手にダメージすらまともに与えることができない。


 ──ヴァンペルトのようにスキルを使ってノーダメにしているとは思えない……


 ハルは迸る雷鳥を盾にエレインの後ろへと回り込むが、不意に路地裏での出来事を思い出す。まだこの世界に来て間もない頃、エレインに腕を切り落とされた記憶が甦る。


 ──!!?


 ハルは思わず、回り込むのを止め、エレインをまじまじと見つめた。


 エレインは微笑みながら、雷鳥を鉄扇で切り裂き、足を止めたハルに告げる。


「懸命な判断ね。どうかしら?後ろの娘が死ぬところを一緒に観察してみない?貴方のことはまだ殺したくないのよ」


 腕を切り落とされていた。ハルはそう思うと冷や汗が止められなかった。


 ──最初に出会った敵がラスボス級に強かったなんて……


 ハルはエレインと自分の戦闘力に圧倒的な差があることを感じた。


 しかし、ハルは言った。


「好きな女の子の前で引き下がる訳にはいかないんだよ!!」


 自分でもどうしてこんなことを言ったのかわからない。適当な理由をつけて言えばよかったのかもしれない。しかし、ハルはこれからエレインと更なる死闘を繰り広げなければならない。もしかしたら死ぬかもしれない。ミラからすれば一度も会ったことのないハルから想いを告げられて困惑しているに決まっている。


 ハルは後ろを振り返り、ミラの姿を視認した。おそらくこれが最後になる。ミラの姿をこの目におさめておきたかった。


 ミラと目があう。ミラは胸の傷に手を当てながら口を開いた。


「ハル…くん……」


 自分の名がミラの口から呼ばれた。ハルはエレインに向き直る。手にした剣を握り直し、自分の身体の一部のようにして構えた。向かってくるエレインは鉄扇を振りかぶりハルとの距離を詰める。


 ハルは剣を振り払いながら思った。


 ──満足だ……


 ミラが自分のことをまた思い出してくれた。それだけで喜びが溢れる。


 そんな想いとは対称的にエレインの握る禍々しい鉄扇がハルの命を奪おうとしていた。それが振り払われるだけで自分の命が尽きる。ハルはそう悟ると、全てがスローモーションに見え始めた。もう何度もこの経験をしてきた。

 

 走馬灯。ゆっくりと流れる時間。ゆっくりと聞こえる鐘の音。


 ゴーーン


 ミラが自分のことを思い出してくれたことが嬉しかった。それでこの鐘の音が鳴っている。ハルは好機に恵まれたと思ったが、


 ──ダメだ。間に合わない……


 2回目の鐘の音が鳴り響く前に、エレインの鉄扇がハルの剣を破壊すると、エレインはハルの懐へ入り、鉄扇の先端をハルの胸に突き立てた。


 ──死んだ……


 しかし次の瞬間、ハルは後ろへと引き寄せられる。


 後ろを振り返ると、ピンク色の髪をしたルナがハルの腕を引っ張っていた。すると今度はエレインの方から激しい音が鳴り響く。


 ハルはルナに引き寄せられながら正面に向き直ると、エレインの突き立てた鉄扇を止めるようにして黒に染まった剣がぶつかり合う瞬間を目撃した。そこから黒い閃光が飛び散り、辺りを怪しく照らした。その黒い光は黒剣を握る全身漆黒の鎧に身を包んだ男の姿を露にさせる。


 ハルは一瞬、ヴァンペルトが復活したのかと思ったがしかし、直ぐにその思いを撤回させてその者の名を呟く。


「…ペシュメルガ……」


 その言葉に反応したペシュメルガがハルを見た。漆黒の兜の隙間に潜む目とハルの目があった。


 ゴーーン


 2回目の鐘が鳴る。


 ハルは1日目に戻った。

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